米海兵隊のドクトリンを読む⑦ MCDP 6 Command and Control その1

米海兵隊のドクトリンを読むシリーズを、これまで5つ掲載してきている。それらは、米海兵隊のドクトリンを読む① MDCP 7 Learning米海兵隊のドクトリンを読む② MDCP 1 Warfighting米海兵隊のドクトリンを読む③ MDCP 1-3 Tactics米海兵隊のドクトリンを読む④ MDCP 1-2 Campaigning米海兵隊のドクトリンを読む⑤ MCDP1-4 Competing米海兵隊のドクトリンを読む⑥ MCDP8 Information である。

今回は、1996年10月発行のMCDP 6 Command and Controlを紹介するものである。2018年4月に用語の修正があったが、内容は全く変更されていない。2022年7月28日掲載の米海兵隊のドクトリンを読む⑥ MCDP8 Informationや2021年1月14日掲載の米海兵隊のドクトリンを読む⑤ MCDP1-4 Competingを読み解く上でも参考となる米海兵隊のドクトリン文書であると考える。なお、本ドクトリン文書の冒頭にあるショートストーリー「Operation VERBAL IMAGE」については割愛している。(軍治)

MCDP 6 Command and Control

U.S. Marine Corps

4 October 1996

前文:FOREWORD

第1章 指揮・統制の本質:The Nature of Command and Control

指揮・統制はどれくらい重要か?:HOW IMPORTANT IS COMMAND AND CONTROL?

指揮・統制とは何か?:WHAT IS COMMAND AND CONTROL?

指揮・統制の基本は何か:WHAT IS THE BASIS OF COMMAND AND CONTROL?

「指揮」と「統制」の関係とは何か?:WHAT IS THE RELATIONSHIP BETWEEN “COMMAND” AND “CONTROL”?

「統制で(in control)」とは何を意味するのか?:WHAT DOES IT MEAN TO BE “IN CONTROL”?

指揮・統制の複雑性:COMPLEXITY IN COMMAND AND CONTROL

指揮・統制は何を作り上げるか?:WHAT MAKES UP COMMAND AND CONTROL?

指揮・統制は何ができる?:WHAT DOES COMMAND AND CONTROL DO?

指揮・統制の環境:不確実性と時間:THE ENVIRONMENT OF COMMAND AND CONTROL: UNCERTAINTY AND TIME

情報時代の指揮・統制:COMMAND AND CONTROL IN THE INFORMATION AGE

結論:CONCLUSION

第2章 指揮・統制理論:Command and Control Theory

第3章 効果的な指揮・統制の創造:Creating Effective Command and Control

前文:FOREWORD

このドクトリン上の出版物は米国海兵隊の指揮・統制の理論と哲学について記述したものである。至極単純に言えば、本ドクトリンの主旨は、種々の敵勢力に対して時間的優位性を保ちつつ、効果的な決心と行動を行うために、我々はどうすればよいか、を述べることである。このことにより、平時から危機、戦争における効果的な指揮・統制の、成長と訓練のフレームワークをすべての米海兵隊に提供する。このドクトリン文書では、情報時代における指揮・統制というダイナミックな課題をどう見るか、どう解決するかという点について、冒険的で抜本的な転換を図るという米海兵隊の確固たる宣言を示している。

米海兵隊の指揮・統制に対する視点は、実際の戦争に対する我々の共通認識と、”Fleet Marine Force Manual 1, Warfighting”(これは米海兵隊ドクトリン文書(MCDP)1用兵(Warfightingに置き換えている)に示された用兵ドクトリンに基づいている。この視点においては、我々が理解するところの戦争の普遍的な特徴と、現代技術により加速する情報爆発の影響の双方が考慮に入れられている。戦争は基本的に独立した敵意を持った意思の衝突であり、我々の指揮・統制に対するドクトリンは、敵勢力が目的を達成するために、我々の行動と計画に積極的に干渉するのを視覚化するためにある。我々は戦争が混乱に包まれたものと認識しているため、我々のドクトリンは、摩擦・不確実性・流動性・急速な変化等により特徴付けられる戦場の複雑な環境における素早く・柔軟で・明白な行動を提供する。我々は、装備品というものはそれ自体が目的ではなく、目的の手段であるということを認識しているため、我々のドクトリンはあらゆる特別な技術から独立して存在するものである。戦争の渦中おける人間という要素に対する観点を鑑み、本ドクトリンは指揮・統制を補助する他の要素と同じくらい重要なものとして、ハードウェアのデザイン・見積り・展開に対するフレームワークを提供する。

このドクトリンを記した出版物は人道支援活動から戦争まで、すべての軍事活動に対して適用される。また本ドクトリン文書は、小部隊のリーダーから上級指揮官まで適用されるものである。さらに言えば、戦闘行動と直接関係のないすべての活動は戦争準備に分類されるため、本ドクトリン文書は(有事の)野外活動と同様に、平時の駐屯地内における行動についても適用される。本ドクトリン文書は、現在開発中である後続の、指揮・統制に関するドクトリン・教育・訓練・装備・施設・手続き・組織の根拠となる。

本ドクトリン文書は、指揮・統制に関する特別な技術や手続きを提供するものではなくむしろ、実際に判断が必要とされる際の広範な指針を提供する。他の指揮・統制に関するドクトリン文書においては、様々な任務を遂行するための、特別な戦術や技術、そして手続きを提供する予定である。「米海兵隊ドクトリン文書(MCDP)5 計画策定(Planning」では、指揮・統制における計画策定について、より詳細に議論している。

