陣地戦 (Marine Corps Gazette)

先般紹介したのは、米陸軍退役中佐のAmos C. Fox博士の「陣地戦(positional warfare)」に関する論稿「陣地戦の理論:21世紀の陸上戦の戦略」だった。戦い方を論じたものには、Amos C. Fox博士の論稿とは違い、固定的な陣地戦の意味合いの強い論考もある。今回紹介するのは、ウクライナの戦場での戦い方について、陣地戦の戦い方であると議論され始めたころの論稿である米海兵隊のMarine Corps Gazetteに2024年9月に掲載された「陣地戦(positional warfare)」である。論述の中には、米軍が助言や支援にあたって、「砂漠の嵐作戦(Operation DESERT STORM)」や「イラクの自由作戦(Operation IRAQI FREEDOM)」での米軍の成功の教訓に引きずられているような印象なども述べられている。

また、この論稿で引用されているウクライナ軍総司令官ヴァレリー・ザルジニー(Valery Zaluzhny)将軍の「現代陣地戦とそれに勝つ方法(Modern Positional Warfare and How to Win in It)」や、パット・ギャレット(Pat Garrett)とフランク・ホフマン(Frank Hoffman)著「機動戦は死んでいないが、進化しなければならない (www.usni.org)」等も、既に投稿してあるのでご覧いただきたい。

日本の国家安全保障戦略を含む安保3文書の検討で、新しい技術に焦点を当てたような新たな戦い方が論じられている状況であるが、あえて新たな戦い方を考える際の参考になればと考える。(軍治)

陣地戦

2024年~2027年のウクライナの展望

Positional Warfare

Prospects for Ukraine in 2024–2027

By: Mr. Harry B. Halem

Posted on August 15,2024

Article Date 01/09/2024

U.S. Marine Corps Gazette

ハレム(Halem)氏は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の国際関係学博士課程に在籍し、ヨークタウン研究所の上級研究員、ロンドンを拠点とする政策交流機関「ポリシー・エクスチェンジ」の防衛部門上級研究員、そして中東研究所の国務省タイトルVIII黒海フェローを務めている。セント・アンドリュース大学で国際関係学と哲学の修士号(優等学位)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで政治理論の修士号を取得している。

ここまでの道程

ウクライナ戦争が始まって3年が経ち、当時の統合参謀本部議長マーク・ミリー(Mark Milley)やジョセフ・バイデン(Joseph Biden)大統領をはじめとする米国とヨーロッパの人々がウクライナの崩壊を息を呑んで予測していたことを思い出す価値がある[1]。ドイツとフランスは、信じられない気持ちと希望的観測が入り混じった反応を示した。ドイツは侵略(invasion)の可能性を完全に無視していた[2]。これは、米国の推定ではロシア軍がキーウにいるはずだった2月27日のオラフ・ショルツ(Olaf Scholz)の「時代転換(Zeitenwende)」演説の「方針転換(volte-face」を説明するものだった[3]

フランスのインテリジェンス機関は深刻な失敗を犯したが、フランスは明らかにロシアの侵略(aggression)を政治的機会と見なしており、それがエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)のモスクワへの高速移動につながった[4]。マクロン(Macron)が最終的にフランスの戦略的立場を変え、キーウの独立と欧州統合の重要な修辞的支持者となったことは、マクロン(Macron)の政治的直感(political instincts)の証である[5]。米国のインテリジェンス機関の失敗は、ある点ではより説明しやすい。ロシアの戦役計画(Russian campaign plan)はほぼ成功していたのだ[6]

ロシアの多軸攻撃、インテリジェンス準備、全国的な航空戦役(country-wide air campaign)は、ウクライナの意思決定を圧倒し、ロシアの空挺部隊がホストメル空港を保持し、ロシアの装甲部隊が2月25日までにキーウに入ることを可能にするようにデザインされていた。ウクライナ軍は分断された部隊に分裂し、今後数週間で包囲・掃討される可能性が高く、一方、ロシアの特殊部隊はウクライナ占領のために住民統制措置を開始するだろう。

ロシアの失敗は、シュリーフェン(Schlieffen)伯爵がフランス軍を単翼で包囲しようとした計画と同様に、計画策定の複雑さに起因する部分が大きい。モルトケ(Moltke)伯爵は包囲網の右翼を弱体化させたものの、彼の行動は右翼におけるドイツ軍の戦闘力を実際に低下させることはなかった[7]。しかし、理論的には優れているにもかかわらず、ドイツ軍は最終的にいくつかの摩擦点(friction points)、特に48時間以内にリエージュを無力化する必要性、徒歩でフランスを高速で進軍する必要性、そして戦闘に遭遇しても勢いを維持する必要性のために失敗した。結果として、3番目の要因が作戦計画を台無しにした。ヴァレリー・ザルジニー(Valery Zaluzhny)とオレクサンドル・シルスキー(Oleksandyr Syrskyi)が戦争の衝撃(the shock of war)が収まった後にキーウの防衛を構築したように、ジョフル(Joffre)が前進してドイツ軍の進撃を妨害するという決定を下したことは、戦場における勝利の理論を崩壊させた[8]

西側の計画立案者たちは、戦場における機動について過度に理屈っぽく捉えることの危険性を理解しておくべきだった[9]。ロシア軍はイルピン川を渡ったものの、首都は依然として防御可能な位置にあった。特に、デスナ川がロシア軍の東方における選択肢を狭め、ドニプロ川が北方からの直接攻撃を阻んでいたためである。さらに、ロシア軍の南部進撃を可能にしたインテリジェンス浸透がなかったため、ロシア軍が都市部を迅速に占領できる可能性はほとんどなかった。そのため、ハルキウ(Kharkiv)、スーミ(Sumy)、チェルニヒウ(Chernihiv)はロシア軍の包囲下にもかかわらず抵抗を続け、ロシア軍の補給線を圧迫し、ロシア軍に首都への攻撃か、あるいは他の場所での組織的な高犠牲を伴う市街戦かの選択を迫った[10]

