武力の職業 (Joint Force Quarterly)
前掲の「米国の軍隊 – 武力の職業 白書 (www.jcs.mil)」の際にも触れたとおりで自衛官になる人の確保や中途退職の増加が話題となり、三度の「自衛官の処遇・勤務環境の改善及び新たな生涯設計の確立に関する関係閣僚会議」が開かれ、新聞等で「自衛官の処遇改善へ新組織、定年延長も検討…政府原案」と報道されると、果たして給与の問題や退職後の仕事の話だけなのかと考えさせられるところである。前掲のマーティン E. デンプシー米陸軍大将(退役)の白書発行から12年経過した今における、「Profession of arms」についての考え方はどうあるべきなのだろうか。12年前と比べると国際情勢は大きく変化している。「Profession of arms」は原則論だけでよいのか、新たな環境の変化に対応して職業軍人とは何かを考える要素はないのかなどを各時代の論者の発言を挙げながら論じているのが紹介する論考である。最後の「今後の道のりにおける2つの因習破壊的な課題」で挙げられている考え方は変化する環境に対応して国家安全保障システムも変わってきており、職業軍人(自衛官)のあり方についても新しい視点の必要性を考えさせられるところである。(軍治)
2024年7月10日、太平洋を航行中の米海軍艦船ジョージ・ワシントンの飛行甲板上の海軍水兵 (撮影:米海軍/ジュリアナ・J・リンチ(Julianna J. Lynch)) |
武力の職業
学者、実務家、その他の注目すべき人々の意見
The Profession of arms
What Scholars, Practitioners, and Others of Note Have Had to Say
グレゴリー・D・フォスター(Gregory D. Foster)
グレゴリー・D・フォスター(Gregory D. Foster)は、国防大学ドワイト・アイゼンハワー校国家安全保障・資源戦略学部教授。
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武士は文武二道と云ひて二つの道を嗜む事是道也、縦ひ此道不器用なりとも武士たるものは己れ々々が分際程は兵法をば勤むべき事なり(引用:http://web575.art.coocan.jp/page025.html)
[武士の道は文武の二刀流であり、両方の道を味わうべきだと言われている。たとえ天賦の才がなくとも、両道に精進することで武士となることができる]
-「五輪の書」宮本武蔵(1645年)
いわゆる武力の職業(profession of arms)とは、わかりやすいラベルであると同時に、近代およびポストモダンの時代を通じて我々とともにある規範的な義務(normative imperative)でもある。その根底にある前提は、戦争に備え、戦争を遂行し、武器を持ち、武力を行使し、国家に代わって暴力を管理するという崇高な使命(supernal calling)を持つ身を包む者は、職業の一部であるということである。この職業は、医学、法律、聖職者のようでもあり、そうでないようでもある「天職(calling)」であり、専門的な準備、専門知識(expertise)、認定、より高い権威への無私の奉仕を特徴とし、それゆえに無条件の国民の信頼と信用に値する。
武力の職業(profession of arms)という呼称は、正当に評価されようがされまいが、軍隊独自のものである。これに匹敵する平和の専門職は存在せず、外交官、インテリジェンス将校、緊急対応要員、あるいは軍隊のように国家安全保障問題の分野で職務を遂行するその他の人々にとって、類似の自己同一性(identity)の象徴も存在しない。この重要な研究分野については、学者や実務家、その他の内省的な観察者たちによって、実に多くの実質的で洞察に満ちたことがこれまでに語られてきた。そうすることで、我々の多くが、軍事問題の本質や、軍事というものが国家運営においていかに中心的な位置を占め続けているかを判断する際に、いかに無批判に伝統に縛られているかを認識することができる。
したがって、この意見集(anthology)では、この主題に関する最も広く知られた標準的な声明をいくつか紹介し、さらに、ポストモダンの状況は、我々が今生きている時代と状況にもっと適応したブランドを包含するために、専門職のコンセプト(conception of the profession)を広げることを要求していないかどうかを我々に問うよう促す、因習打破的ではあるが、2つの鋭い観点で締めくくっている。手始めに、「国家安全保障の専門職(national security professions)」について考えてみる。
ドクトリン上の基本的事項
合衆国憲法第2条第3節は、制服組の将校と文官を含め、大統領が「合衆国のすべての将校に任命する」と規定している。合衆国法典第5編第3331条には、すべての将校が任命される際に行う宣誓が記載されている。この宣誓は、指定された人物が職権を有し、公務を執行する権限を与えられていることを示す文書的な証拠となる。宣誓(oath)とは、憲法に列挙され、暗示されている原則、戒律、権限、特権に忠誠を誓うことである。正確には、個人、役職、政権に対する忠誠の誓いではない。従って、武力の職業(profession of arms)についての議論は、この2つの項目から始めるのが適切である。これら2つの基本的な声明を補足するのは、統合出版物1「合衆国軍隊のためのドクトリン」にある、この件に関する専門職の軍の公式なドクトリン上の宣言である。
将校の任命(From the Officer’s Commission)。 の愛国心、勇気、忠誠心、能力に特別な信頼と確信を寄せ、私は [彼] または [彼女] を [軍の名称] で [少尉(Second Lieutenant:陸軍・空軍・海兵隊)または少尉(Ensign:海軍・沿岸警備隊)] に任命し、 年 月 日よりその地位に就かせる。従って、この将校は任命された役職の義務を、それに属するあらゆる事柄を行うことにより、注意深くかつ勤勉に遂行する。
また、私は、この等級と地位の将校にふさわしい服従をするよう、将校やそれ以下の階級の職員に厳しく命じ、要求する。また、この将校は、私、または将来の米合衆国大統領、あるいは合衆国の法律に従って行動する他の上級将校によって、随時与えられる命令および指示に従わなければならない。
この委員会は、米合衆国大統領の判断により、この任命が行われる米合衆国軍およびその構成員の将校に関する公法の規定に基づいて、当分の間、効力を維持するものとする[1]。