「Operation VERBAL IMAGE」は本ドクトリン文書の冒頭にあるショートストーリーであるが、実践における指揮・統制についての文章による描写があり、よい例と悪い例それぞれが存在する。また、様々なキーポイントについても文章中で説明している。この「VERBAL IMAGE」は、残りの文章とは個別に読むことができるし、続けて読むこともできる。第一章は、より効果的な指揮・統制哲学を開発するために、(指揮・統制の)プロセスと、それに付随する問題・機会の本質について、我々は現実的な観察眼を身につけなければならない。という仮定のもとに書かれている。その理解を基に、第二章には指揮・統制の理論について、リーダーシップや、情報管理、そして意思決定といった様々な観点からの議論が記述されている。前章までの結論を基にして、第三章では米海兵隊の指揮・統制に対するアプローチの、基本的な性質について説明する。

このドクトリン文書における要点は、指揮・統制は上級指揮官とその参謀のみが排他的に管轄する分野ではないということである。効果的な指揮・統制のためには全米海兵隊が責務を負わなければならない。それゆえ、本ドクトリン文書では米海兵隊のあらゆる階層における指揮について、指針となるよう書かれている。

米海兵隊総司令官 米海兵隊大将 チャールズC.クルラック

 

第1章 指揮・統制の本質:The Nature of Command and Control

「戦争は不確実性の分野である。戦争における行動の四分の三は多かれ少なかれ不確実性の霧で包まれている。・・・指揮官は彼の目が見ることができない媒体で働かなければならない。彼の最も良い演繹的な力で推測できず。そして、絶え間ない変化に慣れることができない。」

―Carl von Clausewitz

有効な指揮・統制を実行に移すために、我々は最初に基本的性質つまり目的、特性、環境、および基本的な機能を理解しなければならない。この理解は指揮・統制の理論と実践哲学を開発する基礎になる。

指揮・統制はどれくらい重要か?:HOW IMPORTANT IS COMMAND AND CONTROL?

戦争におけるどんなただ一つの活動も指揮・統制ほど重要ではない。指揮・統制それ自体は敵軍に対して攻撃の一つもできないだろう。それは敵の目標一つも破壊しないだろう。それは非常時の再補給品の一つも実行しないだろう。しかしながら、効果的な指揮・統制なしでは基本的な戦闘行動やあらゆるほかのこともできない。指揮・統制がなければ、戦役、会戦、および組織化された交戦は不可能で、部隊は暴徒と化し、政策としての軍事力の従属関係は無差別な暴力に置き換わる。要するに、指揮・統制はすべての軍事作戦と活動に不可欠である。

指揮・統制によって、軍隊の無数の活動は達成する目的と方向を達成しなければならない。上手くやると、指揮・統制は我々の力になる。不十分であれば、より弱い敵に対してさえ被害を招いてしまう。指揮・統制は、指揮官が人、情報、装備、そして、最重要項目である時間を準備することを助ける。

広い意味では、指揮・統制は軍事力と軍事作戦とはかけ離れた分野にも適用できる。スポーツチームから社会、相互作用している要素などを包括する多様なシステムも、何らかの形式の指揮・統制を必要とする。簡単にいって広義の指揮・統制は、なんらかの形で競争や協力作業を行う企業の、生存と成功に不可欠である。指揮・統制は、どんなシステムにとっても生存、成長、生き残りの成功の基本的要求である。

指揮・統制とは何か?:WHAT IS COMMAND AND CONTROL?

指揮・統制には、独特の方法論や考え方、言葉があり、他の機能とは別個に実施されるため、我々は時として、指揮・統制を独立して専門化した機能(兵站、インテリジェンス、電子戦、あるいは管理部門のような機能)として捉えがちである。しかし、実際には、指揮・統制はすべての軍事の機能と作戦の意味を与えて、全体を調和させる。指揮・統制がなければ機能もその他のものも目的を失う。指揮・統制は基本的に指揮官の行うことなので、我々が、指揮官は専門職と考えていないなら、指揮・統制は専門職の業務ではない[1]

指揮・統制は、指揮官がやるべきことを認識し、適切な行動が取られるように取り計らう手段である。時々、この認識は、作戦構想を決めるように、意識的な指揮決定の形を取る。時々、それは我々が危機発生時にすぐに反射的に実行できるように練習し、即座の行動演習のようにあらかじめ調整された反応の形を取る。時々、それは着陸に入る航空機の最終進入の誘導のようにルールベースの手順の形を取る。いくつかのタイプの指揮・統制は、例えば誘導ミサイルの指揮・統制などのようにコンピュータを使用して素早く正確に行う。他の形態では、戦術、作戦、戦略の考案のように熟練し経験豊富な人による直感や判断度合を必要とする。

時には行動下において変化する状況に対応したリアルタイムの指導や指示の形式を取る指揮・統制もある。時にはそれが、事前と後でも発生する。計画とは、目的と目標を決定し、作戦構想を確立し、リソースを割り当て、必要な調整を準備することだが、それが素早く行われるべきものなのかそうでないかにかかわらず、計画は指揮・統制の重要な要素である。その上、計画は、知識を高めて、状況認識を向上する。有効な訓練と教育(部下が戦闘における適切な行動を取れるようにする)は、行動前の指揮・統制を確立する。より早く言及されたあらかじめ熟練している即座の行動演習は、指揮・統制を提供する。展開する前に、明確に述べられる指揮官の意図は、指揮・統制の不可欠の部分である。同様に、交戦の結果と教訓を究明し、将来の戦闘に役立てる事後分析は、指揮・統制に貢献する。

いくつかの指揮・統制の形式は、本来は空域使用統制や支援体制の調整、兵器システムの火力調整のように主に手続き的であるか、または技術的である。他も軍事行動の行使全体にスケールの大きい小さいにかかわらず関係する。それは、構想を定式化し、武力を配置し、資源を配分し監督することを伴う。最後の形式の指揮・統制(武力行使の総合的な行使)はこのマニュアルの我々の第一の関心である。別の方法で指定されない場合、この形態を参照する。

戦争は相対する意志との紛争であるので、敵との関係においてのみ指揮・統制の有効性を測れる。実際問題として、有効な指揮・統制は、敵の干渉に対して我々の指揮・統制活動を防護し敵の指揮・統制を活発に監視し、操作し敵の指揮・統制を遮断することを伴う。

指揮・統制の基本は何か:WHAT IS THE BASIS OF COMMAND AND CONTROL?