当然のことながら、2022年は作戦的移動の年だった。ほとんどの戦争は移動の段階から始まる。部分的な例外である第一次世界大戦でさえ、この法則を証明している。1939年9月から1940年5月までの「まやかし戦争(the Phoney War)」は戦略的な間奏曲であり、最終的には迅速な機動戦役(a rapid maneuver campaign)によって打ち破られた[11]。実際、ウクライナの場合も、ドイツ国防軍の「黄色い戦役(Fall Gelb」がよく表れている[12]。ウクライナとロシアは2014年からドンバスを巡って闘っており、接触線沿いによく構築された多層の要塞を築いている[13]

ロシアの戦闘記録が示すように、これらの場所を攻撃するのは困難で費用がかかる。ロシアはセヴェロドネツク(Severodonetsk)を占領するのに3か月、バフムート(Bakhmut)を占領するのに6か月、そして10年間の戦争の後、6か月の集中戦闘を経てアウディーイウカ(Avdiivka)を占領した。1940年のドイツ国防軍参謀本部と同様に、ロシア参謀本部は陣地防御を回避する攻撃的な作戦計画を作成した。しかし、機動の戦争とされていた第一次世界大戦でさえ、膠着状態が続く局面があった。例えば、ドイツ軍とイギリス軍による地雷原突破作戦、モスクワ周辺でのソ連とドイツの攻防戦、イタリアの塹壕に対する激しい正面攻撃、そして多大な犠牲を伴った米英軍によるジークフリート線突破作戦などである[14]

ウクライナ戦争の陣地的移動の力学は似ている。ウクライナは2022年に3回の反攻作戦を行った。ロシアの包囲網を突破したハルキウでの限定的な作戦、12,000平方キロメートルの領土を解放したより大規模なハルキウ作戦、そしてロシア軍をドニプロ川の向こう側へ押し戻したヘルソン(Kherson)でのより組織的な作戦である。しかし、それ以降、移動はほとんどなく、努力が足りなかったわけではない。

ロシアは2つの大規模な攻勢を実行した。2022年から2023年の冬から春にかけての攻勢はヴフレダル(Vuhledar)とバフムート(Bakhmut)の占領を目指し、2023年から2024年の冬にはアウディーイウカ(Avdiivka)とクピャンスク(Kupyansk)に対する攻勢を行った。どちらも作戦上の大きな変化には至らず、どちらもロシア軍に甚大な損害を与えた。一方、ウクライナは2023年6月から9月にかけて大規模な攻勢を開始したが、明らかな犠牲を払ったにもかかわらず、作戦上重要な成果を上げることはできなかった。

西側の軍事・安全保障当局者は、2023年の攻勢中のウクライナの戦略的・作戦的意思決定を繰り返し匿名で批判した[15]。もちろん、ウクライナは攻勢の開始段階以降、西側の助言をほぼ無視し、ロボティーン(Robotyne)に対する最初の突破作戦の失敗後、戦闘状況を考慮すると西側の助言は無関係であると迅速に判断した[16]

例えば、西側諸国は、相互の航空拒否、限定的ではあるものの貴重な長距離打撃能力容量、偵察打撃と偵察火力複合体の加速と融合、そしてこれらすべてを大規模動員軍で行った戦争を闘ったことはない。実際、西側諸国は、第二次世界大戦以降、ウクライナが試みたような諸兵科連合突破作戦を実行したことも、ベトナム戦争以降、そのような作戦から防衛したこともない。

では、ウクライナが直面している状況とはどのようなものだろうか?ウクライナの戦略的計画策定と作戦遂行を支援するために、助言と支援の取組みをどのように調整すればより効果的になるだろうか?これは、今後3年間の戦場と欧州の政策を診断する上で、どのような示唆を与えてくれるだろうか?

陣地戦

米国の助言・支援任務は、ベトナム戦争以降、概して失敗に終わっており、特にイラクとアフガニスタンでは顕著な失敗が見られた[17]。後者の2つのケースでは、米国は戦術的・戦略的要求に実際に合致する軍事組織の構築を拒否した。米国は特殊作戦部隊(SOF)の支援に長けている。アフガニスタンとイラクでは、米国が訓練した特殊作戦部隊(SOF)が、そして後者では現在も、国家の戦闘能力容量の根幹を成している[18]

米国の広範な支援能力を背景に、容赦なく突撃歩兵として展開された現地の特殊作戦部隊(SOF)は、戦術的にはあらゆる敵対者を凌駕した。しかし、問題は戦略的なものだった。米国が維持する支援ネットワークがなければ、イラクとアフガニスタンの特殊作戦部隊(SOF)は戦闘能力を失う。アフガニスタンの場合、これが政権崩壊につながった。米国が支援任務を終了した途端、航空支援がなくなったアフガニスタン国軍の特殊作戦部隊(SOF)は圧倒された[19]

ウクライナでも同様のパターンが見られると言えるだろう。2022年2月以前の米軍とウクライナ軍の最も緊密な接触は、特殊作戦部隊(SOF)の訓練任務であった[20]。2022年以降、米軍関係者はウクライナの成功に驚きはなかったと語っている。彼らのウクライナ軍に対する見解は、官僚的な理由から、上級司令部や総合的な評価・戦闘予測チームに伝えられることはなかった[21]

しかし、官僚主義だけでは、米国と同盟国によるウクライナ・ロシア間の軍事バランス認識の欠陥や、助言・支援任務の困難さを説明することはできない。官僚主義的な惰性は重要である。西側諸国で訓練を受けたウクライナ兵は質の高い戦闘医療指導を受けたものの、無人航空機が蔓延する戦場で戦った経験のない教官たちは、ウクライナの戦場に適用できる一貫性のある戦術的・作戦的指導を提供できなかったのである[22]

米国の助言・支援任務と戦場の現実との間のギャップを理解するには、軍事理論に立ち返る必要がある。具体的には、ウクライナの戦場が進化してきた陣地的戦争(positional warの特性を理解し、そこから一連の分析的推論と具体的な提言を構築していく必要がある。