将校の宣誓(The Oath of Office) 私 は、内外を問わずすべての敵から合衆国憲法を支持し擁護すること、合衆国憲法に忠誠を誓うこと、この義務を、いかなる精神的留保も回避の目的もなく、自由に負うこと、そして、これから就任する職務の義務を十分かつ誠実に果たすことを、厳粛に誓います。神よ、我を救いたまえ[2]。
統合出版物1、米国の軍隊のためのドクトリン(Joint Publication 1, Doctrine for the Armed Forces of the United States)。専門職とは、人格と能力の両方を備えた人のことである。国家の防衛を担う軍事専門職として、統合指導者は戦争遂行の専門家でなければならない。彼らは、行動と知性の両面で道徳的な人物でなければならず、物事を成し遂げることに長け、同時に兵法(military art)に通じていなければならない。
性質(character)とは、人の個人の本質を形成する特徴や特性の集合体を指す。武力の職業(profession of arms)の文脈では、道徳的、倫理的な我々の価値観の順守を意味する。性質は、専門職と米国国民との関係、そして互いとの関係の核心である。能力(competence)は武力の職業(profession of arms)の中心である。有能なパフォーマンスには、関連するタスクを標準的に実行する技術的能力と、その技能を他の人と統合(一体化)する能力の両方が含まれる[3]。
我が米国の遺産
常設の軍事施設(武力の職業(profession of arms))の是非に関する懸念は、米国建国にまでさかのぼる。ジョージ・ワシントン(George Washington)は1783年5月に発表した「平和の確立に関する心情(Sentiments on a Peace Establishment)」で力説した。他の建国者、特にアレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton)やジェームズ・マディソン(James Madison)も、「連邦主義者文書(The Federalist Papers)」で同様の見解を表明している。その後、フランス人の米国生活観察家アレクシス・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)は、2巻からなる古典的な「米国の民主主義(Democracy in America)」の中で、重要なことを述べている。
ジョージ・ワシントン(George Washington) 平時における大規模な常備軍(standing Army)は、国の自由にとって危険であると考えられてきたが、特定の状況下においては、少数の軍隊は安全であるだけでなく、必要不可欠である。幸いなことに、我々の相対的な状況では、必要な兵力はわずかである。英国が我々を征服しようとした企てを、あれほど効果的に遅らせ、最終的には敗北に導いたのと同じ状況が、今度は我々を安全にする強力な傾向となるだろう。ヨーロッパ諸国から遠く離れていることで、我々は、彼らの多数の正規軍(regular forces)や、彼らの野心から恐れられている侮辱や危険から、かなりの程度解放されている。
2024年8月22日、サウスカロライナ州パリスアイランドの海兵隊新兵訓練基地で、「るつぼ(The Crucible)」中に障害物コースを行う第2新兵訓練大隊ゴルフ中隊の新兵たち (撮影:米海兵隊/ウィリアム・ホースリー(William Horsley)) |
しかし、それらの勢力からの我々の危険がより切迫していたとしても、我々は自国の防衛に十分な常備軍を維持するには貧しく、我が国の人口がより多く豊かであったとしても、国民に対する大きな抑圧なしにはそれはできなかっただろう。その上、革命によって発生した債務の返済に十分すぎるほどの資金を調達できるようになり次第、その余剰資金を海軍の建設と装備の準備に充てるべきでないかどうかが、検討に値する問題となるかもしれない。海軍がなければ、戦争になった場合、わが国の通商を保護することも、これほどの広さの海沿岸で互いの安全が必要とする援助を提供することもできない[4]。
アレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton) 独立以前から、そして平和が続いてからも、わが国の西部辺境には常に小さな駐屯地を置く必要があった。インディアンの荒らしや略奪に対抗するためだけであれば、これらの駐屯地が今後も不可欠であることを疑う者はいないだろう。これらの駐屯地は、民兵からの臨時の分遣隊か、政府から給与を支給される常設部隊のどちらかで賄わなければならない。前者は実行不可能であり、実行可能であったとしても悪質である。
民兵は、たとえそうであっても、平穏なときに、自分の職業や家庭から引きずり出されて、最も不愉快な義務(disagreeable duty)を遂行することには、そう長くは応じないだろう。また、仮に民兵を説得したり、強制したりすることができたとしても、頻繁な交代勤務による出費の増加、労働力の損失、個人の勤勉な生活の阻害は、この計画に決定的な反対を唱えるだろう。この計画は、私人にとって破滅的であるのと同様に、一般市民にとっても負担が大きく、有害である。政府から給与を受ける常設部隊という後者の資源は、平時における常備軍に等しい。確かに小規模ではあるが、小規模であるからといって実在性に欠けるわけではない。
もし我々が商業的な国民になるつもりなら、あるいは大西洋側の安全を確保するつもりなら、できるだけ早く海軍を持つように努めなければならない。この目的のためには、造船所や造兵廠が必要であり、それらを防衛するための要塞、そしておそらくは駐屯地が必要である。
おそらく、前号で列挙した目的は、連邦政府の指示のもと、各州政府によって提供されるべきだと主張する人もいるかもしれない。しかし、これは実際には、我々の政治的連合の第一原則を覆すことになる。なぜなら、共同防衛の責任を連邦政府の長から個々の構成員に移すことになり、一部の州にとっては抑圧的であり、すべての州にとっては危険であり、連合にとっては有害な計画だからである。
軍隊が権力の危険な武器と見なされる限り、民衆が最も嫉妬しやすい手にある方が、民衆が最も嫉妬しにくい手にあるよりもましである。というのも、民衆が最も危険にさらされるのは、民衆の権利を侵害する手段を、民衆が最も疑いを抱いていない者が握っているときであることは、長年の経験が証明している真実だからである[5]。
