米海兵隊のドクトリンを読む④ MDCP 1-2 Campaigning その1

「米海兵隊のドクトリンを読む」は「MDCP 7 Learning」「MCDP 1 Warfighting」「MCDP 1-3 Tactics」と紹介してきた。米海兵隊のドクトリンは機動戦(maneuver warfare)の信条に基づくものであると「MCDP 1 Warfighting 」で述べられている。また、戦争を戦略、作戦、戦術の3つの次元として捉えることの意義が述べられている。「MCDP 1-3 Tactics」では、戦術的次元で機動戦(maneuver warfare)を行うことはどのようなことかを理解することができる。

今回紹介する「MCDP 1-2 Campaigning」は、戦争の階層(Level of War)における作戦的次元(operational level)で行われる軍事的行動(戦役:作戦)を戦略的次元(strategic level)と戦術的次元(tactical level)との関係から説明したものである。

戦術と戦略の間の概念である「作戦の概念」を理解することは、主に「戦術」に親しんできたものにとっては難解なことである。本「MCDP 1-2 Campaigning」を「MCDP 1-3 Tactics」との比較として読むと、「MCDP 1-3 Tactics」の「はじめに」に、「これは、戦闘において勝つことについての出版物である」と記述されているように戦術とは戦闘(combat)を対象とした範囲のことであると理解できる。

一方で、「MCDP 1-2 Campaigning」の「はじめに」に、「戦闘での戦術的な成功は、それだけで戦争での勝利を保証するものではない」、続いて、「戦争において最終的に重要なことは、戦略的な成功-我々の政治的狙い(political aims)の達成と我々の国益(national interests)の保護-である」と記述されている。

「MCDP 1-2 Campaigning」の「結論」での「無理もない話だがおそらく、戦術が長い間海兵隊の強みであったので、我々は作戦側面を軽視した戦争の戦術的側面に重点を置く傾向を持つ・・・・」という言葉に、作戦的次元の理解の難しさその重要性を再認識させられるものである。(軍事)

MCDP 1-2 「戦役遂行:Campaigning」

1997年8月1日

はじめに FOREWORD

戦闘での戦術的な成功は、それだけで戦争での勝利を保証するものではない。戦争において最終的に重要なことは、戦略的な成功-我々の政治的狙い(political aims)の達成と我々の国益(national interests)の保護-である。戦争における作戦的次元(operational level of war)は、戦術と戦略を繋げるものである。それは、戦略的狙い(strategic aim)を実現するために、様々な戦術的行動を考察し、焦点を合わせて、活用する規律である。我々の出発点となる考えとして、本書は、戦争の中間体(intermediate)、作戦的次元、そして、戦略的目標(strategic objective)を達成するための戦術的な行動を組織化した乗り物(vehicle)である軍事戦役(military campaign)について記述する。

海兵隊空地任務部隊(MAGTF)には明らかに戦術上の能力(tactical capabilities)だけでなく作戦上の能力(operational capabilities)がある。したがって、海兵隊リーダーが作戦上で考えることを学ぶことは最も重要である。米海兵隊ドクトリン発行物(MCDP)1-2「戦役遂行(Campaigning」は、米海兵隊での、特に戦役(campaign)に参加する海兵隊指揮官または海兵隊空地任務部隊(MAGTF)に関連した軍事戦役(military campaign)のためのドクトリン上の基礎を提供する。戦役遂行(Campaigningでは、特に戦争の作戦的次元における、MCDP 1「用兵(Warfighting」の用兵哲学(warfighting philosophies)を適用する。それはMCDPシリーズの他の出版物にリンクされ、統合のドクトリンと完全に互換性を持つ。

MCDP 1-2は、1990年の艦隊海兵部隊マニュアル(FMFM)1-1 Campaigningに取って代わるものである。MCDP 1-2は、前マニュアルの精神、範囲と基本コンセプトを引き継いでいる。MCDP 1-2は、更に、最近の経験、戦争についての継続した考え、ポスト冷戦の進化している戦役遂行の本質(nature of campaigning)に基づいてコンセプトのいくつかを開発し洗練した。

戦役遂行(Campaigningの新しい版は、三つの重要な追加がある。戦略目標(strategic objectives)と戦役(campaign)の間のリンクに関する拡張された議論、紛争終了(conflict termination)の上の節、そして、「相乗効果(Synergy)」とタイトルをつけた節では、どのように主要な機能を、戦略的目標(strategic objectives)を達成するために、戦役(campaign)の遂行の中に調和させるかを記述する。これらの追加は、MCDPシリーズと統合のドクトリンにおいて他のドクトリン上の出版物の進展に由来するものである。

第1章は、戦役(campaign)と戦争、戦略と戦術とのそれらの関係と、海兵隊に関連する作戦的次元について述べる。第2章は、戦役デザイン(campaign design)のプロセス、つまり、政治的な目標と制約から軍事戦略的狙い(military strategic aim)を導き出すこと、我々の戦略的目標(strategic objectives)を支える戦役コンセプト(campaign concept)を開発すること、そして、そのコンセプトを実行する(carry out)ために必要となる行動を体系化した構成に、コンセプトを変換した戦役計画(campaign plan)を作成することについて述べる。第3章は、現実の戦役の遂行(conduct of a campaign)とそれらが展開する際の我々の計画を事象に適応させる問題について述べる。

本書の中心にあるのは、あらゆる次元の軍事行動が政策上の要求を最終的に満たさなければならないというアイデアである。全ての次元の海兵隊リーダーは、この点を理解しなければならず、我々が自分自身の目的のためにではなく、より大きな政治的到達目標(political goals)のために戦術的な成功を追求することを認識しなければならない。軍事力は国力のいくつかの手段(several instruments of national power)のうちのわずか一つである。そして、その全ては我々の戦略上・作戦上の目標(strategic and operational objectives)を達成するためにお互いに完全に調整されなければならない。海兵隊リーダーは、軍事作戦を国力の他の手段と一体化できなければならない。

本書は、歴史上の事例を頻繁に利用する。これらの歴史上の事例は、普遍的に関連し、永続する適用可能性がある教えを例示するために用いた。次の任務-一般的な戦争または戦争以外の軍事作戦(military operations other than war:MOOTW)-の範囲と本質がたとえ何であっても、本書で述べるコンセプトと思考プロセスは適用される。「用兵(Warfighting」と同様に、本書は規範的であるというよりはむしろ説明的である。コンセプトは、適用において判断を必要とする。

本書は、主に海兵隊空地任務部隊(MAGTF)指揮官とそれらの参謀のために、そして、統合と連合軍参謀に勤める将校のためにデザインされた。しかしながら、あらゆる軍隊組織の全ての指揮階層の指揮官は、幅広い展望、戦争の次元の間の相互関係の理解と敵の抵抗に直面して遠い目標の追求において進歩的な一連の行動を考案して、実行する方法についての知識を必要とする。あらゆる階級と特定の海兵隊将校は、戦略上または作戦上の責任を持って、上級のリーダーのために-直接、または、間接的に-彼ら自身の仕事をすぐに見いだすことができる。それらのリーダーは、彼らの問題と彼らの意向を理解する部下を必要とする。したがって、MCDP 1と同様に、私は全ての将校が本書を読み再読し、本書のメッセージを理解し、適用することを期待する。