昨年11月にEconomistに掲載された、最近解任されたヴァレリー・ザルジニー(Valery Zaluzhny)の論文は、特に同氏がソ連の軍事理論モデルに基づいて執筆したため、有用ではあるものの不完全な出発点となる[23]。ザルジニー(Zaluzhny)の分析は、無人航空機システム(UAS)、防空、地雷、電子戦、対砲兵火力の相互連携に焦点を当てている。これらが組み合わさると、攻撃者にとって厄介な問題となる。密集した地雷原は攻撃者の進軍を遅らせ、無人航空機システム(UAS)による継続的な監視は攻撃部隊を迅速に特定し、効果的な電子妨害、対砲兵射撃、防空は攻撃側の戦場の孤立を制限する。

十分な兵力があれば突破は可能だが、その兵力を訓練し装備することは困難である。さらに、ウクライナの戦場では、集結した部隊が発見され、攻撃されて破壊されると、兵力の戦闘力の利点は低下する。これは、ウクライナが精密誘導兵器の使用によって十分に実証してきた現実である。

ザルジニー(Zaluzhny)の論文は、ウクライナ戦争の根本的な陣地的論理(positional logic)を明らかにしている点で、重要な出発点となる。しかし、ザルジニー(Zaluzhny)は陣地的戦争(a positional war)を明確に定義していないという欠点がある。この用語自体が他の文献で十分に定義されていないため、この点が大きな問題となっている。

アングロ・アメリカ人の軍事思想では、陣地(position)と消耗(attrition)を混同することが多い。一方、消耗は重大な負の意味合いを持つ。消耗の戦争(a war of attrition)は機動の戦争(a war of maneuver)と対比されることが多い。前者は第一次世界大戦の西部戦線のような洗練されていない殴り合いであり、物資生産と政治的な粘り強さが軍事指揮の要素を凌駕する[24]。後者はナポレオンの戦役(Napoleon’s campaigns)のような軍事術の模範であり、戦術的技能と攻撃性が組み合わさって、戦略的および作戦的リーダーシップの真の例を生み出す。

米国軍の歴史を考えると、機動を消耗よりも重視する米国の偏り(American bias)は奇妙に思える。18世紀と19世紀の米国軍最高司令官であるジョージ・ワシントン(George Washington)とユリシーズ・グラント(Ulysses Grant)は、どちらも消耗的な闘いの名手(masterful attritional fighters)だった。ワシントンの天才性は撤退にあった。訓練と装備に優れたイギリス軍が主要な戦闘で勝利を収める一方で、ワシントンは植民地軍の大部分を温存する複数の撤退作戦を成功させた。これは紛れもなく消耗的アプローチであり、敵を消耗させることで、ワシントンはより公平な戦略的均衡のための条件を作り出した。

一方、グラント(Grant)は消耗の論理(the logic of attrition)を受け入れた。彼のオーバーランド戦役(Overland Campaign)は、ロバート・E・リー(Robert E. Lee)の北バージニア軍に絶え間ない圧力をかけ、わずか数週間で何度も戦闘を強いることで、最終的に南軍を勝利の見込みのない膠着状態に陥れた。米国陸軍の伝統における3人目の偉大な将軍であるウィリアム・T・シャーマン(William T. Sherman)は、南軍の中心地で同様に消耗的戦争を闘い、海への進軍とそれに続くカロライナ戦役によって、南軍を二分し、戦争を行っていく能力容量を破壊した。

さらに、米国の軍事伝統は、いくつかの根本的な点で、米国合衆国の圧倒的な経済的能力容量に見合った戦略というコンセプトを欠いている。1812年の米英戦争を部分的に除けば、アメリカ合衆国は構造的な弱点から紛争に突入したことは一度もない。南軍は確かに優秀な将校と米国の綿花生産力を擁していたが、北軍の工業・商業の中心地である北東部が圧倒的な優位性を与えていた。

1898年のスペイン帝国は衰退の一途を辿っていた。1917年と1941年には、アメリカ合衆国は確かに大きな敵対者に直面したが、人口、工業生産、資源の豊富さにおいて優位性を保っていた。したがって、1941年12月以前のフランクリン・ルーズベルト(Franklin Roosevelt)の根本的な前提は、米国の政策は、その自然な優位性を活かして闘いに臨むことであるというものだった。

したがって、米国の戦略は兵站、すなわち工業の能力容量と人口を戦闘力に転換し、戦闘中に部隊を維持する能力である。これは軍事科学においてしばしば軽視される側面である。しかしながら、米国の軍事実務家にとって、理論的な探求の材料となるような要素は多くない。

米国の軍事的伝統は、戦術的卓越性の事例を主にドイツの伝統に求めている。これは第一次世界大戦直後、米国陸軍がドイツ軍の装甲部隊将校に対する事情聴取を合理的に主張したことから始まった。サミュエル・ハンティントン(Samuel Huntington)の「軍人と国家(The Soldier and the Stateこの傾向を確固たるものにした。同書はプロイセン・ドイツ参謀本部を現代の軍民関係のモデルとし、軍人を暴力の合理的な政治的統制に専念する専門家とみなしている[25]

戦術的にも作戦的にも、米国の軍事術(military art)は、主導性、攻撃性、そして装甲部隊、砲兵部隊、航空部隊間の優れた火力と同時攻撃の適用を重視しており、今日ではサイバー空間作戦と組み合わせることで、敵の結束を崩壊させ、「砂漠の嵐作戦(Operation DESERT STORM)」や「イラクの自由作戦(Operation IRAQI FREEDOM)」のような迅速かつ決定的な勝利を収めようとしている。海兵隊も同様に機動戦(maneuver warfare)を取り入れ、1990年代までには陸軍の機動戦への執着を凌駕したと言えるだろう[26]