アレクシス・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville) 同じ利益、同じ恐怖、同じ情熱が、民主主義国家に革命を思いとどまらせ、戦争も思いとどまらせる。・・・文明国の間では、社会的条件がより平等になるにつれて、戦争への情熱はより希薄になり、激しさも軽減されるであろう。とはいえ、戦争は、民主主義国家だけでなく、すべての国家が経験することである。彼らがどんなに平和を好んでいたとしても、侵略を撃退する準備を整えていなければならない、言い換えれば軍隊を持たなければならない。
条件の平等、そしてそこから生じる慣習や制度は、民主的な国民が常備軍を必要としないことを意味するものではなく、彼らの軍隊は常に彼らの運命に強い影響力を及ぼす。したがって、これらの軍隊を構成する人々の生まれつきの性質が何であるかを調査することは、極めて重要である。
こうして、あらゆる軍隊の中で最も熱心に戦争を望む軍隊は民主主義の軍隊であり、あらゆる国家の中で最も平和を好む国家は民主主義の国家である、という奇妙な結果に行き着く。そして、これらの事実をさらに驚異的なものにしているのは、これらの相反する効果が、平等の原則によって同時に生み出されていることである[6]。
学者と実務者が語る
ハーバード大学の政治学者、故サミュエル・ハンティントン(Samuel Huntington)の古典『軍人と国家(The Soldier and the State)』は、今もなお、武力の職業(profession of arms)と市民と軍の関係を論じる際の金字塔である。シカゴ大学の軍事社会学者、故モリス・ジャノヴィッツ(Morris Janowitz)の『職業軍人(The Professional Soldier)』もそれに遠く及ばない。
故ジョン・ウィンスロップ・ハケット(John Winthrop Hackett)将軍の講演集「The Profession of arms(武力という職業)」という小冊子は、この分野の弟子たちにとって不朽のデミ・クラシックである。ノースウェスタン大学の軍事社会学者であり、ジャノヴィッツ(Janowitz)の同僚でもあったチャールズ・モスコス(Charles Moskos)は、1977年に発表した「軍隊と社会(Armed Forces and Society)」の中で、今日の軍人の職業は制度なのか職業なのかを問う論文を発表し、大きな話題となった。
「軍将校(The Armed Forces Officer)」は、ジョージ・マーシャル(George Marshall)が国防長官であった1950年に、軍事ジャーナリストで歴史家のS.L.A.マーシャル(S.L.A. Marshall)の筆によって初めて出版された、広く参照されている一冊である。それ以来、その時々の専門的な状況に合わせて何度か改訂されている。ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥が1962年にウェスト・ポイント士官学校の士官候補生たちに向けて行った有名な卒業式訓辞「義務、名誉、祖国」は、軍隊の職業意識(military professionalism)に関する古典的な声明として、今なお永久に語り継がれている。
実際、当時の統合参謀本部議長であったマーティン・デンプシー(Martin Dempsey)将軍が2012年に発表した武力の職業(the profession of arms)に関する白書は、この白書から着想を得ている。2010年に発表された陸軍の白書は、デンプシー(Dempsey)の考え方の伏線となったものであり、独自の不朽のアイデアを含んでいる。以下、それぞれの資料から重要な一節を引用する。
サミュエル・ハンティントン(Samuel Huntington) 現代の将校団は専門家集団であり、現代の軍人は専門家である。職業とは、高度に専門化された特徴を持つ特殊な機能集団である。彫刻家、速記者、起業家、広告コピーライターなどには、それぞれ明確な機能があるが、これらの機能のうち、本質的に専門職的なものは一つもない。しかし、職業意識(professionalism)は、医師や弁護士に特徴的であるのと同じ意味で、現代の将校に特徴的である。職業意識(professionalism)は、今日の軍の将校を以前の時代の戦士(warriors)と区別している。特殊な職業としての専門職の際立った特徴は、その専門知識(expertise)、責任(responsibility)、企業性である。
専門知識(expertise)。専門職の人(professional man)とは、人間の努力の重要な分野において専門的な知識と技能を持つ専門家(expert)のことである。彼の専門知識は、長期にわたる教育と経験によってのみ習得される。専門知識は、専門職と一般職を区別し、専門職の構成員の相対的能力を測定するための、専門職の能力に関する客観的基準の基礎となるものである。
責任(responsibility)。専門職の人(professional man)は実践的な専門家(expert)であり、社会的な文脈の中で働き、健康、教育、司法の促進など、社会が機能するために不可欠なサービスを行う。あらゆる職業の顧客は、個人であれ集団であれ社会である。・・・そのサービスの本質的かつ一般的な性格と、その技術の独占は、社会から要求されたときにサービスを遂行する責任を専門家に課す。この社会的責任によって、専門職の人(professional man)は、知的技能だけを持つ他の専門家(expert)と区別される。
企業性(corporateness)。専門職の構成員は、有機的な一体感を共有し、素人とは異なる集団としての自覚を持っている。この集団意識は、専門的能力を発揮するために必要な長時間の規律と訓練、仕事という共通の絆、独自の社会的責任の共有に起源を持つ。
将校の専門性(Expertise of Officership) 軍人の専門知識とは何か? 全軍将校に共通し、なおかつどの民間集団にも共有されていない技能はあるのか?この中心的な技能は、ハロルド・ラスウェル(Harold Lasswell)の「暴力の管理 (the management of violence)」という言葉に最もよく要約されているだろう。軍隊の機能は武力戦闘を成功させることである。軍人の任務には、(1) この部隊の組織化、装備、訓練、(2) その活動の計画、(3) 戦闘の内外における作戦の指示、が含まれる。暴力の適用(application of violence)を主要な機能とする人間組織の指示、運営、統制は、将校の特殊技能である。