米海兵隊総司令官C.C.クルラック米海兵隊大将

第1章 戦役

第2章 戦役をデザインする

第3章 戦役を実施する

第1章     戦役:Chapter 1 The Campaign

戦略 STRATEGY

戦術 TACTICS

作戦 OPERATIONS

戦略と作戦の関係 STRATEGIC-OPERATIONAL CONNECTION

戦術と作戦の関係 TACTICAL-OPERATIONAL CONNECTION

戦争の次元における相互依存 INTERDEPENDENCE OF THE LEVEL OF WAR

戦役 CAMPAIGNS

会戦と交戦 BATTLE AND ENGAGEMENTS

比較事例研究:グラント将軍対リー将軍A COMPERATIVE CASE : GRANT VERSUS LEE

政策 Policy

軍事戦略 Military Strategy

1864年の作戦 Operations in 1864

戦術 Tactics

米海兵隊と戦役遂行 THE MARINE CORPS AND CAMPAIGNING

 

「会戦は、何人かの執筆者によって戦争の主要部であり戦争を決定づける主要点であると述べられている。この主張は、厳密には正確でない。軍隊は、激烈な戦闘もない、取るに足らない出来事の連続による戦略的な作戦によって破壊されることもある[1]

-アンリ・ジョミニ

「たとえ、決定的な会戦は到達目標であっても、戦略の狙い(aim of strategy)からは、最も有利な周囲の事情の下で、この会戦の戦いをもたらさなければならない。そして、より有利な、少なくとも釣り合いのとれた周囲の事情の下で闘うべきである[2]

-B.H. リデル・ハート

「戦略的に望ましいことは、処置できる範囲内の軍隊で戦術的に可能なことを行うのが基本である。このために、最初の打撃を開始する前に、十分に作戦の要領について決めることが必要である[3]

-バーナード・モンゴメリー

本書は、軍事戦役遂行(Military Campaigning)について書かれたものである。戦役(campaignは、与えられた時間と空間の中で戦略上または作戦上の目標を達成することを狙いとする一連の関連した軍事作戦である[4]戦役計画(campaign planは、どのように時間、空間と目的をこれらの作戦につなげるかを描くものである[5]。通常、戦役(campaign)は特定の地理的戦域の中でいくつかの特定の戦略的成果を獲得することを狙いとする。戦争または他の継続した紛争は、時々単一の戦役(campaign)(時々いくつかの)から構成されている。もし複数の戦役(campaign)があるならば、これらは順番に、または、-複数の戦場があるならば-同時に実行することができる。戦役遂行(Campaigning)は戦争の作戦的次元を反映し、個々の戦術的な行動の成果は戦略の必要性を満たすために組み合わせられる。

軍事戦役は、孤立して行われない。軍事力は、戦略的目標(strategic objectives)を達成するために、国力の他の手段-外交的手段、経済的手段、情報的手段-とともに用いられる。作戦の本質(nature of the operation)に基づけば、軍事戦役(military campaign)は主たる努力(main effort)であり、あるいは、それは外交的、経済的な努力を支えるために使用される。軍事戦役(military campaign)は、政策の目的を達成するための調和のとれた全ての行動の成果を確実にするために、非軍事の努力によって調整されなければならない。たびたび、特に戦争以外の軍事作戦(military operations other than war:MOOTW)において、軍事戦役(military campaign)は、戦役(campaign)の部分と考えられる非軍事的行動である他の政府の作戦と、非常に密に一体化される。

この章では、我々は戦争の異なる次元の事象がどのように相互に関係があるかについて描き、そして、戦略と戦術の間のリンクとしての作戦的次元に焦点を当てる。作戦的次元における指揮官の基礎的なツールとしての戦役(campaign)を考察して、米海兵隊への妥当性について述べる。

戦略 STRATEGY

戦争は、政治的な対立から生じる。政治的な政策は各々の軍隊の戦略の狙いを決定して、其々の遂行を方向づける。かくして、リデル・ハートが書いたように「いかなる問題の研究として始まっても、政策の問題として終わるべきである[6]」戦略は、平和な時に戦争の時と同じように行動することによって政策の目標に勝つよう努力する知的な活動の結果である。

国家戦略(National strategyは、国家目標を確かにするために、平和と戦争を通じて、軍隊の使用を伴った国家の政治と経済と情報の力を開発し使用する術と学(art and science)である。国家戦略は全体的な見通しを内包するが、それは同様に地域または戦域レベルでの全ての国力の要素の調整を必要とする。戦役(campaign)が指定された地理的戦域の中で起こるため、軍事だけでなく非軍事要素を必要とし、戦役デザイン(campaign design)は戦域戦略(theater strategy)に多くの場合等しくなる。

軍事戦略(Military strategyは、武力の適用または武力の脅威によって国家政策の目的を確保するために国の軍隊を使用する術と学(art and science)である。それは、軍事戦略的目標(military strategic objectives)の確立、資源の配分、戦力使用に関する状態の強制と戦争計画を含む[7]

戦略は、成果とプロセスである。つまり、戦略は計画の作成-特定の問題を取り扱う特定の戦略-と動的に変化する環境においてそれらを満たすプロセスを含む。したがって、戦略は細部計画策定と発展する事象への精力的な適合の両方を必要とする。

戦略的コンセプト(strategic conceptは、国力の各要素が我々の戦略的結末(strategic ends)、すなわち我々の政策目標の達成においてどのように使われるかを記述する[8]。米国の軍事戦略(U.S. military strategy)は戦闘軍指揮官(combatant commanders)によって実行され、常に統合を本質とする。実際には、あらゆる特定の地域における我々の軍事戦略の実行は、多くの場合かなりの妥協もあるが他の政府機関、同盟国、特定の不測の事態に形成される連合国のメンバー、そして、民間の組織との調整が要求される。

軍事戦略(military strategy)は国家戦略の下位に位置し、国力の非軍事的手段との調整をしなければならない。歴史的に、我々は、時々それらの関係を適切に維持することが難しいことに気づき、そして、我々は時として明確な国家戦略(national strategy)あるいは軍事戦略(military strategy)がないままに戦った。

戦術 TACTICS

海兵隊員は、特定の時間と場所で闘うことを通して敵の軍隊を破ることに関わる戦術的な領域に、一般的になじみが深い-したがって、最も心地よい[9]。戦争の戦術的次元は、戦闘の領域である。戦術の手段は、我々が裁量できる戦闘力のいろいろな要素である。その方法は、我々が敵に対してその戦闘力を行使するコンセプトである。これらのコンセプトは、時々戦術と呼ばれ、我々の場合は機動(maneuver)に基づいた戦術である。戦術の到達目標は、勝利であり、我々に対抗する敵の戦力を破ることである。この点では、我々は戦術を会戦と交戦に勝つ規律として見ることができる。

戦争の戦術的次元は、闘いの優位性(fighting advantage)を獲得するために、敵と接触した戦力の機動(maneuver)を含み、それは適用と火力の調整、戦闘を通した戦力の維持、勝利を確実にする成功の直接の利用、違う部隊と武器の組合せ、関連情報(pertinent information)の収集と配布、そして、戦術的な行動の範囲内の戦闘力の技術的適用など敵を打ち負かす全てである。