この見解は、明らかに自己都合的な理由から機動戦(maneuver warfare)を支持している。機動戦は、パットン(Patton)、グデーリアン(Guderian)、ロンメル(Rommel)といった人物に代表される真の軍事的技能(true military skillの表れであると同時に、戦争を短期間で終結させる効果もあり、これは米国の民主主義にとって極めて重要である。さらに、ハンティントン(Huntington)のモデルによれば、米国の政治当局は一般的な目標を設定し、軍は提示された問題に対する最も合理的な戦闘解決策を見出す。こうして軍の指揮官は、表向きは客観的な軍事的根拠に基づいて政治指導者に異議を唱えることができるようになり、クラウゼヴィッツ(Clausewitz)には理解しがたい形で、戦闘環境全体を理解する責任を放棄することになる。

しかし、消耗(attrition)と機動(maneuver)の二分法は、米国や西側の軍事思想では一般的ではあるものの、知的に有益とは言えない。まず、消耗は戦闘の現実とクラウゼヴィッツ(Clausewitz)の摩擦(friction)の両方から見て、紛争の基本的な状態である[27]。また、機動のパラダイム(the maneuver paradigm)は、米国の戦略家が目的と手段を首尾一貫して結びつけることを妨げてきた。米国の戦闘方法を過度に強調することで、米国の機動戦(maneuver warfare)は、実際に戦闘に影響を与える政治的および軍事的文脈的要因から逸脱している。

ソ連の伝統では、機動と消耗はやや異なる形で捉えられていた。最も価値のあるものは、ソ連の理論家の中でも最初期であり、おそらく最も知的に一貫性のある人物であるアレクサンダー A.スヴェチン(Aleksandr A. Svechin)の著作である[28]。彼の著書「戦略(Strategy」では、消耗と機動ではなく、消耗(attrition)と破壊(destructionが対比されている。後者は、直接交戦において敵の戦闘の能力容量を破壊することを目標とする戦争形態(a form of war)であり、前者は武力紛争を遂行するその他の方法である。スヴェチン(Svechin)の主張は、破壊の戦争(a war of destruction)が遂行される限定的な状況を示すことにある。

軍事術(military art)における歴史的比較は困難であり、そのためクラウゼヴィッツ(Clausewitz)は、類似性は時代が近い事例から探すべきであると主張した[29]。戦争は政治的現象であり、したがってその本質(natureは必然的に固定されており、政治の本質も同様である。しかし、政治の性質、すなわち政治単位の組織と採用される政治的・経済的技術の種類は、戦いの性質(the character of warfare)と同様に、時代とともに変化する。18世紀後半から19世紀初頭の戦争の時代は、ナポレオンに代表される破壊的アプローチの頂点を画していた。18世紀後半には、政治技術と後方支援の変化により軍隊の規模は大幅に拡大したが、通信と輸送の限界により、戦術的な交戦は戦略と直接結びつくことができた。

さらに、18世紀から19世紀初頭の国家は、官僚的ではなく、個人的で脱封建的であった。ナポレオン(Napoleon)が変革的な勝利を収めることができたのは、敵が君主あるいはそれに近い存在として戦闘で自らの軍隊を指揮し、戦術と政治が直接結びついていたからである。これは、アウステルリッツ、イエナ・アウエルシュタット、ヴァグラムにおけるナポレオン(Napoleon)の成功を説明する。それぞれの戦いで、彼は敵の君主を打ち破り、それによって和平を強要することができたのだ。

対照的に、1812年から1815年にかけてのナポレオン(Napoleon)の最終的な敗北は、戦術的勝利から政治的な影響を生み出すことができなかったことに起因する。ボロジノの戦いではそれが欠けており、ドイツ戦役におけるナポレオン(Napoleon)の勝利でさえ、政治的な反響を呼ぶほど圧倒的なものではなかった。直接的な政治的影響をもたらした戦術的交戦の例は、プロイセンのケーニヒグレーツでの勝利やドイツのセダンでの勝利など、その後も存在する。

しかし、これらの勝利とアウステルリッツやヴァグラムでの勝利には明らかな違いがある。いずれの場合も、敗北が敵の即時降伏につながったわけではなかった。ケーニヒグレーツの戦いの後、有利な条件で戦争を終結させるには、ビスマルクの自制が必要だった。ナポレオン3世(Napoleon III)が退位した後も、フランス軍はセダンの戦いの後1年間戦い続けた。

スヴェチン(Svechin)は、第一次世界大戦の残虐性は、直線的な戦術の時代を支配していた戦術的・政治的な結びつきの喪失に起因することを理解していた[30]。社会動員、通信技術の進歩、間接火力砲兵の出現といった要因が複合的に作用し、戦場は幅と奥行きを拡大し、個々の交戦をはるかに超えた戦闘の組織原理を必要とした。プロイセン参謀本部のモデルは、特にシャルンホルスト(Scharnhorst)とグナイゼナウ(Gneisenau)の政治的重視という点で、ある程度の助けとなった。これは、プロイセンの軍事的天才である大モルトケ(Moltke the Elder)が見落としていたアプローチである。

しかし、プロイセンのモデルは、大規模な近代戦闘の論理をうまく提供することはできなかった。スヴェチン(Svechin)の目標は、決勝点(decisive pointを重視し、その到達目標に向けてすべての取組みを調和させるのではなく、現代戦争(modern war)は通常、社会的消耗の争い(a societal contest of attrition)となり、勝利は最初の交戦ではなく、最後の交戦に勝利できる側に与えられることを示すことであった[31]

スヴェチン(Svechin)の陣地戦(positional warfareの理解は、次のような用語で表現されている[32]。すべての戦争には攻勢的狙いか防御的狙いがあり、戦術的な行動が戦略的な反響を生み、政治的到達目標の転換を余儀なくされるため、紛争を通じて狙いが変化することが多い。陣地的戦争(positional war)は、少なくとも一方の側が、たとえ一時的であっても防御目標を採用し、塹壕を掘り、西部戦線のような多層的な要塞システムを構築したときに発生する。