指揮・統制は、指揮官に付与された部下に対する権力によって成り立つ。権力には二つの種類がある。公的な権力とは、階級と地位によるもので、公的機関や法律により付帯される。個人としての権威は個人が及ぼす影響力の機能であり、それは経験や信望、技術、性格その他の個人的なものの要素から得られるものである。それは組織の他のメンバーから評価される。公的な権力は行動する力を提供するが、それだけでは十分ではない。もっとも有能な指揮官は、地位と同様に個人の権力をも備えている。当然の帰結として、権力には、義務、あるいは結果に対する責任が生じる。権力があれば、それに見合った責任が存在する。逆に言えば、結果責任を持つ個人に対しては、行動を起こすための同等の権力が与えられるべきである[2]

「指揮」と「統制」の関係とは何か?:WHAT IS THE RELATIONSHIP BETWEEN “COMMAND” AND “CONTROL”?

古典的な指揮・統制の概念では、「指揮」と「統制」は共に、組織のトップから末端へと下されるものだとみなされている[3](図.1参照)。指揮官は指揮下の存在に統制を課する。指揮官は部下を「統制(in control)」し、部下は指揮官の「統制下(under control)」にある。

我々は指揮・統制について、より動的な別の観点を提案する。指揮を権力の行使と捉え、統制は為された行動の影響に対するフィードバックであると見なす。(図.1参照)指揮官は何が為されるべきかを決定し、他者の行動を方向付け、促進することによって指揮を下す。統制は、フィードバック(指揮官に対して連続的にもたらされる、展開中の状況の情報)の形態をとり、指揮官はその情報によって、指揮を修整することができる。フィードバックは最終目標と、現在の状況の差異を提示する。フィードバックはあらゆる方向から、あらゆる形態で到来する-敵勢力がいかに対応しているかに関するインテリジェンス、隷下/隣接部隊の状態に関する情報、あるいは状況の展開に応じて修正された指示等。フィードバックとは、指揮官の、状況に応じた変化―わずかな時間の好機を捉え、進展する問題に対応し、計画を修整し、注力点を変更する―を可能にするための仕組みである。このように、フィードバックはその後の指揮活動を「統制」している。このような指揮・統制システムでは、統制は部下に課せられる厳密な何かではない。それどころか、変化する状況に関して、(様々な方向から)もたらされるフィードバックによる「統制」が行われてこそ、指揮・統制システムが完全なものとなる[4]

したがって指揮・統制は、システムに含まれるあらゆる部門間での相互作用であり、あらゆる指令において働く。結果としてこのシステムは相補的でギブ・アンド・テイクのようなものとなる。システムでは、それは指揮し統制する部隊が相互に補うことであり、全体として変化する状況に継続的に適応できる部隊を保証することである。

指揮・統制の典型的な視点

-一方向として見られる指揮・統制

相互作用としてみられる指揮・統制

-行動の始まりとしての指揮、フィードバックとしての統制

図1 指揮・統制の関係の二つの視点

「統制で(in control)」とは何を意味するのか?:WHAT DOES IT MEAN TO BE “IN CONTROL”?

効果的な指揮・統制についての典型的な理解は「指揮下(in command)」にある者は「統制下(in control)」なければならない。我々はつい、強力で強制的な指揮・統制について考えてしまいがちである。すなわち、機械をボタンで操作するように、チェス・プレーヤーがチェスの駒を動かすように、「統制する(in control)」者が命令すれば「統制下(under control)」の者は即座に、そして正確に指示通りに行動するような指揮・統制である。しかしながら実際の戦争で、指揮官はチェス・プレーヤーのような全能性を以って、彼らの部隊を統制できるだろうか?兵器システムを操作する砲手や、航空機操作するパイロットについてなら、そう言えるかもしれない。では、編隊長は他の機体に乗ったパイロットを直接「統制」できるだろうか?上級指揮官は敵と交戦中の米海兵隊分隊を「統制(in control)」できているといえるだろうか?ましてや個々が広く分散・独立して行動するような現代の戦場において。

我々は同様に指揮官が状況は「統制下(in control)」にあるといい、状況は「統制のもと(under control)」にあると言い勝ちになる。最悪なことは指揮官が状況の統制を「失う」ことである。では、地形や気象は指揮官の「統制のもと(under control)」にあるだろうか?指揮官は敵の何かを間接的に「統制下(in control)」に置けるか?良い指揮官は時として敵の行動を予測し敵の行動に敵の主導性や対応する戦力化を抑え込むことによって影響を与えることさえできる。しかし、それは間違った思い込みであり我々は実際には敵や状況を統制下に置くことは出来ない[5]

実際には戦争の本質で見たようにいかなる確信や明確に統制下に置くことは間違いである。そして敵と交戦する海兵部隊から遠ければ遠いほど彼らの行動への直接的な統制は少なくなる。我々は、戦争は人間の努力が基本にあることを肝に銘じなければならない。戦争においてはチェスのように人間は駒ではなく、それぞれ違った一つの独立した属性を持つものとして、それぞれが生き残ろうとし、失敗を犯す傾向があり、人間の本質の突飛な主体であるという状況の上に立ってのすべてに対応しなければならない。我々はどんなに望もうとも心のないロボットのように人を扱うことは出来ない。