2024年6月20日、オハイオ州コロンバス上空で、C-17グローブマスターへの空中給油中にKC-135ストラトタンカーのブームを操作する第121空中給油団の空中給油スペシャリスト、モーガン・ベイナー(Morgan Bainer)技術曹長 (撮影:米空軍州兵/アレクシス・ウェイド(Alexis Wade)) |
将校の技能は、工芸(主に機械的なもの)でも芸術(独特で譲渡不可能な才能を必要とするもの)でもない。その代わり、総合的な学習と訓練を必要とする極めて複雑な知的技能である。将校の特殊技能は暴力の管理であり、暴力行為そのものではないことを忘れてはならない。
将校職としての責任(Responsibility of Officership)。将校の専門知識は、彼に特別な社会的責任を課している。自分の利益のために彼の専門知識を乱用することは、社会の構造を破壊することになる。医療行為と同様、社会は暴力の管理が社会的に承認された目的にのみ利用されることを主張する。社会は、自国の軍事的安全保障を強化するためにこの技術を用いることに、直接的、継続的、一般的な関心を持っている[7]。
2024年6月4日、サント=メール=エグリーズで町の解放者を記念するコンサートの前にフランス人少女にキスをされるノルマンディー侵攻時にユタ・ビーチに上陸した第二次世界大戦の退役軍人デニス・ボールド(Dennis Boldt) (撮影:米陸軍/キャサリン・シビラ(Katherine Sibilla)) |
モリス・ジャノヴィッツ(Morris Janowitz) 専門職の将校に対する市民の知覚(perceptions)は、軍人の英雄に対する知覚(perceptions)と同じではない。個々の軍事的英雄が世間から称賛されるのとは対照的に、将校職(officership)は依然として比較的地位の低い職業である。将校団(officer corps)は、社会学的なコンセプトによって専門職集団として分析することができる。法律と医学は、最も古くからある職業とされてきた。専門職は、長期にわたる訓練の結果、専門的なサービスを提供できる技術を身につける。しかし職業とは、集中的な訓練によって身につけた特殊技能を持つ集団以上のものである。専門的集団は、集団としてのアイデンティティを確立し、内部管理システムを構築する。自己管理(Self Administration)は、多くの場合国家の介入によって支えられているが、倫理観や能力発揮の基準の成長を意味する。
専門意識(professionalism)とは、戦いの遂行(conduct of warfare)を、その軍の経歴に身を捧げた者、つまり戦いの手段における「専門知識(expertise)」を認められた者に委ねることを意味する。それは、アマチュア紳士の衰退を意味する。戦いの複雑な仕組みが、軍事組織と非軍事組織との境界線を弱めた結果、軍事組織はますます、あらゆる大規模組織に典型的な特徴を示すようになった。とはいえ、軍事専門家は、戦争作りと組織的暴力行使の専門家(expert)であるという点で特異である。軍事組織のこの第一の到達目標は、その特殊な環境を作り出し、意思決定プロセスに影響を与える。
軍事専門職は持続的なジレンマに直面しており、このジレンマは自動化された戦いの成長によって深まっている。この職業は、そのエリートのために軍事管理に長けた将校を採用し、保持しなければならないが、同時に、最も目立つ将校を含め、その将校の多くは、英雄的指導者の伝統を永続させることができなければならない。・・・軍の組織がその主要な専門家の政治的観点に与えた影響をたどる上で、軍の管理者がその数と影響力を増大させていることを指摘するだけでは不十分である。
武士道精神(martial spirit)は、軍隊という職業に独特の展望を与え続け、軍隊の管理職さえも形成している。現代の風潮は、次世代の将校に敢闘精神(fighter spirit)を植え付けることを難しくしており、民間人はしばしばその意味合いについて両義的な態度をとる。文民指導者は軍組織の戦略的方針を統制することはできても、英雄的リーダーシップを排除することはできない[8]。
ジョン・ウィンスロップ・ハケット(John Winthrop Hackett)卿 武力という職業(profession of arms)の機能は、社会的な問題を解決するための秩序だった力の行使である。ハロルド・ラスウェル(Harold Lasswell)は、これを暴力の管理と表現しているが、正確さに欠ける。他の人間と闘う目的で人間が武器を持つことは、我々が知る限り、はるか昔から見られることである。それはある時代には、ある場所では、その献身において天職(calling)に似た召命となった。職業的な要素も決して絶えることはない。
それはまた、公言されているという広い意味だけでなく、特定の技術的知識やドクトリン、多かれ少なかれ排他的な集団のまとまり、それ自体に特有な制度の複合体、独自のニーズに適合した教育形態、独自の経歴構造、そしてそれを生み出した社会における明確な地位を持つ職業という狭い意味でも、専門職となっている。
これらの点で、医学や法学、そして聖職者と強い類似点がある。武力行使が行われる、あるいは行われる可能性がある状況において、政府という構成された権力に、可能な限り多くの選択肢を提供することが、軍務の仕事である。政府は、費用を負担する限り、それに見合うだけの選択肢を持つことができる。軍隊の強さと種類が多ければ多いほど、装備と訓練が充実していればいるほど、軍隊に開かれる選択肢の数も多くなる。
軍隊生活は、重要な人間集団(部族、都市、国家、連邦など)に対して適切に構成された権威が、専門的な軍隊を備えるために営まれる。武器を持つ者たちが、構成された権威の利益に沿わない行動をとったり、権威の権限を簒奪したり、権威を支配したり、重要な点で、自分たちの利益を優先したりすれば、それは軍国主義である。軍国主義が自殺行為であるという命題は、「ほぼ自明の理(almost a truism)」と言われている。軍人の美徳は別格のものではない。・・・勇気、不屈の精神、忠誠心といった資質が含まれる。
今回の議論において、このような資質について重要なのは、軍事的な文脈において、道徳的な意義に加えて、機能的な意義も獲得していることである。軍隊の本質的な機能は会戦で闘うこと(to fight in battle)である。同じように高度な軍事技術があれば、私が述べたような資質がより高度に発達している軍隊は、通常、それがあまり発達していないより強力な軍隊に打ち勝つだろう。