攻撃は依然として可能であるが、よく構築された防御には、攻撃側にとって大きな犠牲を伴う突破と戦果拡張作戦(exploitation operation)を実行するための優れた計画策定が必要となる。この論理は、1943年から1945年のソ連の攻勢で実際に見られ、ソ連は予備兵力の慎重な管理と攻撃の計画によってクルスクからベルリンまでの作戦の勢いを維持し、それによってドイツ国防軍が安定した防衛線を再構築することを阻止することができた。

スヴェチン(Svechin)は、位置的条件(positional conditions)下で行われる攻勢と、陣地的戦争を打破(break a positional war)して機動の状態に戻す攻勢の2種類を区別している。前者の例として、人類史上最も犠牲の大きい戦いであるヴェルダンの戦いとソンムの戦いを挙げている。

したがって、陣地的戦場を機動の戦場に変えるには、膨大な取組みと綿密な計画策定が必要となる。スヴェチン(Svechin)の分析は、陣地的攻勢を準備するために必要な条件について示唆に富む。陣地的戦争において指揮官が犯しうる根本的な間違いは2つある。

第一に、陣地指揮官は戦略的および作戦上の問題を兵站の問題に矮小化し、陣地的闘いを生産に依存する静的な敵対者との争いと見なしてしまうことがある。陣地的戦闘では確かに物資重視が求められる。しかし、戦争は非線形かつ人間的な現象であり、物資的要因だけでなく、はるかに多くの要素に注目する必要がある。

第二に、そしてより危険なことに、陣地指揮官は不当な攻撃への固執を抱き続ける可能性がある。機動の条件下では、指揮官はしばしば攻撃を控え、敵を不利な地形で闘わせることを期待して陣地を後退する。スヴェチン(Svechin)によれば、この衝動はしばしば極端に走るが、ある程度の妥当性はある。もしリー(Lee)将軍がゲティスバーグ戦役(Gettysburg Campaign)でこの方針に従っていたら、北バージニア軍は兵力を無傷で撤退させ、ポトマック軍を追撃させることができたかもしれない。

しかし、位置的条件(positional conditions)下では、突破に必要な計画策定、調整、順序付けの規模は、単一の交戦やわずかな地形への対応を超えた準備を必要とする。ところが、陣地的指揮官はすぐに自らが闘う地形に固執し、双方が互いに依存するような力学を生み出すのである[33]

指揮官は、たとえ現在の最前線からわずか数百メートル後方に極めて防御しやすい地域が存在するとしても、将来の攻勢のために不利な地形に陣地を維持する。適切な忍耐と計画策定があれば、限定的な陣地攻勢は敵の防御システムを崩す上で成功する可能性がある。しかし、位置的条件(positional conditions)によっては、最終的な攻勢に向けて資源を慎重に蓄積する必要があり、戦力の温存と敵対者の消耗の抑制が戦術上の最優先事項となる。

消耗と決心

ウクライナ戦争は陣地的な局面に入り、戦場は要塞が支配している。しかし、ウクライナとロシアのどちらにも、この戦争の陣地的様相を打破する見込みがあるのか​​、あるいは外部の政治的要因によってどちらか一方、もしくは両方が戦略的な判断を変え、和解を受け入れるまで、この争いがこのまま続くのか、という点が問題となる。

ロシアとウクライナは、地理的に異なる問題を抱えている。純粋に経済的な観点から、外交問題や政治的圧力を考慮に入れなければ、ウクライナは占領地の大部分をロシアに割譲する和平を受け入れる可能性がある。2022年以前に、ウクライナはすでに工業生産の大部分をドンバス地方から移転させていた。ロシアの勢力拡大はハルキウとザポリージャ(Zaporizhzhia)の両都市を脅かすものの、ウクライナは生産拠点を他の地域に移すことができる。さらに、ウクライナはオデッサ港の再開に成功し、ルーマニアへの鉄道網を拡大することで、ヘルソンやアゾフ海沿岸のマリウポリ(Mariupol)港、ベルジャンスク(Berdyansk)港への依存度を低下させている。

しかし、ロシアはこのようにして和平を締結することはできない。戦争で十分に示されたように、ドンバスとクリミアの間にはウクライナの圧力下で一貫した兵站を維持できるほど広い陸路回廊がない。東部では、地理的な偶然と十分な戦略的縦深のために防衛線の要となる場所がない。理想的には、北部ではオスキル(Oskil)川とシヴェルスキー・ドンベツ(Siverskyi Donbets)川が防衛線の要となり、中央では少なくともスロビャンスク(Slovyansk)とクラマトルスク(Kramatorsk)が防衛線の要となるべきである[34]

理想的には、ロシアはドニプロ川まで進軍し、国を二分して、ウクライナの縦深の打撃に対する長期的な防衛の盾として確立するべきである。ロシアは戦略的地位を安定させるためにはより大きな領土の獲得が必要であり、さもなければ、2014年から2022年のように、政権が征服によって解決しようとする解決不可能な戦略的問題に直面するリスクがある。

ロシアは、2022年後半のセルゲイ・スロビキン(Sergei Surovikin)司令官の指揮と2023年夏の南部防衛を除き、戦術的攻勢に固執してきた。ロシアの攻勢の結果は著しく悪く、ロシア軍は30万人以上の死傷者を出し、高性能装甲車両の在庫をほぼ使い果たし、弾薬の供給を北朝鮮とイランに頼らざるを得なくなった。

問題は、長期にわたる改修期間、より良い指揮・統制構造(command-and-control structures)、そして改善された計画策定がなければ、ロシアは物資の優位性にもかかわらず、大きな突破口を開いてそれを活用するのに苦労するだろうということだ。

スヴェチン(Svechin)は、陣地的戦争、消耗的戦争における指揮官にとって、さらに二つの参考点を提供している。ウクライナは政治的、戦略的な理由から破壊の戦役を実行する能力がないため、この戦争はロシアにとってではなくとも、間違いなくウクライナにとって消耗の戦争となるだろう。