戦争の本質で得たように、注目すべきことは、指揮官は完全に指揮下にできないだけでなく全てに影響を達成できるわけではない。我々は指揮・統制の適切な目標が完全に狙い通りに統制下にないということを受け入れなければならない。現代の戦争の乱れは、影響をよりゆるくする必要性を示唆し、それはチェス・プレーヤーの全能の指示よりバスケットボールチームの協調した意志と同質の何かであり、不確実で無秩序で時間に追われた環境において窮屈でない隷下部隊の主導性が必要となる指導を提供する。

指揮・統制の複雑性:COMPLEXITY IN COMMAND AND CONTROL

軍事組織と軍事の進展は複雑系(complex systems)である。戦争はさらに複雑な現象である。我々の複雑系(complex systems)は敵の複雑系(complex systems)と激しく競争するというやり方で相互に影響しあう。複雑系(complex systems)は複数の多様な部分で構成されたいずれかのシステムである。そして、それぞれは個別にそれ自身が持つ事情に従って行動しなければならず、そのように活動することで、他のすべての部分に影響しながら環境を変えていく。頭を上下し、身体をくねらせ、相手にパンチを浴びせるボクサーは、複雑系(complex systems)である。サッカーチームは相手チームとの間での競合的に相互に作用しあう複雑系(complex systems)である。分隊サイズの戦闘パトロールは地形によって隊形を変化させ、敵の状況に応じて対応するということでは複雑系(complex systems)である。二つの軍隊による会戦はそれ自体が複雑系(complex systems)である[6]

複雑系(complex systems)を構成する個別のそれぞれも複雑系(complex systems)となる。軍隊においては、中隊はいくつかの小隊から成り、小隊はいくつかの分隊から構成される。多様な複雑性を生み出す。しかしながら、たとえシステムが非常にシンプルな部品で構成されていたとしても、それら部品間の相互作用の結果は極めて複雑で、予測不可能で、もっと言えば制御不能な振る舞いを示す。それぞれの部品は、複雑で予測不可能な相互作用を示すがゆえに、他の部品に与える影響もまた単純には予測できない。複雑系(complex systems)では個々の原因とそれらの効果を隔離することが極度に難しいか不可能である。それはすべての部分が複雑なクモの巣ですべて接続されているからである。複雑系(complex systems)の働きは頻繁に非線形である。非常に小さい影響さえ決定的に大きい効果を持つことができ、逆もまた同様なことを意味する。クラウゼヴィッツは「成功は単に一般的な原因によるものではない。特定の要因がしばしば決定的になる。詳細は唯一のその場にいる人にのみ知られていることである。・・・・問題は単に逸話として歴史上の些細なような機会と出来事によって決定する。」と書いている[7]。偶然の要素は無作為に様々なシステムの部分と相互に関わりより複雑性や予測不可能性に導く。

単にシステムの部分の数がシステムを複雑にするのではなく、それらの相互作用によるからである。機械は複雑であり、多数の部品から成っている。部品は一般的に特別でデザインされたとおりに相互作用する。でなければ機械は機能しないだろう。いくつかのシステムが機械的に振舞う一方で、複雑系(complex systems)はそうは出来ない。複雑系(complex systems)はオープンシステムになる傾向がある。頻繁に自由に、他のシステムや外部の環境と相互作用を起こすからである。複雑系(complex systems)は、さらに生物有機体のように、より多くの「有機的に」を振る舞う傾向がある[8]

基本的な点は、どんな軍事行動(まさに複雑系(complex systems)の本質によって)も規則的で、効率的で、正確なコントロールを無視するような乱雑で、予測できない、しばしば無秩序な振舞いを示すということである。我々の指揮・統制へのアプローチはこの固有の複雑さに対処するための方法を見つけ出すことである。機械の操作者は機械を「統制下(in control)」に置く一方、どんな指揮官も戦争のような複雑な状態での「統制(in control)」をイメージすることが難しいことである。

指揮・統制が相互的な行為とフィードバックで特徴付けられた複雑系(complex systems)としての視点はいくつかの重要な特徴を持っている。それは指揮・統制の従来の典型的な視点と区別した我々のアプローチに中心にある。最初に、この視点は、有効な指揮・統制が状況における変化に敏感でなければならないということである。この視点は軍事組織をオープンシステムであるとみなし、内部の効率に集中するクローズドシステムより、むしろ環境(特に敵)と対話することである。効果的な指揮・統制システムは変化する状況に順応するための手段を提供する。その結果、我々は連続した適合のプロセスとして指揮・統制を見ることができる。我々は軍事組織をいくつかの「貧弱で、緑色のマシン」より―生存と成功のために探し回る、情報を求め、学び、適合する捕食動物に例えるほうがよいである。生物のように、軍事組織は安定均衡の状態に決してない。代わりに継続して環境に適合しようとする連続したフラックス(不安定)状態にある。

第2に行動―フィードバック・ループは指揮・統制を離散的な行動の系列ではない、継続的で循環したプロセスにする。これは後で詳細に議論する。第3に、行動―フィードバック・ループは指揮・統制をダイナミックで協調のための対話的なプロセスにする。我々が議論したように、指揮・統制は共同作業によって得られた要素をつなげるものとしての「コントロールを得た」組織の一部の問題ではない。組織のすべての部分が、「指揮」と「統制」によって総合的な協調における行動とフィードバックに貢献する。その結果、指揮・統制は基本的にすべての部分、上から下まで、そして、左右にギブ・アンド・テイクするという相互作用の活動である。

第4に、その結果、この視点は、システムの上にいるように指揮官を見ません。チェスをする人がチェス駒を動かすように相互作用のこの複雑なウェブの不可欠の部分として外部から指揮・統制を出す。そして、最終的に、我々が言及したように、この視点は、指揮・統制が正確で、予測できて、機械学的なオーダーを戦争のような複雑な仕事に提供すると予想するのが無理であると認める。

指揮・統制は何を作り上げるか?:WHAT MAKES UP COMMAND AND CONTROL?