実際には、戦闘の事象は、活動の継続的な織物(fabric)を形成する。それにもかかわらず、各々の戦術的行動は多かれ少なかれ、異なった空間の中で、特定の時間の間での異なるエピソードの戦いとして、一般的に見なされる。

戦術的な成功は、それ自体で戦争における成功を保証しない。現代では、ナポレオンの時代のように、単一の会戦の勝利で戦略的勝利を獲得することはまずない。実際、言うまでもなく、全ての戦争において単一の会戦は、戦役の成果(outcome of a campaign)をまず決定することができない。戦術的な勝利の連続さえ戦略的な勝利を必ずしも確実にするというわけではなく、その明らかな例がヴェトナムでの米軍の経験である。したがって、我々は、戦闘において敵を破ることはそれ自体が結末endとみることは出来ないことを認識しなければならず、むしろ、単により大きな結末(larger end)への手段に過ぎないと考えなければならない。

作戦 OPERATIONS

作戦は、戦争の戦略的次元と戦術的な次元に関するこれまでの説明に従えば、軍事術(military art)の次元以上で、戦術の領域とは異なった、戦略の領域に従属するものである。この次元は、戦争の作戦的次元と呼ばれる。作戦的次元は、戦略と戦術の間をつなぐものである[10]。作戦的次元の行動は、戦略によって作られるそれ自体の若干大きなデザインの文脈において、戦術的な行動に意味を与えることを狙いとする。別の方法で表現すると、作戦的次元の我々の狙いは、戦術的な努力から戦略的に意味のある結果を得ることである

したがって戦争の作戦的次元では、我々は考察し、焦点を決めて、戦略的到達目標(strategic goal)を達成するために、いろいろな戦術的な行動を利用する。真髄として、作戦的次元は、戦略的到達目標(strategic goal)を果たすために、何時、何処で、何の目的で、そして、どのような状況で戦うかまたは戦いを拒否するかを決めることが必要である。作戦は、部隊の展開、戦闘へのそれらの関与または撤退と戦略的目標(strategic objectives)を達成する連続した戦術的な行動の順序付け(the sequencing of successive tactical actions)を決定する。

これらのタスクの本質(nature of these tasks)は、作戦指揮官が計画のコンセプトと実行に関してある程度の自由を保持することを必要とする。「戦役計画の基本的なコンセプト(basic concept of a campaign plan)は、その戦役を方向づけなければならない人の心に留めておくべきである[11」上級権威者が作戦コンセプト(concept of operations)を定めている場合は、指揮官がそれらの任務と戦略的目標(strategic objectives)の間のつながりの代わりに単なる戦術的な任務の執行者になる。これは、このような北ヴェトナムに対する多くの米航空作戦での事例であった。

用語「作戦(operations)」は戦略的志向(strategic orientation)が作戦指揮官(operational commander)に直接の戦闘の範囲よりも広い観点を考慮することを強いるので、「戦術(tactics)」が取り扱うよりも幅広い時間と空間の範囲を包含する[12]。戦術家が会戦を行うのに対して、作戦指揮官は将来の戦闘行動を可能とする最も良好な状況を確立するために、前もって事象を形づくることを追求し、会戦以上に気を配らなければならない。作戦指揮官は同様に、あらゆる現実の戦闘(勝ち、負け、引き分け)の成果の最大の優位性(advantage)を出すことを求め、そして、最も大きな戦略的優位性(greatest strategic advantage)のために結果として生じた状況を利用する方法を見いだす。

戦争の作戦的次元については、時々大部隊戦術(large-unit tactics)として述べられるけれども、指揮の階層によって作戦的次元を定義することは誤りである。軍事行動上の要求は、決して大規模なものを必要ともしないし、重要な政治的な影響を持つために広範囲にわたる戦闘を含む必要もない[13]。戦術的な行動とそれらの戦略的な効果の間の隔たりは、大いに紛争の内容によって様々なものになる。たとえば、第二次世界大戦において、戦略的な効果は、通常、そっくりそのまま陸軍または艦隊の作戦だけから得られることができた。将来の非常に大規模な通常型の紛争において、軍団指揮官は、最も低い指揮階層の作戦指揮官にもなりえる。ソマリアでは、他方、戦略的な(すなわち、政治的な)効果は、分隊またはさらに個人の行動から結果として起こりえた。軍隊の規模または戦術的な行動の範囲に関係なく、直接戦略的目標(strategic objective)を達成することができれば、その時は作戦的次元が利用されることになる

戦略と作戦の関係 STRATEGIC-OPERATIONAL CONNECTION

自己完結した戦争の次元はない。戦略的、作戦的、戦術的な指揮官、軍隊と事象は、お互い絶えず相互に作用している。我々が指揮系統を上から下へ指示(directives)と権限(power)が流れる階層的なピラミッドとして見るけれども、実際は、指揮構造は、さらによりクモの巣のようである。つまり、あらゆるポイントのタグには構造を通じて影響がある。したがって、情報(information)はあらゆる方向に自由に流れなければならない。異なる比喩を使えば、指は脳が感じているものを知っていなければならず、そして、脳は指が実際に触れているものを知っていなければならない。

我々は、政策立案者によって構想される政治的な終結状態(political end state)が全ての軍事行動の戦略的到達目標(strategic goal)を決定することを常に肝に銘じなければならない。我々は、戦略と作戦の関係は、双方向に及ぶことも理解しなければならない。つまり、まさに戦略が戦役のデザイン(design of the campaign)を形づくり、そして、戦略も作戦上の周囲の事情と事象(operational circumstances and events)に適応しなければならない。

戦略は、三つの基本的な方法で作戦を導く。それは狙いの確立、資源の割り当て、軍事行動に制限(restraints)と制約(constraints)を強要することである。敵の本質及び活動と作戦地域の特徴、戦略的指針(strategic guidance)は、共に、我々が作戦を遂行することのできる限界を規定(define)する。

第一に、戦略は軍事戦略的狙い(military strategic aim)を確立することによって、政策目標(policy objectives)から軍事的な用語(military terms)に転換する。我々の軍事力は、どんな政治的な効果を達成しなければならないか?我々の戦術部隊は、我々の意志に敵を屈しさせ、または完全に敵を破壊するために、どんな敵の資産を奪い、中立化し、威嚇し、または、実際に破壊するのか?作戦指揮官の主要なタスクは、軍の戦略的任務を最も直接に達成する行動の順序を決定して、追求することである。軍事戦略的狙い(military strategic aim)がより広い国家戦略の一つの部分でしかないことを心にとめておくことは、重要である。

戦略家は、実際の進展に照らしてコスト、能力(capability)と期待を再評価して、狙いを修正する用意ができてなければならない。確立した狙いを続行することを要求される一方、作戦指揮官は上官(superiors)に関連したリスクを伝えなければならない。狙いが不明なとき、指揮官は説明を求めなければならず、曖昧なままに継続した場合の影響-肯定的または消極的な-を伝えなければならない。

第二に、戦略は軍事作戦に対して、例えば用具や人員のような有形の資源と、政治的な一般の支持のような無形の資源の両方の資源を提供する。資源が技術、才能、献身と創造力の全てが利用することができるにもかかわらず不十分なとき、作戦指揮官は追加資産を探すか、狙いの修正を要請しなければならない。