第一に、消耗の戦争(a war of attrition)においては、クラウゼヴィッツ(Clausewitz)以降の意味での決勝点(decisive point)は存在しない。スヴェチン(Svechin)は、クラウゼヴィッツ(Clausewitz)の重心(center of gravity)が無関係だという意味で言っているわけではない。本来理解されているクラウゼヴィッツ(Clausewitz)の重心とは、物理的な土地ではなく、道徳的結束、政治的目標、経済の能力容量、軍事力の結びつきである[35]。消耗の戦役(an attrition campaign)においては、敵の体制を打倒することが目的であるため、特定の決定的な局面を特定することは極めて困難である。したがって、スヴェチン(Svechin)によれば、決定的な局面の条件は時間をかけて作り出されなければならない。

第二に、陣地的戦争(a positional war,)においては、計画策定と作戦術(operational art)において最も重要な要素は、敵の予備戦力を操る能力である。陣地防御は極めて突破困難である。これを突破するには、敵の戦力を分散させ、均衡を崩し、徐々に消耗させることで、敵を時間をかけて弱体化させ、最終的に決定的な突破口を開く必要がある。そうすることで、戦争の様相は消耗の戦争ではなく、破壊の戦争へと変化するのである。

展望

2024年は、防衛の計画策定、要塞化、そして消耗の年となるだろう。ロシアの資源は有限であり、より具体的には、広範な経済的制約がロシアの計画策定に影響を与え始める。したがって、ウクライナと西側諸国が成功する戦略を立てるには、この1年を利用して将来の行動に備え、戦闘能力容量を構築する必要がある。

ロシアの戦略は、西側諸国の崩壊を見越して時間を稼ぎ、圧力をかけ続けることである。しかし、そのような事態が起こる可能性はますます低くなっているようだ。米議会での援助は、政治的駆け引きと道徳的な不条理が相まって停滞しており、その責任はバイデン(Biden)政権、下院共和党、議会民主党の間で不均等ながらも共同で分担されている。

しかし、欧州諸国はついに目を覚ましたようだ。ウクライナは英国、フランス、ドイツと防衛協定を締結し、中・東欧諸国とスカンジナビア諸国は防衛生産を積極的に拡大している。たとえ米国がウクライナを見捨てたとしても、欧州の支援拡大と米国の影響力低下により、戦争終結には至らないだろう。

しかし、ロシアが停戦を目標としているのは明白な理由がある。ロシアの労働市場は既に極めて逼迫しており、ウクライナでのさらなる損失とそれに伴う戦争の取組みのための徴兵によって、日々逼迫度が増している。その結果、軍需品の品質は低下している。さらに、ロシアの生産の多くは、ソ連時代の備蓄品からの改修によるものである。確かに、これだけでもロシアが闘いを継続するには十分であり、旧式の戦車や砲も大量に投入すれば依然として致命的な脅威となる。しかし、消耗は累積するものであり、システムにさらなる負荷がかかれば、いずれ崩壊するだろう。

ロシアで総動員が行われれば、特にウクライナに対する欧州の支持が強固になっていることを考えると、クレムリンはますます解決困難な窮地に陥るだろう。ロシアは再編成、計画策定、安定化の期間がなければ地上の戦争に勝利する可能性は低い。しかし、これを受け入れるには前線での圧力を弱める必要があり、その間にもウクライナはプーチン(Putin)にとって恥ずべきドローン攻撃を公然と実行している。したがって、圧力は維持されなければならない。しかし、そのためには、ロシアが被った膨大な数の犠牲者を考えると、より大規模な動員がすぐに必要となるだろう。

動員は、人的・資本的逃避の新たな波を引き起こし、すでに逼迫している労働市場をさらに圧迫し、インフレ圧力の新たな波を引き起こすだろう[36]。ルーブルが下落するにつれて、ロシアは軍事物資を含む外国からの物資の購入がますます困難になるだろう。これは、ロシアが2022年2月以来一貫して阻止しようとしてきた国内紛争の可能性を高める。この危機が長引けば国家を崩壊させ、ロシアは戦争に勝利するか(これはロシアの能力容量を超える提案である)、あるいは戦争を一時停止するか(欧州諸国が分裂すればロシアの権限の範囲内にある)のどちらかを迫られることになるだろう。

一方、ウクライナは、ロシアに甚大な損害を与え、動員サイクルに陥らせ、そのサイクル中に圧力を維持して社会的な緊張を高める、組織化された積極的な防衛作戦を実行しなければならない。アウディーイウカ(Avdiivka)はその一例である。ウクライナは6ヶ月に及ぶ戦闘でロシア軍に甚大な消耗を与え、第47および第110機械化旅団、第10山岳突撃旅団の一部、その他の小規模部隊を含む複数の旅団を、12個のロシア正規旅団および連隊、おそらく6個の地域旅団、およびさまざまなストームZ部隊に対して、都市防衛に投入した。

第3突撃旅団によって行われたアウディーイウカ(Avdiivka)からの撤退は、200人のウクライナ兵が取り残されるなど、犠牲を伴い、特に第110機械化旅団は大きな損害を受けた。しかしその見返りとして、ウクライナはロシア側に3万人以上の死傷者を出させ、ウクライナ側の死傷者は約6000人にとどまった。これは、正確な戦闘力や医療体制にもよるが、ウクライナ軍2個旅団に対しロシア軍約10個旅団という割合である。

ウクライナが慎重かつ綿密に領土を譲り渡していく、緩慢で組織的な防衛こそが、ロシア軍にこれほどの打撃を与える最善の方法である。しかし、これは政治的な問題でもある。ロシアはウクライナをザポリージャ州のオリヒウ(Orikhiv)まで押し戻し、そこを占領し、さらにハルキウ州のオスキル(Oskil)までウクライナを押し戻そうと目論んでいるため、ウクライナは今年も領土を失うことになるだろう。ロシアは勝利のたびに大々的に宣伝するだろう。特に2024年11月の米国大統領選挙を前にしてはなおさらだ。戦場の現実を認識する政治的意思を育むのは、ウクライナとワシントン、そしてヨーロッパのパートナーたちの責任である。