単語の「指揮」と「統制」は名詞で[9]指揮・統制(command and controlというフレーズを有効で調和のとれた行動の相互作用を起こすいくつかの異なった要素の配列されたシステムとして説明する方法として使用する。我々の指揮・統制システムの基本的な要素は人、情報、そして指揮・統制支援構造である。

指揮・統制の最初の要素はで、人は情報を集め、決心し、行動し、コミュニケーションし、共通のゴールを達成しようとする他のものと協力し合う。人は指揮・統制システムを動かし、ことを起こす。そして、人以外のシステムの残りはそれらに提供するために存在している。戦争のエッセンスは人の意志のぶつかり合いである。指揮・統制のどんな構想も最初にこのことを認識しなければならない。この人間の要素から指揮はリーダーシップが不可欠である。指揮・統制の目的は人を排除したり、人の役割を少なくしたり、ロボットのように人を行動させることではなく人の能力をより引き出すようにすることである。人間は戦略上の構想をまとめている上級指揮官から状況報告を取りまとめる兵長に至るまで、単にそれに関わるユーザではなく、指揮・統制システムの不可欠のコンポーネントである。

すべての米海兵隊員は恐怖、欠乏、および疲労の影響を感じる。米海兵隊員にはそれぞれには、ユニークで、無形の品質がある。どんな組織図や手順、または装備の部品としても捕らえることができない。人間の精神には、最も強力なコンピュータさえの分析容量よりはるかに優れた判断、直観、および想像の容量がある。それは正確に言えば、一般に戦う人的要素の局面であり、特に指揮は結局科学よりむしろ芸術である。有効な指揮・統制システムは人間性の特性と限界を説明でき、そして、同時に、比類ない人的熟練を開発し、高めなければならない。どんな次元においても、指揮・統制システムにおけるカギとなる構成員は成功の最終的な責任を持った指揮官である。

指揮・統制の2番目の要素は情報(informationである。それは我々の決心と行動を形式や特性として「知らせる」ために我々が使用する現実の表現を示す。情報は、我々がモノや出来事、価値を示すために使用する言葉、文字、数、イメージ、シンボルである。ある方法か別の方法で、指揮・統制は本質的には情報に関するものである: 情報を得、情報の価値を判断し、役に立つ形式に情報を処理し、情報によって行動し、他のものと情報を共有する。情報は我々が物質的な世界をどのような構造と形として与えるかということである。そして、その結果、我は理解と、そして、我を取り巻く出来事と状態の理解に意味を与えることができる。非常に広い意味で、情報は統制パラメータである:それで、我々に統制や我々の行動のための構造を提供する[10]

情報の価値は時間内に、存在するので、情報は、はかない状態について説明される。ほとんどの情報が時間と共に古くなっていく。一時、貴重であっても、無関係になり、また次にはミスリードさえ誘う。

情報には二つの基本的な利用がある。一つは決心の基礎となる状況認識を作り上げることを助ける。次は決心の実行を指示し、行動を調整することである。構想によって異なるが、情報の二つの用途は現実にはめったに互いに排他的にはならない。同じ情報交換が同時にしばしば両方の目的に役立つので、通常、かなりのオーバラップがあるだろう。例えば、計画を実行しようとしている隣接部隊間の調整においてはそれぞれの部隊の状況の理解を可能にし、将来の決心を知らせることができる。隷下部隊に出される命令は、達成されるために任務について説明して、必要な調整を提供する。しかし、同じ命令は、より大きい状況に対する隷下部隊の洞察を提供し、隷下部隊の行動が大きい状況に適合するかについても提供しなければならない。また、同様に、射撃要求(それの第一の目的は支援部隊から支援火器を要求することである)は目標位置と記述の形で展開する状況の情報を提供する。

情報の形式はデータ(生の、そして、未加工の信号)から評価されて、重要な知識と一体化されて、分かっている情報まで及ぶ。指揮官の参謀への指示、隷下部隊への命令は、敵に関する情報、隷下部隊からの現状報告、または、隣接する部隊間の調整の情報を構成する。状況認識の基礎を提供する情報がなければ、どんな指揮官も、どんなに経験豊富で賢明であっても決心することができない。構想と意図の理解を伝える情報がなければ、隷下部隊は適切に行動できません。地上における状況の理解を提供する打撃に関する説明の形式の情報がなければ、パイロットは近接航空支援を提供できない。今後の作戦予定の理解と供給の状態を提供する情報がなければ、兵站は適切な戦務を提供できない。

有効な指揮・統制は単に十分な情報を発生させる問題ではない。ほとんどの情報が、重要でないか、または関連してさえいる。使える時間を考えれば、多くの情報が使用不可能である。ほとんどの情報は不正確である、そして、或るものは実際に紛らわしい場合がある。与えられる情報、今日の情報集能力を考えると、彼らが評価可能な以上の情報はむしろ指揮官を危険な状態に陥れる。言い方を変えれば、あまりにも多い情報はあまりにも少ない情報と同じくらいに悪い。多分同じくらいに。いくつかの種類の情報は反生産的である場合がある。我々をミスリードし、パニックを広げるか、または過剰コントロールに通じる情報となる。有効な決定と行動に貢献するとき、情報はその意味において価値がある。重要なことは、情報量ではなく、情報のカギとなる要素は、必要な時に役に立つ形式で利用可能であり指揮官の状況認識を改良するか、そして、行動する能力である(The critical thing is not the amount of information, but key elements of information, available when needed and in a useful form, which improve the commander’s awareness of the situation and ability to act)。