第三に、軍事作戦が政治的、社会的関心によって影響を受けるので、戦略は、軍事作戦遂行上の条件を課す。これらの条件は、制限(restraints)と制約(constraints)の形態になる。制限(restraints)は、ある種の軍事行動を禁止(prohibit)するか、制限(restraints)する。例えば1950年に韓国のヤル川の北の目標を爆撃することに対してマッカーサー将軍に強要した禁止令、または第二次世界大戦において最初に化学兵器の使用をしないという米合衆国の政策である。制限(restraints)は戦争法規(laws of warfare)のように不変であるか、あるいは、交戦規定(rules of engagement)のように状況によるものである。制約(constraints)は、他方、指揮官にある種の軍の行動方針への義務を負わせる。例えば、南部連合軍の政策は、より柔軟な防衛を用いるか、広範囲のゲリラ戦術に頼るよりはむしろ、できるだけ領域を保持しようとするジェファーソン・デイビス大統領の決心、または連合国のアラブ・メンバーが湾岸戦争の間のクウェート市の解放者でなければならないという決心である。同様に、戦略は、エイブラハム・リンカーン大統領が認めた、北部の民衆の決議がぐらつかないうちに南北戦争を早く終わらせる必要性のように、迅速な勝利を獲得する作戦を指揮官に強制する。

戦略によって強要される条件が確立した狙い(established aim)の達成を妨げるくらい厳しい時、指揮官は狙いか限定(limitations)の緩和を要請しなければならない。しかし、軍事力の使用にとって「政策は、導くインテリジェンスである(policy is the guiding intelligence)」ので、我々はより高い権威者によって作戦に強要される条件に機械的に批判的ではならない[14]。それでもなお、上級指揮官は、軍の失敗の言い訳としてより高い権威者によって強要される条件を持ち出すことはできない。

戦術と作戦の関係 TACTICAL-OPERATIONAL CONNECTION

戦略が戦役のデザイン(design of the campaign)を形づくるように、同時に作戦上の周囲の事情と事象(operational circumstances and events)に適応しながら、作戦は、戦術と相互に作用しなければならない。政治的狙いと戦略的狙いに根ざしている作戦計画と指示(operational plans and directives)は、戦術的行動のための必要な焦点と到達目標を確立する。作戦計画策定(operational planning)は、戦術的な意思決定の文脈を提供する。この作戦的一貫性がなければ、戦術的な次元の戦い(warfare)は、一連のつながりのない、焦点の合わない戦術的行動に還元される。作戦は最も効果的に戦術的行動を繋ぎ合わせ、無駄なく狙いを達成することによって戦略を満たし、作戦は、我々の戦術的行動に最も有利な条件を確立することによって、戦術をも満たす。言い換えると、成果がもちろん単に当然のことのように、我々は状況を形づくろうとする。「したがって」、孫子は言う。「熟練した指揮官は状況に勝利を求めて、部下に勝利を求めない[15]」まさに我々が我々の方向を得るために戦略と絶えず連結しなければならない戦術的な結果は戦役の遂行に衝撃を与えるので、彼らは開発する戦術上の周囲の事情(tactical circumstances)に適応するために柔軟性も維持しなければならない。戦役が戦闘のために枠組みを作り、そして、戦術的な成果も戦役の遂行(conduct of the campaign)を形づくる。この点に関して言えば、タスクは戦略的優位性(strategic advantage)に戦術的な進展-勝利、引き分け、敗北さえも-を活用することである。

戦争の次元における相互依存 INTERDEPENDENCE OF THE LEVEL OF WAR

戦争の次元は、階層を形成する。戦術的な交戦は会戦の構成要素であり、そして、会戦は戦役の要素(elements of a campaign)である。次に、戦役は、それ自体、政策の目標(objectives of policy)を獲得するための戦略的デザイン(strategic design)の一つの段階である。明白な階層が存在する反面、はっきりした境界は次元の間にない。むしろ、それらは一緒に組み合わされて、連続体を形成する。

従って、指揮の特定の階層が、一つの戦争の次元だけに、必ずしも関心を持つというわけではない。戦域指揮官の関心は、明確に戦略と作戦にある。海兵隊空地任務部隊(MAGTF)指揮官の責任はいくつかの状況においては作戦的で、他の大部分は戦術的で、更に他では実際には、戦術的から作戦的な範囲の中で推移する。戦争の進展によって、指揮官の責任は紛争の規模と本質(scale and nature of the conflict)に依存して、階層の範囲内を上下に動く。

一つの次元の行動は、他の次元で状況にしばしば影響を与える[16]。いろいろな次元の間の調和は、成功を増強する傾向があり、一方で不調和が成功を打ち消す傾向がある。明らかに、一つの次元の失敗は、当然他の次元での成功を少なくする傾向がある。

おそらく、実際の戦闘で勝つために使用される戦術がより高い次元において成功を妨げることは明確ではない。反乱軍を住民から分離することで拡大する反乱を鎮圧する戦略を取っているが、軍事的な戦術が、広範囲に副次的な死と損害を生んでいる政府を想像してみて欲しい。政府の戦術は住民を遠ざけ、敵を政治的にも戦略的にも強化し、敵の主張をより魅力的にする。

一つの戦争の次元の輝き(brilliance)は他で欠点をある程度克服する、しかし、まず、それは明白な力量不足(incompetence)を克服することはできない。作戦的力量(operational competence)は、戦術的な次元で成果を達成する実力(ability)がなければ意味がない。戦略的力量不測(strategic incompetence)は、作戦の成功が得たものを浪費するだろう。

階層における影響の自然な流れは、最上部で最も大きい。つまり、それはずっとおそらく、その戦術的で作戦的輝き(tactical and operational brilliance)が戦略的力量不測(strategic incompetence)または戦略的不利(strategic disadvantage)を克服するより、戦略的力量不測(strategic incompetence)が作戦的で戦術的な成功を無駄にするということである。ドイツ人は、二度の世界大戦において戦術的に、そして、作戦的に優れていたと考えられている。しかしながら、彼らの戦略的力量不測(strategic incompetence)が、勝利への克服し難い障害であることを証明した。反対に、火力で劣り、戦術的に圧倒されたヴェトナムの共産党は、戦略的に勝った。

流れは、同様に逆に働くことができる。一つの次元の輝きは、少なくとも一つには、より高い次元の欠点を克服することができる。このように、南北戦争においてリンカーン大統領が彼らの優位性(advantage)を主張する指揮官(グラント将軍)を見いだすまで、東部戦場の南部連合軍のリーダーの戦術的・作戦的能力はしばらく北部の戦略的優位性(strategic advantage)を寄せつけなかった。同様に、北アフリカで、第二次世界大戦の初めに、ドイツのアーウィン・ロンメル将軍のアフリカ部隊の戦術的・作戦的才能は、しばらく英国の戦略的優位性(strategic advantage)を打ち消すだけだった。