ウクライナは、賢明に闘えば、陣地の戦争に勝利できる。

ノート

[1] ジャッキー・ハインリッヒ(Jacqui Heinrich)とアダム・セイブス(Adam Sabes)著「ミリー将軍は、ロシアがウクライナに侵攻を決めればキエフは72時間以内に陥落する可能性があると述べている:情報源(Gen Milley Says Kyiv Could Fall In 72 hours if Russia Decides to Invade Ukraine: Sources)」、Fox News、2022 年 2 月 5 日、https://www.foxnews.com/us/gen-milley-says-kyiv-could-fall-within-72-hours-if-russia-decides-to-invade-ukraine-sources;およびジョン・ボーデン(John Bowden)著「バイデンはウクライナのキエフ大統領がロシアの差し迫った侵攻によって「解任される」可能性があると警告した(Biden Warned Ukraine’s President Kyiv Could Be ‘Sacked’ By Imminent Russian Invasion)」、The Independent、2022 年 1 月 28 日、https://www.independent.co.uk/news/world/americas/us-politics/biden-ukraine-kyiv-invasion-russian-troops-b2002442.html

[2] ミシェル・デュクロ(Michel Duclos)著「ウクライナ戦争―フランスは外交政策の選択肢を再評価する必要がある」、モンテーニュ研究所、2022年6月8日、https://www.institutmontaigne.org/en/expressions/war-ukraine-france-needs-reassess-its-foreign-policy-options; ベルンハルト・ブルーメナウ(Bernhard Blumenau)「ロシアの侵攻がドイツの外交政策をどのように変えたか」Institute Montaigne、2022年11月18日、https://www.chathamhouse.org/2022/11/how-russias-invasion-changed-german-foreign-policy;ジャスティン・ハグラー(Justin Huggler)著「侵攻を予見できず、ウクライナに閉じ込められたドイツ情報機関のトップに恥辱」Telegraph、2022年2月26日、https://www.telegraph.co.uk/world-news/2022/02/26/embarrassment-head-german-intelligence-trapped-ukraine-failing、およびローラ・ピテル(Laura Pitel)著「ロベルト・ハーベック、ドイツ情報機関の失態に対する批判を強める」Financial Times、2023年8月24日、https://www.ft.com/content/cc0b1300-89fc-4df8-863b-f691e0aac758

[3] バスチアン・ギゲリッチ(Bastian Gigerich)とベン・シュリアー(Ben Schreer)著「Zeitenwende One Year On」、IISS、2023 年 2 月 27 日、https://www.iiss.org/sv/online-analysis/online-analysis/2023/02/zeitenwende-one-year-on

[4] マイア・デ・ラ・ボーム(Maia de la Baume)著「フランスは情報機関の失敗に怯えている」、Politico、2022年4月6日、https://www.politico.eu/article/france-military-intelligence-failure-russia-invasion-ukraine;およびルーク・ハーディング(Luke Harding)他著「マクロン大統領、プーチン大統領からウクライナに関する個人的な保証を受けたと主張」、The Guardian、2022年2月8日、https://www.theguardian.com/world/2022/feb/08/macron-zelenskiy-ukraine-talks-moscow-denies-deal-to-de-escalate

[5] ウクライナ大統領府、「ウクライナとフランスの安全保障協力に関する協定」、ウクライナ大統領府、2024年2月16日、https://www.president.gov.ua/en/news/ugoda-pro-spivrobitnictvo-u-sferi-bezpeki-mizh-ukrayinoyu-ta-89005

[6] ジャック・ワトリング(Jack Watling)、オレクサンドル・V・ダニリュク(Oleksandr V. Danylyuk)、ニック・レイノルズ(Nick Reynolds)著「ロシア・ウクライナ戦争(20222月~20232月)におけるロシアの非正規作戦からの予備的教訓」(RUSI:2023)を参照。

[7] テレンス・ズーバー(Terence Zuber)著「シュリ―フェン計画の再考」、戦争史6巻3号(1999年)。

[8] リアム・コリン(Liam Collins)、マイケル・コフマン(Michael Kofman)、ジョン・スペンサー(John Spencer)著「ホストメル空港の戦い:キエフにおけるロシアの敗北の重要な瞬間」、War on the Rocks、2023年8月10日、https://warontherocks.com/2023/08/the-battle-of-hostomel-airport-a-key-moment-in-russias-defeat-in-kyiv

[9] ナポレオンの戦役、特にアウステルリッツの戦いでの勝利は、この現実を十分に証明している。フレデリック・W・ケーガン(Frederick W. Kagan)著「旧秩序の終焉:ナポレオンとヨーロッパ、18011805」(ボストン:ダ・カポ・プレス、2007年)を参照。

[10] 北ウクライナにおけるロシア軍が直面している窮状に関するより詳細な分析については、戦争研究所(ISW)の2022年3月3日~2022年3月30日の戦術アップデートを参照

[11] ウィンソン・チャーチル(Winson Churchill)著「第二次世界大戦 1巻:迫り来る嵐」(ロンドン:カッセル、1949年)。

[12] アーネスト・R・メイ(Ernest R. May)著「奇妙な勝利:ヒトラーによるフランス征服」(ロンドン:マクミラン、2001年)。

[13] ドンバス戦争を軍事的観点から評価した英語の資料は、ウクライナ国防大学によるもののみである。  ウクライナ国防省「ウクライナ東部における対テロ作戦白書、2014~2016」(キエフ:2016年)を参照。