我々は、武力の職業(profession of arms)の主な目的が戦争に勝つことではなく、戦争を避けること、つまり時宜を得た戦争によって全面戦争のリスクを減らすことにあるという立場に向かっているのかもしれない。私の意見では、我々はすでにそこに到達している。
もしそうであれば、国民国家であれ何であれ、適切に構成された当局が維持する軍隊の主な機能は、暴力の封じ込めになる。・・・このようなコンセプトの下でも、軍事専門家の機能と義務(duty)は変わらない。その機能とは、武力を秩序正しく行使することである。彼の義務は、暴力を管理する技術を最大限に発展させ、それがどのようなものであれ、適切に構成された権威の真の部下として行動することである[9]。
チャールズ・モスコス(Charles Moskos)。米軍は制度的形態から職業(occupation)に似た形態へと移行しつつある。制度は、価値観や規範、つまり個人の利己心を超越し、より崇高な善を優先する目的によって正当化される。組織のメンバーは、しばしば天職(calling)に就いていると見なされる。彼らは一般的に、自らをより広い社会とは異なる存在、あるいは隔絶した存在とみなし、他者からもそのように見なされる。組織の一員であることが、自己犠牲(self-sacrifice)と献身(dedication)という概念(notion)と一致する程度まで、その組織は通常、より大きなコミュニティからの尊敬を享受することになる。
職業は、市場、すなわち同等の能力に対する一般的な金銭的報酬という観点から正当化される。・・・職業的モデルは、雇用組織の利益よりもむしろ自己利益の優先を意味する。伝統的に、軍は職業的モデルの組織的成果を避けようとしてきた。
軍隊の理論的根拠が職業的モデルへとシフトすることは、軍隊の構造と、おそらくはその機能に組織的な帰結を意味する。・・・軍隊がさらに職業に近くなれば、ある種の結果が予想される。それは、組合化の可能性の高まりと、軍の任務を遂行するための契約民間人への依存の高まりである。一見無関係に見えるが、このような組織の変化はいずれも、職業的モデルの台頭から派生したものである[10]。
軍将校(The Armed Forces Officer) 部族や都市国家から帝国、組織化された宗教、国民国家に至るまで、人間社会は常に、より大きな集団のために闘い、殺し、死ぬという重責を担う専門家集団を設立し、それに依存してきた。これらの集団に与えられた正式な名称や肩書きが何であれ、彼らの武力の職業(profession of arms)である。
軍隊は国家(ひいては国民)に奉仕するものであって、その逆ではないというのが文明社会、とりわけ民主主義社会の大前提である。武力の職業(profession of arms)は、より大きな共同体に奉仕し、その目的と目標の達成を助け、その生活様式を守るために存在する。
その構成員の本質的なタスクは、個人的にも集団的にも闘うことであり、その将校は、与えられた最終目的を達成するために破壊の道具を行使する者たちを指示し導くことである。稀な例外を除いて、ある社会の政府は、武力で解決すべき問題を特定し、次に、常に困難で、通常は危険で、しばしば血なまぐさい細部を、市民に受け入れられ、彼らの到達目標を支援する方法で処理する専門家に目を向け、頼る。
武力の職業(profession of arms)の最も基本的なタスクは、社会、領土、人口、重要な利益を武力で防衛することである。その最も本質的な意味において、武力の職業(profession of arms)とは、闘うこと、戦争することのすべてである。・・・軍隊の決定的な使命は、戦争の準備と遂行であり、これには、政治的に平和が回復されるまで、軍事的勝利を確保することも含まれる。軍隊がどのように組織され、装備され、訓練されるかを決定するのは、用兵の任務である。
司祭職と同様、武力の職業(profession of arms)は召命(vocation)であり、他者に奉仕し、自己を犠牲にし、自分の野心や欲望よりも大きなもの、自分の貢献や自分の人生よりも壮大なものを目指す、崇高な天職(calling)である。これは、武力の職業(profession of arms)に関する言説の中で繰り返し語られる、中心的なテーマである。
このような利害関係を考えれば、武力の職業(profession of arms)が、米軍将校の任命の言葉を借りれば、「特別な信頼と信用(special trust and confidence)」を呼び起こし、それを必要とするのも不思議ではない。あらゆる職業の特徴として、特別な専門知識、社会に奉仕する集団的・個人的責任、「企業性(corporateness)」意識、そして職業倫理(professional ethic)と精神(professional ethos)という 4 つの要素が広く認められている。
専門職とは、(より大きな社会から)独自の必要な技術を裁量的に実践する権限を与えられた、特定可能な実践者の集団である。専門職には、基本原則と抽象的知識を生み出し、専門教育を通じて習得しなければならない専門的知識があり、それは通常、集中的かつ広範で継続的なものであり、特定の実際的な問題の解決に応用できるものである。・・・軍隊が組織され、訓練され、装備されている主要な任務(暴力の管理)が、社会が正当性を与えることのできる唯一の任務だと考えないことが重要である[11]。
2024年7月16日、コロラド州コロラドスプリングスの空軍士官学校で、基礎士官候補生訓練の第2段階でジャックス・バレーでの突撃課程を修了する2028年組訓練生 (撮影:米空軍/ディラン・スミス(Dylan Smith)) |
ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur) 義務、名誉、国。 この3つの神聖な言葉は、自分がどうあるべきか、どうあるべきか、どうあるべきかを謹んで指示する。勇気が失われそうなときに勇気を奮い立たせ、信じるに足る理由がなさそうなときに信念を取り戻し、希望が失われそうなときに希望を生み出す。しかし、これらはその一部である。基本的な人格を形成する。国防の管理者としての将来の役割のために、君たちを形成するのだ。弱さを知るために強くなり、恐れを抱いたときに自分自身と向き合うために勇敢になる。