最終的に重要なものは戦略的次元の成功である。政策の関心事は第一に戦争の動機である。そして、それは戦争における、我々の成功または失敗を決定づける我々の作戦の政治的な効果である。「上から下まで」、それと「下から上へ」を確実にするために我々の軍の努力の全ての構成要素が調和していることに比べれば、ある種の活動がどの次元で起こるか、あるいは、次元の間の遷移がどこで起こるか理解することは、全く重要なことではない。戦闘の結果が戦役のより大きな文脈だけに関連するので、我々は戦術的な領域(tactical domain)を分離して決して見てはならない。次に、戦役を戦略の文脈からの意味を求める。

戦役 CAMPAIGNS

作戦指揮官が戦略的到達目標を達成する条件を追求する主要なツールは、戦役(campaignである。戦役は週または月の単位で行われる傾向がある、しかし、それらは年にわたることもある。それらは、規模において戦域またはさらに国家最高軍事指揮権限次元で支配される大きい戦役から戦闘軍(combatant command)の中で統合任務部隊(joint task forces)によって行われるより小さな戦役まで大きな幅がある。別々の戦役は同じ紛争の中で逐次的に行われ、そして、各々が最終的な戦略的到達目標に至る中間の目標を追求する。複数の戦場があるならば、同時にいくつかの戦役を追求することは、可能である。現代では、通常一つの地理的な戦域や作戦戦域で同時におこるもの-各々の米国の紛争または戦争以外の軍事作戦(military operations other than war:MOOTW)-は、一つの戦役である[17]。その戦役は性質として常に統合であって、地域の最高指揮官か従属する統合部隊指揮官の指揮下にある。統合部隊指揮官の戦役は一連の関連した主要な作戦から成り立つ。そして、その幾つかは単一の軍種によって行われる。

しかし、過去には、「戦役(campaign)」という語は、非常に柔軟に使われた。歴史家は、より大きな範囲内で、しばしばより小さい戦役に言及する。たとえば、第二次世界大戦の連合軍太平洋戦役は、南西太平洋のダグラス・マッカーサー将軍、南太平洋のウィリアム・ハルシー提督と中心太平洋のチェスター・ニミッツ提督による下位の戦役から成った。南太平洋でのハルシー提督の戦役それ自体は、ガダルカナルからブーゲンヴィルまで作戦で構成されソロモン諸島の5カ月の小さな戦役を含む。同様に、まるでそれらで独立戦役を構成するように、我々はしばしば「航空作戦(air operations)」または「潜水艦作戦(submarine operations)」について耳にする。それにもかかわらず、砂漠の嵐戦役が初期の段階(phase)を航空戦力によって支配していながら、我々は空戦の戦役(air campaign)として言及しない。

時々、これらの作戦の関係は、すぐに明確にはならない。それらは、エルドラドキャニオン作戦、1986年のリビアに対する懲罰的な米軍の空爆のような孤立した戦術的な事象のようである。外面上は、この作戦は、特定のリビアの行為、二人の米軍人が殺され、多数が負傷したベルリンのラ・ベル・ディスコ爆破への単一の軍事的な応答であるように見えた。実際、この作戦は、国際テロのリビアの財政援助を縮小するか取り除く戦略的目標(strategic objective)を遂げることを意図とする行動のとても大きな一連の部分であった。非軍事行動は、リビアのテロリズムへの支援を公表する情報(information)と、経済制裁と外交的に結びついたリビアの孤立化を含んでいた。軍事行動は、米軍の決意を示したシドラ湾で実行される自由の巡航作戦の一連から構成され、リビア政府に向けてより大きな圧力をかけた[18]

会戦と交戦 BATTLE AND ENGAGEMENTS

会戦(battleは、戦術的な交戦に関連する一連のものである。会戦は交戦より長く続いて、より大きな戦力を伴う。敵対者が重大な目標(significant objective)のために特定の時間と場所で決心した闘いに取り組むときに会戦は起こる。従って、会戦は通常作戦上重要である(必ずしも作戦上決定的であるというわけではないけれども)[19]。これは、必ずしもそうでない。敵対している陸軍に対しておよそ100万人の犠牲者を負わせている1916年(それは実際に4ヵ月半にわたる一連の確定的でない会戦であった)のソンムの会戦は単に約8マイル、正面を動かすだけだった。

通常、交戦(engagementは機動部隊(maneuver forces)の間の、小さな戦術的な紛争である[20]。いくつかの交戦が、会戦を構成する。我々の意図が成果から優位性(advantage)を得ることになっているけれども、交戦は作戦上重要であるか、重要でない。

会戦と交戦は、戦役の潜在的な分岐点を示す武力衝突(armed collisions)である。このような戦闘が認識できる構造を提供するのに対して、戦闘に意味を与えるのは戦役のデザイン(campaign design)である。いくつかの戦役には、湾岸戦争に続いて起こっているイラクを孤立させる戦役の場合のように、軍事力は脇役を演じて、本当に主たる努力(main effort)でない。その場合、戦術的な行動は小さくて、まれで、政治的および経済的な制裁を強いて、主に封鎖(blockades)を維持するために行われる。軍事力が主たる努力(main effort)を示す戦役でさえ、時々、小さな交戦がとても連続し大きな会戦は非常にまれで、戦役は延々と続く一つの戦闘行動のようである。たとえば、我々は「大西洋の会戦(Battle of the Atlantic)」として大西洋でドイツの潜水艦に対してしばしば連合国の第二次世界大戦戦役に言及する。ゲリラ戦争(guerrilla wars)と反乱(insurgency)は、しばしば類似したパターンをたどる。戦役の構造は、そのような場合、時々、敵対者の運命の引き潮と流れ(ebb and flow)が突然の、劇的な事象でよりむしろ少しずつ起こるので、認めるのが難しい。

戦役が異なった会戦を伴うときでも、作戦的優位性(operational advantage)と戦略的優位性(strategic advantage)は戦術的な敗北にもかかわらず得られるはずである。米独立革命におけるカロライナ2州の英国軍に対するナサニエル・グリーン将軍の戦役は、その例を提供する。1781年の冬に、グリーン将軍はコーンウォリス卿によって指揮される英国軍との交戦を避けるために、ほぼ2ヵ月の間自分の軍を機動させた。1781年3月に、ヴァージニアとノースカロライナからヨーロッパ大陸の兵士、民兵とライフル銃兵によって増強されて、グリーン将軍はノースカロライナのギルフォードコートハウスで英国軍に挑戦することに決した。戦場から撤退することを強いられたが、それらが支えたより多くの犠牲者を負わせて、米軍はよく戦った。この交戦(グリーン将軍の敗北)は、戦役の分岐点であることがわかる[21]。英国軍は、それまでの追跡と補給の不足で疲れきっており、彼らの戦術的な勝利を活用することができず、海岸に撤退した。そして、彼らの散り散りになったサウスカロライナ駐屯軍を無防備にした[22]

ポイントは、会戦の勝利だけが大きな終結(larger end)への可能な手段であるということである。目的(object)は実行可能であるのと同程度に小さい戦闘で戦略の狙い(aim of strategy)を達成しなければならない。そして、「可能な限り心もとない規模まで闘い」を縮小する[23]