指揮・統制の最終要素は、情報を作成して、広めて、使用する人々を支援する指揮・統制支援構造(command and control support structure[11]である。それは指揮・統制を支える組織、手続き、装備、施設、訓練、教育そしてドクトリンを含む。我々が、しばしば「システム」そのものをハードウェアのファミリーとして呼ぶが、指揮・統制システムは単に装備よりはるかに多いことに注意することは重要である。高品質な装備と先進技術は有効な指揮・統制を保証しない。有効な指揮・統制は質の高い人と有効な指針となる哲学から始まる。我々は、指揮・統制支援構造の構成品が自分自身のためだけに存在しないことを認識しなければならず、助ける必要があり適切な行動をとると認める人を唯一助ける。

指揮・統制は何ができる?:WHAT DOES COMMAND AND CONTROL DO?

「指揮」と「統制」という言葉は動詞[12]でもある。指揮・統制(command and controlというフレーズはプロセスを云い関連する行動の集合である。我々はプロセスの間で重要な違いを描ける。それは、関連した行動の集成、そして、手順、特定任務を達成するための段階の特定配列である。指揮・統制はプロセスである。それは、ある任務を実行するための手順を含むかもしれませんが、それ自体で手順としてではなく、一体となってアプローチするべきである。

指揮・統制は我々がすること(we doである。それらの活動は情報を収集し、分析し、意思決定し、リソースを組織化し、計画を準備し、指示やその他の情報を相互に交換し、調整し、結果をモニターし実行を監督することを含む。

指揮・統制を改良しようとするとき、我々は、現状に満足し、プロセスを完成させるようになるべきではない。そうなると我々は、第一に、指揮・統制の目的を見失う。例えば、我々はそのように効率的に多量の情報を集めて、分析する能力に関心を持ちすぎてはいけない。我々は指揮官が決定をして実行する基礎として状況の本当の認識を獲得するのを助けるという第一の目標を見失う。究極の目的は効率的な指揮・統制プロセスではない。究極の目的は軍事行動の有効な行為である。

それで、何が指揮・統制を作る機能であるかを尋ねるよりむしろ、我々は以下を尋ねるほうがよい。有効な指揮・統制は我々のために何をするのか?第一に、それは我々が直面している問題の性質と要件への洞察を提供するのに役立つはずである。それは、敵と環境に関して情報を開発するのを助けるべきである。できるだけ、それは、敵の可能行動、意志、および脆弱性を特定するのを助けるべきである。それは、我々が我々自身の脆弱性を特定するのを含んで我々自身の状況を理解するのを助けるべきである。端的に言って状況認識を助ける。

次に、指揮・統制は、我々が適切で重要な目標を案出し、状況の変化に対して、それらの目標を適合させることを助ける。それはそれらの目標を達成するための適切な目標を案出するのを助ける。それは、我々が部隊の様々な要素の中で力強く調和のとれた行動を作り出すための指示と集中を提供するのを助ける。それは、我々が適合する基礎として絶え間なく開発をモニターする手段を提供するのを助ける。それは我々の神の意図を敵の知識から否定するためのセキュリティを提供する。以上のことから、行動のテンポを生むことによって我々はスピードが兵器であることを認識する。

それでは、指揮・統制は何をするのか?端的に言って、効果的な指揮・統制は迅速性、適合性、決定的、調和、安全な行動を生み出すことを助ける。

指揮・統制の環境:不確実性と時間:THE ENVIRONMENT OF COMMAND AND CONTROL: UNCERTAINTY AND TIME

すべての他のものをも凌ぐ指揮・統制の定義される問題は、不確実性に対処する必要性である[13]。不確実性がなければ、指揮・統制はリソースを管理する簡単な問題である。クラウゼヴィッツの言葉に、「戦争は不確実性の分野である。戦争における行動の要素の四分の三は、多かれ少なかれ不確実性の霧で包まれている。繊細で目の肥えた判断は真実をかぎつける熟練した知性と呼ばれる。」とある[14]

不確実性は、我々が所与の状況に関して知らないことである。それは最善の状況であってさえ相当多くある。我々は不確実性を遮断されたと疑うか行動を妨げる脅威として考えることができる[15]。不確実性は敵や周囲の状況、そして自らの部隊に関してさえ未知の形で戦場に満ちている。我々は既存の状態、位置や敵兵力のように事実情報に関して確信がもてません。しかし、我々が事実情報に関して合理的に確信していても、我々はそれほど、それらの事実から推論することで確信をもてない。例えば敵の意図は何なのか?そして、我々が利用可能な事実から妥当な推論をしても、我々は、無数の起こり得る事態のどれが起こるかを知ることができない。

端的に言えば、不確実性は戦争の基本的な属性である。我々は、情報を集めて、使用することによって管理しやすいレベルに不確実性を引き下げるように努力するが、我々は、それを決して排除できないと受け入れなければならない。なぜそうなのか?第一に戦争が基本的に人間の行う事業であることだということである。それは、人間の本質によって形成されて、複雑さ、矛盾に支配され、そして、人間の振舞いの持つ特質である。人は敵と同様に友軍についても予測できない。第2に戦争が独立した(independent個々の人間の意志の間の複雑な戦いである為に、確実に起ころうとすることさえも予測できない。言い換えれば、戦争の基本的に複雑で双方向の本質は不確実性を発生させる(generates。不確実性は単に既存の環境から生まれるものではない。それは戦争の自然な副産物である。