正直な失敗には誇りをもって屈しないが、成功には謙虚で優しくあること、言葉を行動に置き換えないこと、安楽の道を求めないこと、困難や挑戦のストレスや拍車に立ち向かうこと、嵐の中で立ち上がることを学ぶが、倒れている人を憐れむこと、他人を支配しようとする前に自分を支配すること。清らかな心、高い到達目標を持つこと、笑うことを学びながらも、泣くことを忘れないこと、未来に手を伸ばしながらも、過去をないがしろにしないこと、真剣でありながらも、決して深刻に考えすぎないこと、真の偉大さの素朴さ、真の知恵の開かれた心、真の強さの柔和さを忘れないように、慎み深くあること。
意志の気質、想像力の質、感情の活力、人生の深い泉の新鮮さ、臆病さよりも勇気、安楽を愛するよりも冒険を好むという気質の優位性を与えてくれる。それらはあなたの心に、驚きの感覚、次なるものへの揺るぎない希望、そして人生の喜びと感動を生み出す。彼らはこのようにして、将校であり紳士であることを教えてくれるのだ。そして、このような変化と発展の渦中にあっても、あなた方の使命は固定され、断固として、侵害されることなく、我々の戦争に勝つことである。
あなたの専門駅な経歴における他のすべては、この重要な献身に付随するものにすぎない。他のすべての公共目的、他のすべての公共事業、他のすべての公共ニーズは、その大小にかかわらず、達成のために他のものを見つけるだろう。しかし、あなた方は戦うための訓練を受けている。あなた方は武力の職業(profession of arms)であり、勝利への意志であり、戦争では勝利に代わるものはないという確かな知識であり、負ければ国家は滅びるということであり、公務の執念は義務(Duty)、名誉(Honor)、国家(Country)でなければならないという確信である[12]。
マーティン・デンプシー(Martin Dempsey) 我々は武力の職業(Profession of Arms)への決意(commitment)を新たにしなければならない。我々は、単に我々が職業(profession)だと言っているから職業(profession)なのではない。我々は、職業として我々を定義する知識、技能、属性、振舞いを学び、理解し、推進し続けなければならない。
価値観(Values)。武力の職業(profession of arms)は、「丘の上の街(City on the Hill)」の比喩にあるような価値観に生きることを各兵員に求めている。我々は、苦難や困難があっても衰えることのない模範(example)を世界に示さなければならない。この模範(example)は、我々一人ひとりが支持し擁護することを個人的に誓う米国憲法の言葉と趣旨(intent)に基づいている。我々の宣誓は、我々一人ひとりが道徳的な勇気を示し、代償があろうとも常に正しいことを行うことを求めている。我々は皆、奉仕の意志を持ち、自分よりも他者のニーズを優先する志願兵(volunteers)である。共有される価値観として、我々の名刺(calling cards)は「義務(Duty)」「名誉(Honor)」「勇気(Courage)」「誠実(Integrity)」「無私の奉仕(Selfless Service)」である。法の支配(rule of law)に対する関与(commitment)は、我々の職業の道徳的・倫理的基盤を提供する我々の価値観に不可欠である。
軍事の職業(The Military Profession)。我々の職業は、米国国民に対する集団的責任を果たし、「共通の防衛を提供し、自由の恵みを確保する」ために、独自の専門知識を必要とする天職(calling)である。我々の職業は、殺傷力の正当化された軍事力の行使に関する我々の専門知識と、我々の国のために死ぬことをいとわない従軍者の意志により、社会における他の職業とは一線を画している。我々の職業は、価値観、倫理観、基準、行動規範、技能、属性によって定義される。志願兵として、我々の宣誓義務(our sworn duty)は憲法にある。我々の職業としての地位は、我々が責任を負うべき人々、文民当局、そして米国国民によって与えられている。
信頼は与えられるものではなく、言葉ではなく行動によって得られるものである。信頼は横にも縦にも広がる。信頼は、我々の集団的性質の強さに内在している。内部的信頼(internal trust)は、コニュニティの連鎖に不可欠である。それは、同僚間、先輩と部下の間に内在するものであり、また求められるものでもある。従者(followers)は、指導者が自費を投じてでも部下の面倒を見てくれると信頼している。指導者は模範(example)を示し、部下と師弟のような関係を育む。
外部的信頼(external trust)は、我々が仕える人々、政府の指導者たち、そして米国国民との絆である。それは継続的に獲得されなければならない。軍の指導者には特別な信頼と信用が置かれている。この信頼は、我々の職業に従事する者が非政治的であり続け、自らの命を危険にさらしてでも憲法の原則と趣旨(intent)を決して裏切らないという事実に基づいている。兵役に就いた我々の男女は、兵役のおかげでより良い社会へと戻っていく[13]。
「武力という職業:陸軍白書(The Profession of arms: An Army White Paper)」 今日、陸軍が専門職とみなされているのは間違いない。しかし、我々がそう言うからといって、陸軍が職業であるわけではないことを忘れてはならない。我々の顧客である米国民は、我々がどの程度専門職であるかという判断を下すことになり、彼らは、我々が倫理的で模範的な方法で能力を発揮することに基づいて、我々が米国民との間に築く信頼の絆に基づいてそうする。
専門職は、ルーチンワークや反復的な仕事ではなく、独自の専門的な仕事(expert work)を生み出す。医学、神学、法律、軍隊は、「社会的信頼(social trustee)」を得るための職業の形態である。専門家の仕事の鍵は、純粋な効率ではなく効果性である。病人は治療を求め、罪人は赦しを求め、被告人は免責を求め、無防備な者は安全を求める。
専門職とその専門家には、継続的に専門知識を開発し、その専門知識を社会の最善の利益のためにのみ使用するという深い道徳的義務(moral obligation)が課せられている。専門家は実際には奉仕者である。特に軍事専門職は、社会が自ら提供できない安全保障を提供しなければならず、それなくしては社会は存続できず、国家が保持する価値観に従って専門知識を活用しなければならない。
米陸軍の職業倫理は、米国民、文民指導者、階級内の初級の専門家との信頼の上に築かれている。その信頼は、倫理の実践を通じて、日々、再獲得されなければならない。・・・この信頼のゆえに、米国民は、自らの専門知識(expert knowledge)を創造し、個々の専門家によるその知識の適用を取り締まるために、我々に重要な自主性を認めているのである。専門職以外の職業は、同様の自律性を享受していない。自らを取り締まる倫理は、特に武力の職業(profession of arms)にとっては、我々の職務に固有の致死性を考えれば、絶対的に必要なものである。