しかし、我々は一般原則上の闘いを避けることができる-すべきだ-と伝えているわけではない。我々が行う非常に多くの闘いは、対立する相手の強さ、技能、意向と決心によって変わる。アイデアは、我々が望むところで、そうしなければならない時、つまり我々に優位性(advantage)があり、それを得るために重要な何かを持っていて、我々は闘いなしで得ることができない時にだけに会戦を行う。しかし、我々は相手自身のアイデアによる敵対的な意志と対抗するので、この選択が必ずしもあてはまらない。時々、熟練した敵によって強制されるとき、あるいは、政治的な義務が我々を束縛するとき、我々は不利な立場で戦わなければならない。(そのケースとして古いワルシャワ条約に対するドイツ前線の防御の北大西洋条約機構の計画は実行された。)

比較事例研究:グラント将軍対リー将軍A COMPERATIVE CASE : GRANT VERSUS LEE

南北戦争の間のユリシーズ・S・グラント将軍とロバート・E・リー将軍の戦略的で、作戦的で、戦術的なアプローチの比較の調査は、次元の相互作用の興味深い具体例を示す。一般的に、グラント将軍を歴史は殺し屋として、リー将軍を軍事的な天才として見る。彼らの政策の必要性の理解と彼らの戦略的、作戦的、戦術的方法の一貫性の研究は、異なった視点で問題を捉えられる[24]

政策 Policy

北部は、きびしくて複雑な政治問題の要求に直面した、すなわち、「完全に占領するか、完全に支配するために非常に広範囲にわたる権限を膨大な領土の帝国に再び主張した[25]」さらにまた、リンカーン大統領は北部の民衆は出来るだけ良い状態で限定した迅速な勝利を決していると認識した。リンカーン大統領の調停の最初の政策が失敗して、大統領は唯一の許容できる狙いとして南部の無条件降伏を選んだ。リンカーン大統領の、狙いを達成する戦略を考案できる将軍探しは、1864年3月にグラント将軍を探し当てたことで終わった。比較して、南部の政策的狙い(policy aim)は、新しい独立宣言を維持することであった。南部の戦略的狙い(strategic aim)は北部の意志を曲げることはよりコスト高になることから単に北部の成功を阻止することであった。

軍事戦略 Military Strategy

南部の政策目標(policy objectives)は、北部の決意を崩壊させる手段としての戦争を長引かせることを狙いとする疲弊の軍事戦略(military strategy of erosion)を指図していたと見える。実際、これはジェファーソン・デイビス南部同盟大統領によって好まれる戦略であった。このような戦略は、南部地方の陸軍の緊密な調整と南部連合軍の劣勢の資源の慎重な節約を必要とする。しかしながら、実際には1865年前半にリー将軍が指名されるまで代表の南部地方の将軍が任命されるというわけではなかった。間違いなく、その原因は南部のそれぞれの州に軍事資源が不十分であり、国家の権利としての南部連合軍の基本的な政治哲学がなかったからである。さまざまな戦場での戦役は、ほとんど独立して行われた。

北部のヴァージニアで敵の陸軍に集中するというリー将軍の決心はグラント将軍のものより大いにより狭い見通しを反映し、そして、事実、彼は、リッチモンドを防御することを政治的に強制された。しかしながら、この決心は、また、リー将軍の主張する攻撃的な戦略-単に戦争の初期の場合のように攻撃的な防衛だけでなく、最終的には、北部の意志を挫く手段として北部への侵入を狙いとした1862年と1863年の野心的で攻撃的な戦略に負うものである。(図参照)南部の相対的な弱点[26]-南部の政策的狙いを達成する現実的な手段として、そして、また、作戦的現実性、特に攻撃的な戦役を継続する兵站的実力(logistical ability)の両面-から見てもリー将軍の戦略はいくら良く見ても疑わしいものだった。

南部連合軍の生き残りという単純な到達目標にもかかわらず、リー将軍はそれが彼らの戦略的目的に納まる侵入の二つ戦役から成る野心的な攻撃的な戦略を採用した。

1864年のグラント将軍の戦略は、確立した政策目標(established policy objectives)を直接支えるものだった。彼は、すぐに彼の軍事戦略的狙い(military strategic aim)は、リー将軍の陸軍の破壊でなければならないと認識し、そして、彼は断固としてその狙いに重点を置いた殲滅の戦略(strategy of annihilation)を考案した。できるだけ迅速に戦争を終える政策目標(policy objectives)と整合させ、グラント将軍は、急速に彼の相手のまわりで環を閉じるために全ての最前線で同時に、攻撃的な行動を開始した。(図参照)

◎ ジョージ・ミード将軍のポトマック軍はリー将軍の北ヴァージニア軍とともに対決することになっていた。そして、厳しくそれを追求した。「リー将軍の陸軍が、目標である。彼がどこに行こうとも、そこに向かう[27]」グラント将軍の司令部は、ミード将軍に同行した。

◎ シェナンドア川流域では、フランツ・シーゲル将軍は、適所にリー将軍の部隊の大部分を拘束することになっていた。「言い換えると」、グラント将軍は続けて、「シーゲル将軍はリー将軍がいくつかの皮で覆われているために皮をはぐことができないならば、彼は足を掴め[28]

◎ リッチモンドの南部の半島で、バトラー将軍は、占領任務から南部地方の海岸に沿って引き継いだ部隊によって強化された。彼は北へ移動することになっていて、ミード将軍より異なる方向から、リッチモンドを脅かすことになっていた。

◎ ウィリアム・T・シャーマン将軍は、海岸に沿ってジョージア州の西から掃討することになっていた。「あなたに私が、ジョンストン将軍の陸軍を分断して、出来るだけ深く、敵の国の内部に入り、彼らの戦争資源に対して出来るすべての損害を負わせるためにジョンストン将軍の陸軍に向かって移動することを提案する[29]」ジョージア州とカロライナ2州で南部同盟部隊を排除した後に、シャーマン将軍の陸軍は、リー将軍の戦略的包囲のために北部に移動する。

◎ ニューオリンズの近くで連合軍陸上部隊と海軍は集中し、アラバマ州モバイルを取ることにしていた。それで、この機能している南部同盟の海港の一つを遮断する。

できるだけ迅速に戦争を終える政策目標(policy objectives)に整合して、グラント将軍は彼の相手のまわりの環を閉じるために全ての最前線で同時に攻撃的な行動を開始した。

政策を成功させる軍事戦略(military strategy)に変換することができる指揮官を最終的に見いだしたことに満足して、リンカーン大統領は1864年8月にグラント将軍に手紙を書いた。「『あなたの計画の詳細について私が知りもしないし、知ろうとも思わない・・・・私は、あらゆる制限(restraints)または制約(constraints)をあなたに押しつけようとは思わない』[30]

1864年の作戦 Operations in 1864

可能な限り迅速にリー将軍を粉砕するグラント将軍の戦略と整合させ、そして、グラント将軍は積極的に多くの人的コストを払っても頻繁に会戦を追求することによる彼の実力(ability)を認識した。彼は、リー将軍を阻止することを強要する方法でリッチモンドに対する行動によってそれを達成した。グラント将軍は、痛手を癒すために決して後退せず、むしろ、特定の戦闘の成果を基本となる優位性として何が何でも押し付けるために厳しく続けた。それでも、いくつかの例をもって、グラント将軍を不慣れな殺し屋として軽んじることは公平性を欠く。