指揮・統制は、指揮官が決心をすることができるような妥当なポイントに対処するため不確実性の量を減少させることを目指す。我々は、情報を提供することによって、不確実性を減少させようとするが、我々が不足と感じる何らかの知識がいつも残る。我々はいくつかの知識の欠落を認識するが、我々は他のわからないものは認識さえできない。我々は、不確実性と我々が知っている基本にも関わらず行動して解決することを保証する部隊を理解しなければならない。

確実性が単にデータではなく、知識と理解の機能であることに気づくことは重要である。それらは明確に我々が議論しすべての形式化された情報であると関係づけられ、それらの区別は重要である。データは知識と理解のための原料として機能する。知識と理解は人がデータに意味付けした結果である。適切に提供し処理されることで、データは知識と理解を導くが、用語は同義ではない(Knowledge and understanding result when human beings add meaning to data)。逆説的にいえば、すべてのデータが知識と理解を導くというわけではない。或るものは知識と理解の獲得を妨げさえするかもしれない。この区別からの不可欠の教訓は、不確実性を減少させるということは、単に情報の流れを増加させればよいというものではないということである。より重要であるのは、情報の質とそれを使用する人の能力である。それは、不確実性に直面した時における意欲と決心する能力である。

指揮・統制に影響のある2番目の主要な要素は、つまり不確実性の次に重要なものは時間の要因である。理論的に、我々は、(我々が決して獲得できない何らかの情報があることを受け入れれば)状況に関する、より多くの知識を獲得することによって、不確実性をいつも減少させることができる。基本的なジレンマは、情報を獲得して、処理するのに時間がかかるということである。これは3つの関連した問題を生む。第一に、我々が戦争で獲得する知識は腐りやすいということである:我々がわざわざ新しい情報を獲得しても、既に獲得された情報は、時代遅れになっている。第2に、戦争は相手の意志を背景にするので、時間自体は、双方によって使用される貴重な商品だということである。我々が、特定の状況の情報を得るように努力している一方で、敵は既に行動しているかもしれない。そして、過程内の状況を変える。(もちろん、敵も我々と同じような問題に直面する。)第3に、現代の作戦における急速なテンポは使用する時間内に収集し、処理し、融合した情報の量を制限する。指揮・統制は張りつめた時間とのレースになる。それで、どんな指揮・統制システムでも2番目の絶対条件は、敵より少なくとも速いことである。

不確実性に対処し、時間との競争の結果として起こる緊張は指揮・統制の基本的な挑戦でることを表す。このことは本章から得られる一つのもっとも重要なポイントである。敵も同じような問題に直面することを認識することも重要である。そして目標は相対的な優位を達成することである。この問題にはどんな簡単な答えもありませんが、我々が議論したように、成功する指揮官は、解決策を見つけなければならない。

情報時代の指揮・統制:COMMAND AND CONTROL IN THE INFORMATION AGE

指揮・統制に影響を及ぼす要素の多くが永遠なものである。例えば、戦争と人間の本質について、そして、不確実性と時間の双子の問題。他方では、多数の要素は、特定の時代に独特であるか、またはその時代の特性に少なくとも依存している。戦争が何時代にもわたって発展しており、指揮・統制もそうである。一般的に、戦争がますます複雑になったので、指揮・統制の手段も複雑になった。我々は指揮・統制が現在すぐに機能しなければならない環境に関して何を結論づけることができるか?

情報化時代の支配的な特性は、多様性と、急速で、進化し続ける変化である。不安定で変わりやすい世界の情勢は全面戦争を局限とすれば一方に平和維持活動を必要とする無数の多様にとんだ紛争に通じることができる。我々は、次の危機がいつ、どこで起こるだろうか、またはそれがどんな形を取るかを予測できないので、我々の指揮・統制はどんな環境でも有効に機能しなければならない。

移動性、範囲、致死率、および情報における技術の進歩は、時間と空間を圧縮し続け、より高い作戦テンポを強制して、情報の、より大きい要求を突きつけるなどのことを集める。軍事力は、これまで以上に、より早く、より遠い距離へと向かうかもしれません、そして、これまで以上により広い範囲で敵と交戦するかもしれない。この結果は流動的で急激に軍事の状況を変えている。より急速な状況の変化は、絶え間なくアップデートされた情報の必要性をより強め、指揮・統制の緊張をより強めている。将来の紛争はすぐにさまざまな想定外の状況に順応できる軍事力を必要とするだろう。

増加する致死率と兵器の範囲は、時間がたつにつれて生き残るために軍事力が分散するのを強制した。同様に、指揮・統制の限界を伸ばす。軍事力は、これまで以上に大きく、複雑になった。専門化している組織と兵器はその数と多様性をより強めている。その結果、現代の軍事力は、自らが作戦し、支えるために、より大きい量の情報を平和時においても必要としている。

現状において、技術は指揮・統制にとって重要性を増してきている。科学技術の進歩は以前決して夢にみられなかった能力を提供する。しかし、一方では技術に危険がないとはいえない。すなわち、設備の過剰依存ということである。そして、もう片方で完全に最新の能力を開発するというわけではないこと。技術は魅力的だが、しかし、その技術が指揮・統制のすべての問題を解決すると信じるのは誤りである。多くの決定的な技術的な斬新的な望みが予期していないこと、つまり複雑さと副作用について有効な封止策が講じられないということで打ち砕かれた。そのうえ、無分別に使用されれば、技術は問題の一部になる。情報過多に依存すれば戦争におけるその確実性と精度は望ましいだけではなく達成もできるという危険な幻想に陥る。