[14] ウィリアム・シュネック(William Schneck)著「悪魔の庭を突破せよ:ライトフット作戦、第二次エル・アラメインの戦いにおけるニュージーランド第6旅団」(DTIC、2005年)を参照。アクセス先:https://apps.dtic.mil/sti/citations/ADA447540。残念ながら、この研究の唯一のバージョンはリンク先のものであり、全文PDFではなく、書式設定エラーが多数ある。300ページの付録はPDFとしてアクセスできるが、元の研究はアクセスできない。デイヴィッド・グランツ(David Glantz)およびメアリー・グランツ(Mary Glantz)著「ジューコフ最大の敗北:1942年マーズ作戦における赤軍の壮絶な惨事」(ローレンス:カンザス大学出版局、1999年)、アーネスト・F・フィッシャーJr.(Ernest F. Fisher Jr.)著「カッシーノからアルプスへ」(ワシントンDC:米国陸軍軍事史センター、1993年)。チャールズ・B・マクドナルド(Charles B. MacDonald)著「ジークフリート線作戦」(ワシントンD.C.:米国陸軍軍事史センター、1993年)。

[15] ワシントン・ポスト、「誤算と分裂が米国とウクライナの攻勢の計画策定を特徴づける」Washington Post、2023年12月4日、https://www.washingtonpost.com/world/2023/12/04/ukraine-counteroffensive-us-planning-russia-war

[16] 皮肉な批判の別の例として、ジョン・ハドソン(John Hudson)とアレックス・ホートン(Alex Horton)による「米国インテリジェンス機関、ウクライナは攻勢の主要目標を達成できないと述べる」ワシントン・ポスト、2023年8月17日、https://www.washingtonpost.com/national-security/2023/08/17/ukraine-counteroffensive-melitopolを参照。

[17] レイチェル・テコット・メッツ(Rachel Tecott Metz)著「セキュリティ支援がしばしば失敗する理由」、Lawfare、2023年4月23日、https://www.lawfaremedia.org/article/why-security-assistance-often-fails

[18] ジョナサン・シュローデン(Jonathan Schroden)著「アフガニスタンの治安部隊対タリバン:総合評価」、CTC Sentinel 14、No. 1 (2021);およびデイヴィッド・ウィッティ(David Witty)著「イラクの対テロサービス」、Brookings、2016 年 6 月、https://www.brookings.edu/articles/the-iraqi-counter-terrorism-service

[19] SIGAR、「アフガニスタン治安部隊が崩壊した理由」(SIGAR、2023年)。

[20] エイドリアン・ボネンバーガー(Adrian Bonenberger)著「ウクライナ軍は2014年の廃墟から自力で立ち上がった」、Foreign Policy、2022年5月9日、https://foreignpolicy.com/2022/05/09/ukraine-military-2014-russia-us-training

[21] 戦争初期については、マイケル・リー(Michael Lee)著「米陸軍グリーンベレーは静かに戦場をウクライナ側に少し傾けるのを助けた」、Fox News、2022年3月24日、https://www.foxnews.com/politics/us-armys-green-berets-have-lasting-impact-on-fight-in-ukraineを参照。

[22] ジャック・ワトリング(Jack Watling)、ニック・レイノルズ(Nick Reynolds)著「ストームブレイク:ウクライナの2023年攻勢におけるロシア防衛線突破」、RUSI、2023年9月4日、https://www.rusi.org/explore-our-research/publications/special-resources/stormbreak-fighting-through-russian-defences-ukraines-2023-offensive

[23] ヴァレリー・ザルジニー(Valery Zaluzhny)著「現代陣地戦とそれに勝つ方法」The Economist、2023年11月1日。

[24] パット・ギャレット(Pat Garrett)とフランク・ホフマン(Frank Hoffman)著「機動戦は死んでいないが、進化しなければならない」、USNI Proceedings 149、No. 11 (2023)。

[25] サミュエル・ハンティントン(Samuel Huntington)著「軍人と国家:軍民関係の理論と政治」(ケンブリッジ:ベルナップ・プレス、1957年)。

[26] アントゥリオ・J・エチェバリア2世(Antulio J. Echevarria II)著「戦争の論理:戦略思想とアメリカの戦争のやり方」(ケンブリッジ:ケンブリッジ大学出版局、2021年)。

[27] カール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl von Clausewitz)著「戦争論」、マイケル・ハワード、ピーター・パレット訳(プリンストン:プリンストン大学出版局、1974年)。

[28] 参照されているスヴェチンの版は、アレクサンダー・A・スヴェチン(Alexander A. Svechin)著「戦略(Strategy 」ケント・D・リー(Kent D. Lee)(編)(East View Information Service, 1992)。この版はPDF形式で入手可能だが、残念ながらページ番号がない。読者が特定の引用箇所を把握できるよう、適切な箇所には章のタイトルとサブタイトルを記載しているが、参照されている正確な箇所を探すには、読者は本文を別途参照する必要がある。https://resistir.info/livros/svechin_strategy.pdf

[29]戦争論(On War

[30]戦略(Strategy

[31] 同上

[32] 同上

[33] 同上

[34] 本稿執筆時点では、ロシアはウクライナ軍をオスキル川を越えて押し戻すための攻勢を行っている。ライリー・ベイリー(Riley Bailey)、フレデリック・W・ケイガン(Fredrick W. Kagan)、ニコール・ウォルコフ(Nicole Wolkov)、クリスティーナ・ハーワード(Christina Harward)共著「ハルキウ・ルハンスク軸に対するロシアの2024年冬春攻勢作戦」、戦争研究所、2024年2月21日、https://www.understandingwar.org/backgrounder/russian-winter-spring-2024-offensive-operation-kharkiv-luhansk-axisを参照。

[35]戦争論(On War

[36] Anastasia Stognei and Polina Ivanova, “Russia’s War Economy Leaves Businesses Starved of Labour,” Financial Times, November 9, 2023, https://www.ft.com/content/dc76f0bb-cae2-4a3a-b704-903d2fc59a96.

アナスタシア・ストグネイ(Anastasia Stognei)、ポリーナ・イワノワ(Polina Ivanova)著「ロシアの戦時経済により企業は労働力不足に陥る」Financial Times、2023年11月9日、https://www.ft.com/content/dc76f0bb-cae2-4a3a-b704-903d2fc59a96