彼は、戦い(warfare)を転換させる蝶番としてナポレオン時代と同時代の一般的な脅迫観念から自由になることを示した。その代わりに、単一の会戦の持つ宿命を上回る事象の長い一連の流れを支配する-彼の最終的な目的を満たすように単一の会戦の勝利、引き分け、またはさらに敗北を等しく取り扱うという意味-高度に非凡な実力(ability)を開発した[31]

一方で、リー将軍は、より弱い部隊を持ったら、彼の願いは一般的な戦闘を避けることであると述べた[32]。実際には、しかしながら、彼は敵が手の届く範囲だったときはいつでもナポレオン時代の会戦の最高潮の誘惑に抵抗することは出来ないようであった。多くの戦術的な成功にもかかわらず、リー将軍は最終的にはペテルスバーグで防備に縛りつけられた、そこで、1864年の中ごろから1865年4月の初めにかけてグラント将軍によって包囲された。リー将軍のペテルスバーグから逃避する最終的な試みは、1865年4月9日にアポマトックスでリー将軍の陸軍の捕獲に終わった。(図参照)

最も重要な付随する戦役-ポトマック軍以外で-は、シャーマン将軍のものであった。彼の初戦の相手、ジョセフ・ジョンストン将軍は-リー将軍と対照的に-戦いを延ばすために南部連合軍の必要性を認識した。

ジョンストン将軍は防御的機動の戦争(war of defensive maneuver)を闘い、露出した敵の分遣隊に襲い掛かる機会を求め、そこに戦端を開こうと敵を誘い込んだ、その間に、正面攻撃によって敵の資源を浪費させるため敵を誘いこもうと強い防御陣地から他の地点に移動した。しかし、側面に回られるか、罠にかけられるリスクのために決して十分に長くは続けられなかった[33]

グラント将軍は、明確に彼の狙い-リー将軍の陸軍の破壊-を定義する。グラント将軍は、リー将軍に戦いを強要するためにリッチモンドに機動(maneuvering)し、厳しく攻撃した。グラント将軍のミード将軍への指示:「リー将軍の軍隊が、目標である。リー将軍が行くところにはどこであってもついて行け」

チャタヌーガとアトランタの間で、最小の負傷者の被害を受けながら、ジョンストン将軍はシャーマン将軍に一日平均一マイルの前進を維持させた。ジョンストン将軍の戦役について、グラント将軍は、以下のように記している。

私の中では、ジョンストン将軍の戦術が正しかったと考える。戦いを断念してもよく、独立に同意してもよかったのに、おそらく何かが、-最終的に終わってしまえば、戦争を長引かせてしまったことで-このように北部を疲弊させた[34]

戦術 Tactics

第二マナッサスの会戦とチャンセラーズヴィルの会戦等のリー将軍の劇的な戦術的な成功は、それ自身で物語っている。それでも、リー将軍もグラント将軍も革新的な戦術として描くことができない。実際、両方ともほとんど一日の密集隊形戦術でライフルボアの技術的な効果を知らなかった。そして、両者とも結果として多くの負傷者を出し苦しんだ[35]。しかしながら、グラント将軍は相対的な戦略的状況によって、陸軍は血を流すものというリー将軍よりも、戦術的な無知から生じる負けを緩和できた。このように、グラント将軍の戦略的優位性(strategic advantage)が、戦術的次元に持ち込まれた。

グラント将軍の活動は、戦争の全ての次元で相互に支えることであり、政策の目標(objectives of policy)に重点を置いたと云える。リー将軍の戦略と作戦は、-少なくとも部分的には-お互いに、政策の要求においても、そして、戦闘の現実でも、相容れなかったように見える。結局、リー将軍の戦術的な才能は、南部連合軍の作戦的・戦略的欠点を克服することができなかった。

米海兵隊と戦役遂行 THE MARINE CORPS AND CAMPAIGNING

戦争の異なる次元の到達目標が相互に作用することを描くことで戦役を紹介した、この前提を妥当であるとしたときに米海兵隊は、今我々自身に問わなければならない。我々は、いくつかの見通しからこの質問に答えることができる。海兵隊空地任務部隊(MAGTFs)は戦役に参加する。そして、海兵隊員は統合参謀に貢献して、戦役のデザインに参加する。海兵隊空地任務部隊(MAGTF)指揮官と彼らの参謀は、戦役を支える主要な作戦をデザインすることで海兵隊の意義を見いだす。

組織的に、海兵隊空地任務部隊(MAGTF)はいろいろな戦術的な行動-水陸両用、航空、陸上-を遂行するために独自に装備し、そして、首尾一貫した計画(coherent scheme)の中でそれらの行動を順番付けてまたは組み合わせる。海兵隊空地任務部隊(MAGTF)の有機的航空は、指揮官が縦深に戦力を投射し、時間と空間に事象を形づくることを可能にする。地上、航空と兵站行動の戦術的統制のための独立した司令部による指揮構造は、戦争の作戦的遂行に焦点を置くために海兵隊空地任務部隊(MAGTF)指揮構成要素を解放する。

海兵隊空地任務部隊(MAGTF)は、多くの場合、未開の作戦の戦域(theater of operations)に最初に足を踏み入れる米軍部隊である。その場合、海兵隊空地任務部隊(MAGTF)指揮官は海兵隊空地任務部隊(MAGTF)の規模に関係なく多くの場合、作戦的次元の責任を持っている。場合によっては、海兵隊空地任務部隊(MAGTF)は統合任務部隊司令部の中核となる。さらに進展した戦域(developed theater)において、海兵隊空地任務部隊(MAGTF)はより大きな戦役の一部として戦略的目標(strategic objective)の追求において、主要な作戦を行うために必要とされる。海兵隊空地任務部隊(MAGTF)の指揮官は、 統合戦役または多国籍戦役でその最も効果的な作戦的適用(effective operational employment)を描く用意ができていなければならない。

ニュースメディアは、そのグローバルなリーチと民衆の意見に影響を与える実力(ability)のため、作戦的効果を持つことができる。つまり、それは多くの場合、重要でない戦術的な行動でさえ、政治的に重要なものとすることができる。従って、海兵隊員は戦術的な行動がどれくらい政治にインパクトを与えるかを理解しなければならず、これは、作戦的次元での戦争を理解する真髄である。

最終的に、指揮の階層または活動の規模に関係なく、たとえ行動がしっかりと戦術的な領域で終わるとしても、ここで描かれる方法論-到達目標の追求において革新的な一連の行動を考案して、実行すること、そして、その到達目標のために戦うために時間と場所を決めること-が適用される。

ノート

[1] アンリ・ジョミニ「戦争概論」 (Westport, CT: Greenwood Press, 1971) p. 178. ジョミニが戦略的として記述したものは今日では作戦として分類される。.

[2] B.H. リデル・ハート「戦略論」(New York: Praeger, 1967) p. 338..

[3] 「元帥モンゴメリーの回顧録」(New York: World Publishing Co., 1958) p. 197..

[4] Joint Pub 1-02, Department of Defense Dictionary of Military and Associated Terms.

[5] Joint Pub 3-0, Doctrine for Joint Operations (February 1995) p. III-4.

[6] B.H. リデル・ハート「戦略論」 351ページ.