この複雑な時代においては、指揮・統制は特に脆弱である。それは、敵による攻撃は施設と人員への物理的な破壊だけでないということである。指揮・統制システムはますます複雑になり、それは同様にますます破壊やモニタリングに対する脆弱性が増加し、指揮・統制システム自身の持つ複雑な機能の負の副作用と同様に敵によって侵入される。指揮・統制システム自身の複雑さで、指揮・統制は情報過多、技術への過剰な依存、間違った情報、コミュニケーション干渉、人の理解不足、技術の未熟と訓練不足、機械的故障、システムの失敗などによる破壊によって脆弱になる。

結論:CONCLUSION

指揮・統制システムは歴史を通じて絶え間なく発展してきたが、戦争における指揮の基本的本質は永遠である。注目に値する技術、組織、手順の進歩は指揮・統制の要求を、全てそして望まないのだけれども緩和していない。これらの進歩は指揮・統制の範囲を増加させたが、それらは部隊の増加する分散と戦争自体の複雑さに足並をそろえたわけではない。時代あるいは技術が何であっても、有効な指揮・統制の鍵は不確実性と時間の基本的な問題に対処することに尽きるだろう。時代あるいは技術が何であっても、有効な指揮・統制は賢明に決心し行動する為の情報を使用する人に降りかかる。そして時代あるいは技術が何であっても、指揮・統制の有効性を測る究極の尺度はいつも同じになるだろう。それは、我々が、敵よりもより速くより効果的に行動することを助けられるか?である。

第2章 指揮・統制理論:Command and Control Theory

ノート

[1] 指揮官の務めとしての指揮統制:Joint Pub 1―02, Department of Defense Dictionary of Military and Associated Termsでは以下のように定義される:「任務達成において隷下部隊に関わる適切に指名された指揮官による権限の行使と監督。指揮統制機能は任務達成のため計画、指示、調整、部隊の統制と運用について、指揮官によって人事、装備、コミュニケーション、施設、手続きの使用を通して行うもの。」

[2] 権限と責任:Henri Fayol, General and Industrial Management (Pitman Publishing Corp., 1949), pp. 21―22.

[3] 伝統的な見解:Joint Pub 1―02のCommand では「軍の部門での指揮官の権限は、階数または割当ての力による部下の上に合法的に行使される。指揮は、有効に利用可能な資源(リソース)を割り当てられた任務の達成のために軍隊を使用し、組織して、指揮して、調整して、統制の計画する使うための権限と責任を含む。割り当てられた兵員の健康、福祉、士気と規律に対する責任を含む。」として定義される。Joint Pub 1―02のControlでは「エージェントまたはグループが指示によって反応することを保証するために意図してふるまう物理的であるか精神的な強制」という文脈で定義される。

[4] コントロールとしてのフィードバック:Norbert Wiener,サイバネティックス、動物と機械のコントロールとコミュニケーション、2d ed. (Cambridge, MA: MIT Press, 1962), pp. 95―115,を参照、人間の人間の使用:Cybernetics and Society (Boston: Houghton Mifflin, 1950), pp. 12―15 and pp. 69―71.指揮統制に適用として:John R. Boydの「指揮統制の組織的な設計」A Discourse on Winning and Losing, unpublished lecture notes, 1987.を参照

[5] 「in control」の幻想:Peter M. Senge,第5の秩序:学習組織のアートと実践(New York: Doubleday/Currency, 1990), pp. 190―193.

[6]複雑な(適合できる)システムとしての指揮統制:M. Mitchell Waldrop参照、複雑性:命令と混沌の端に新生の科学(New York: Simon & Schuster, 1992); Roger Lewin,複雑性:混沌の端の生命(New York: Macmillan, 1992);またはKevin Kelly,制御不能:機械の新しいバイオロジー:ネオ生物学の文明の出現(Reading, MA: Addison―Wesley, 1994).「平衡、非線形のかなたにある」システムin Ilya Prigogine and Isabelle Stengers,混沌からの命令:自然による人間の新しい対話(New York: Bantam Books, 1984) and Gregoire Nicolis and Ilya Prigogine,複雑性の探究:導入(New York: W―H. Freeman & Co., 1989).

[7] 「成功は、単に一般的な原因・・・によらない」:Carl von Clausewitz, On War, trans by Michael Howard and Peter Paret (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1984), 595.

[8] 「有機的」対「機械的」システム:T. Burns, 「機械的と有機体の構造」、in Derek Salman Pugh, Comp., 組織理論:選択記事(Harmondsworth, England: Penguin Books, 1971), pp. 43―55; David K. Banner and T. Elaine Gagne, 有効な組織を設計すること:伝統的と変革的な見解(Thousand Oaks, CA: Sage Publications, 1995), pp. 152―194; Gareth Morgan, 組織のイメージ(Beverly Hills, CA: Sage Publications, 1986).

[9] 名詞と動詞としての「指揮」と「統制」:Thomas P. Coakley, 戦争と平和のための指揮統制(Washington: National Defense University Press, 1992), p―17.

[10] 統制限界としての情報:Jeffrey R. Cooper,「減少した指示は、戦闘を整えた:プロセスとモデリング。」Presentation given at Headquarters Marine Corps, 5 Jan 95.

[11]指揮統制支援構造:In Joint Pub 1―02:「指揮統制システム ― 指揮官に割り当てられた任務に従って隷下部隊の作戦を計画して、指示して、コントロールするための施設、装備、コミュニケーション、手続きと人事の基本となるもの。」

[12] Coakley, p. 17.

[13]指揮の定義される特徴としての不確実性: See Martin van Creveld, Command in War (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1985), especially chapters 1 and 8.

[14] 「戦争は、不確実性の領域である・・・・」: Carl von Clausewitz, On War, p. 101.

[15]行動を妨害する疑いとしての不確実性: See Ra’anan Lipshitz and Orna Strauss, 「不確実性に対処すること:自然主義的な意思決定分析,」 unpublished paper, 1996.