あらゆる職業のなかでも、我々の天職(calling)である武力の職業(profession of arms)は、その武器と作戦の殺傷能力の高さゆえに独特である。兵士は戦闘作戦以外にもさまざまな任務を課されるが、結局のところ、上の引用文にあるように、陸軍の中核的な目的と存在理由は、致死性の力(lethal force)を適用することである[14]。
今後の道のりにおける2つの因習破壊的な課題
武力の職業(profession of arms)に関する前述の記述を、時代とともに受け入れられてきた、あるいは明らかにされてきた真理として受け入れることは、限りなく誘惑的である。我々が自問すべきなのは、それが事実として妥当なのか、それとも、このブランドの妥当性や堅固さを再考させるような発展が進行中なのか、また、そのような発展に対する反応があるのか、ということである。比較的最近の、ジェームズ・スタブリディス(James Stavridis)退役提督らによる2つの短い論考と、「国家安全保障改革プロジェクト」のジェームズ・ローチャー(James Locher)元会長による論考は、それぞれ独自の方法でこの問題を提起している。
ジェームズ・スタブリディス(James Stavridis)、アーヴィン・J・ロッケ(Ervin J. Rokke)、テリー・C・ピアス(Terry C. Pierce) 民主主義社会においては、軍隊は文民統制を必要とする職業である。しかし、我々は、「暴力の管理(management of violence)」が武力の職業(profession of arms)の独自の専門性であるというハンチントンの主張を更新する必要があると主張する。・・・今日の武力の職業(profession of arms)の人々は「効果の管理者(the managers of effects)」であるが、望ましい効果を定義する主な責任は、特に戦略的な場においては、国家レベルの文民指導部にある。
ハンチントン(Huntington)のモデルは、安全保障が陸、海、空、宇宙といった自然のドメインにおける暴力を管理する国家能力に大きく依存していた半世紀には有用であった。しかし、彼のモデルは、外交政策のノン・キネティックな手段であるサイバー・ドメインにおけるものが台頭するにつれて、不十分なものとなっている。特にサイバー・ドメインでは、もはや国民国家とその軍隊は、武力手段の唯一の管理者ではない。自然のドメインだけでなく、サイバー・ドメインでもソフト・パワーを行使する新たなノン・キネティックな行為主体が、ハード・パワーのキネティックな効果を達成することができるのである。
ハンチントン(Huntington)の文民統制のコンセプトは、軍隊の専門的な能力開発に重点を置いており、民主的な社会にとって不可欠なものである。また、国家レベルの文民指導者が、望ましい効果を決定し明示する上で主要な役割を担う能力と意欲も必要である。その一翼を担う軍事専門職は、望ましい効果を達成するために、その管轄の範囲内で、キネティック、ノン・キネティックを問わず、あらゆる能力を管理する能力を備えていなければならない。
そのためには、従来の軍人の専門能力開発プロセスを多少拡大する必要があるかもしれない。彼らは、暴力を管理するというそれほど複雑ではない課題だけでなく、望ましい効果を達成するための幅広い手段を管理する能力を向上させるための専門知識を必要とするだろう[15]。
ジェームズ・ローチャー(James Locher) 大統領が国家権力の手段を管理するために使用する国家安全保障システムと、議会がそのシステムを監督し資金を提供する方法は、ますます複雑化し急速に変化する世界において、米国とその国益を守るために必要な機敏さを許さない。
現在の国家安全保障システムは、第二次世界大戦の教訓に基づき、大統領が冷戦を闘えるようにデザインされたものである。このシステムを支えている多くの前提は、もはや有効ではない。世界は進歩し、米国は自国の安全保障を脅かす新たな現実に適応する必要がある。現在のシステムは、大統領に国家安全保障問題への対処のための狭い選択肢を与え、国力の軍事的手段への過度の依存を引き起こしている。
かつての時代には適切であったにせよ、今日の国家安全保障システムは、現在の戦略環境にはそぐわない時代錯誤の不器用なものだ。・・・グローバル・テロリズム、サイバー攻撃、宇宙の中立性の課題から、スーダンの武装騎馬民族、イラクの多国籍宗教指導者、バルカン半島の民族浄化に至るまで、今日の国家安全保障の課題は、従来のカテゴリーを無視するものである。国家安全保障には、高度に統合(一体化)され、慎重に調整された、より広範な能力によってのみ対処可能な、さまざまな問題が含まれているのである。
将来の戦略的環境はダイナミックで予測困難であることが約束されているが、特定の脅威が他の脅威よりもはるかに可能性が高いという点ではコンセンサスが得られている。米国は、米国防総省(DOD)の主要機能をこうした可能性の高い脅威に向けて大幅に方向転換することに成功していない。たとえば、米国防総省(DOD)が民族的反乱や破綻国家を含む任務の計画への関心を高めているにもかかわらず、大規模な買収のほとんどは、依然として主要な対称的敵に焦点を当てている。米国は対等な競争者の出現を戦略的にヘッジする必要があるが、主要な対称戦(symmetrical warfare)が発生する短期的確率は僅少である。他方、軍隊は、不向きな任務分野を引き受けたり、引き受けざるを得なかったりしている[16]。
ノート
[1] Heritage Foundation, “Commissions,” The Heritage Guide to the Constitution, https://www.heritage.org/constitution/#!/%20articles/2/essays/99/commissions.
[2] 5 U.S. Code § 3331—Oath of Office, https://uscode.house.gov/view.xhtml?path=/prelim@title5/part3/subpartB/chapter33/subchapter2&edition=prelim#:~:text=An%20individual%2C%20except%20the%20President,enemies%2C%20foreign%20and%20domestic%3B%20that.