[7] 軍事戦略(Military strategy):「武力の適用または武力の脅威によって国家政策の目標を保証するために国の軍隊を用いるアートとサイエンス。」

戦争の戦略的次元(Strategic level of war):「国家しばしば一群の国のメンバーとしての戦争の次元、国家であるか多国籍の(同盟または有志連合)治安目標と指針を決定し、そして、これらの目標を達成するために国家資源を開発して、使用する。この次元の活動は、国家及び多国籍の軍の目標を確立する;主導権の配列;国力の軍でその他の手段の使用のための限界を定義し、リスクを評価;これらの目標を達成するためのグローバルな計画または戦域戦争計画の開発;そして、戦略諸計画に従って軍隊とその他の能力に供給。」(Joint Pub 1-02)

[8] 戦略的コンセプト(Strategic concept):「戦略的状況の見積りの結果として受け入れられる行動方針。軍事的、外交的、経済的、心理的、他に起こるその他の尺度の枠組み内で使用できる十分に柔軟な広範な用語の文章。」(Joint Pub 1-02)時にはそれを「戦略」と呼ぶ。

[9] 戦争の戦術的次元:「戦術単位またはタスクフォースに命じられる軍の目標を達成するために計画され実行される会戦と交戦の戦争の次元。この次元の活動は、戦闘目標を達成するために相互に関して敵に戦闘部隊の秩序ある配列と機動に焦点を合わせる。」(Joint Pub 1-02)

[10] 戦争の作戦的次元:「戦域または作戦地域の中で戦略的目標(strategic objective)を達成するために戦役と大規模な作戦が計画されて、実行されて、維持される戦争の次元。この次元の活動は、戦略的目標(strategic objective)を達成するために必要な作戦目標を確立することによって戦術と戦略を結ぶ。作戦目標を達成するために事象を配列して、行動を開始する。そして、これらの事象をもたらして、維持するために資源を適用する。これらの活動は、戦術より時間または空間のより広い次元を意味する。彼らは、作戦部隊の兵站と行政上の支持を確実とし、そして、戦略的目標(strategic objective)を達成するために、戦術的成功が活用されるよう手段を供給する。」(Joint Pub 1-02)

[11] エーリッヒ・フォン・マンシュタイン「失われた勝利」(Novato, CA: Presidio Press, 1982) p. 79.

[12] デビッド・ジャブロンスキー「戦争の戦略と作戦的次元」、紛争のスペクトラム全体の戦い(warfare)の作戦術(Carlisle, PA: U.S. Army War College, 1987) p. 11.

[13] 実際、彼らはとても小さくなることができる。たとえば、二つ海兵隊の下士官によって1919年にハイチのゲリラ・リーダーCharlemagne Peralteを殺すことを考える。この期間中、米海兵隊員は、ハイチの占領に関係された。Peralteは、国民の北部の部分で、5,000もの反乱軍を起こした。2月から10月、海兵隊は「cacos」として知られていた反乱軍を追撃した。131もの交戦をしたが反逆の活動を抑えることができなかった。それで、Herman Hanneken軍曹と伍長はcacosに偽装した。William ButtonはPeralteのキャンプに浸入させた、そこで、Hannekenはcacoリーダーを撃って、殺した。北の反乱は、おさまった。この場合、二人の海兵隊員からなる特別な作戦は、7ヵ月の戦闘ができなかったことを達成した。.

[14] カール・フォン・クラウゼヴィッツ「戦争論」マイケル・ハワードとピーター・パレット訳・編集(Princeton, NJ: Princeton University Press, 1984) p. 607.「軍事的な観点を政治的なものに隷属させる以外の他のいかなる可能性も存在しない。」”

[15] 孫子「兵法」 サミュエル・グリフィス訳(New York: Oxford University Press, 1971) p. 93.

[16] エドワード・N・ルットワック「戦略論:戦争と平和の論理」(Cambridge, MA: Harvard University Press, 1987) pp. 69-71 と 208-230 戦争の次元のこの「相互浸透」を議論。.

[17] Joint Pub 3-0, Doctrine for Joint Operations (February 1995) pp. III-4–III-5.

[18]海兵隊予備役W. ヘイズ パークス大佐「戦線を横切る」記要(1986年11月)pp. 40-52、そして、合衆国海軍(退役)ジョセフ・T・スタニック少佐、「ようこそエルドラド峡谷へ」、記要(1996年4月)pp. 57-62。.

[19] 会戦:「より大きな武力を伴って交戦より長い一連の関連した戦術的交戦、そして、戦役の流れに影響を及ぼす。それらは師団、軍団または軍司令官が重大な目標のために戦うとき生ずる。」MCRP 5-2A, Operational Terms and Graphics (June 1997)..

[20] 交戦:「通常対立する機動部隊の間での小さな戦術的対立。」(MCRP 5-2A))

[21] ギルフォード・コートハウス「会戦に関する詳細な議論と英国軍の作戦への影響」、トーマス・E・ベイカー「もう一つの勝利:独立戦争の勝利を促進したギルフォード・コートハウスの米国の挫折のストーリー」参照(New York: Eastern Acorn Press, 1992)..

[22] ラッセル・F・ワイグリー「米国の戦争の方法」(Bloomington, IN: Indiana University Press, 1973) pp. 32-35..

[23] B.H. リデル・ハート「戦略論」338ページ.

[24] J.F.C.フラー「グラントとリー:性格と指揮能力の研究」(Bloomington, IN: Indiana University Press, 1982) 参照 特に pp. 242-283

[25] ラッセル・F・ワイグリー「米国の戦争の方法」, p. 92.

[26] ラッセル・F・ワイグリー「米国の戦争の方法」, p. 118. J.F.C.フラー「グラントとリー:性格と指揮能力の研究」 p. 253.

[27] ユリシーズ・S・グラント「ユリシーズ・S・グラントの個人的な回顧録」(New York: Da Capo Press, Inc., 1982) p. 369.

[28] ユリシーズ・S・グラント「ユリシーズ・S・グラントの個人的な回顧録」, p. 367. 「グラントからシャーマンへ」、4 April 1864. グラントは、直接にリンカーンからの文句を繰り返した。

[29] ユリシーズ・S・グラント「ユリシーズ・S・グラントの個人的な回顧録」., p. 366.

[30] J.F.C.フラー「グラントとリー:性格と指揮能力の研究」, pp. 79–80.

[31] ラッセル・F・ワイグリー「米国の戦争の方法」, p. 139.

[32] ラッセル・F・ワイグリー「米国の戦争の方法」., p. 108.

[33] ラッセル・F・ワイグリー「米国の戦争の方法」., p. 123.

[34] ユリシーズ・S・グラント「ユリシーズ・S・グラントの個人的な回顧録」 p. 384.

[35] J.F.C.フラー「グラントとリー:性格と指揮能力の研究」, p. 268.「この点で、グラントとリーの間に違いがない;どちらも、ライフルまたは旋条砲の完全な力を理解しなかった;どちらも重要の単一の戦術的イノベーションを導入しなかった、そして、しかし、北軍の砲兵戦術が南軍のそれらより上位だったのに対して南軍のライフル戦術は北軍のそれらより上位だった、これらの違いは、統率以外の周囲の事情によった」

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