[3] Joint Publication 1, Doctrine for the Armed Forces of the United States (Washington, DC: The Joint Staff, July 12, 2017), https://irp.fas.org/doddir/dod/jp1.pdf.
[4] George Washington, “Sentiments on a Peace Establishment,” Newburgh, NY, May 1, 1783, https://founders.archives.gov/documents/Washington/99-01-02-11202.
[5] Alexander Hamilton, “The Powers Necessary to the Common Defense Further Considered,” Federalist No. 24, December 19, 1787, https://guides.loc.gov/federalistpapers/text-21-30; and “The Same Subject Continued: The Powers Necessary to the Common Defense Further Considered,” Federalist No. 25, December 21, 1787, https://guides.loc.gov/federalist-papers/text-21-30.
[6] Alexis de Tocqueville, Democracy in America, vol. II, book three, chapter XXII, trans. Henry Reeve (1840), https://www.gutenberg.org/files/816/816-h/816-h.htm.
[7] Samuel P. Huntington, The Soldier and the State (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1957).
[8] Morris Janowitz, The Professional Soldier (New York: Free Press, 1960).
[9] Sir John Winthrop Hackett, The Profession of arms, Lees Knowles Lectures, Trinity College, Cambridge, 1962, https://history.army.mil/html/books/070/70-18/cmhpub_70-18.pdf.
[10] Charles C. Moskos, Jr., “From Institution to Occupation: Trends in Military Organization,” Armed Forces and Society 4, no. 1 (November 1977), 41–50, https://www.jstor.org/stable/45346051.
[11] Richard M. Swain and Albert C. Pierce, The Armed Forces Officer (Washington, DC: National Defense University Press, 2017), https://ndupress.ndu.edu/Portals/68/Documents/Books/AFO/Armed-Forces-Officer.pdf.
[12] Douglas MacArthur, Sylvanus Thayer Award acceptance address, West Point, NY, May 12, 1962, https://www.americanrhetoric.com/speeches/douglasmacarthurthayeraward.html.
[13] Martin Dempsey, “White Paper: America’s Military—A Profession of arms,” February 23, 2012, https://danieldeubank.wordpress.com/wp-content/uploads/2013/03/americas-military-a-profession-of-arms-white-paper.pdf.
[14] The Profession of arms: An Army White Paper (Fort Eustis, VA: U.S. Army Training and Doctrine Command, December 8, 2010), https://www.moore.army.mil/armor/content/PDF/Profession%20of%20Arms%20White%20Paper%208%20Dec%2010.pdf.
[15] James G. Stavridis, Ervin J. Rokke, and Terry C. Pierce, “Crafting and Managing Effects: The Evolution of the Profession of arms, Joint Force Quarterly 81 (2nd Quarter 2016), 4–9, https://ndupress.ndu.edu/JFQ/Joint-Force-Quarterly-81/Article/701992/crafting-and-managing-effects-the-evolution-of-the-profession-of-arms.
[16] James R. Locher III, “The Most Important Thing: Legislative Reform of the National Security System,” Military Review, May–June 2008, 19–27, https://www.armyupress.army.mil/Portals/7/PDF-UA-docs/Locher-UA.pdf.