機動戦は単なる作戦術 (U.S. NAVAL INSTITUTE)
先に紹介した「戦場で決心を下す (Marine Corps Gazette)」の執筆者の今年11月の論稿である。この論稿ではMCDP-1「用兵(Warfighting)」に焦点を当て、1989年の『米艦隊海兵隊マニュアル1:用兵(Warfighting)』の制定以来、基本的にドクトリンの見直しが行われてこなかったMCDP-1について見直しを提案するものとなっている。その考えの根底には、機動戦(maneuver warfare)に頑なにこだわることへの疑問がある。本投稿を読むにあたって、これまでMILTERMで取り上げてきた米海兵隊機関誌「Gazette」の「Maneuverist Paper」の「米海兵隊の機動戦―その歴史的文脈- Maneuverist #1」から「機動戦理論の進化 Maneuverist #23」を参照し、筆者が指摘する機動戦主義者(maneuverist)の強い思い入れを確認すると筆者の意味するところの理解が深まるのかもしれない。(軍治)
機動戦は単なる作戦術
消耗の学と機動の術を合成してMCDP-1を手直しする
Maneuver warfare Is Just Operational art
Rework MCDP-1 to synthesize the science of attrition with the art of maneuver.
By Major Christopher Denzel, U.S. Marine Corps
November 2023
Proceedings
Vol. 149/11/1,449
クリストファー A.デンゼル(Christopher A. Denzel)米海兵隊少佐は米海兵空地タスク部隊(MAGTF)の計画担当者兼インテリジェンス将校で、現在は米第3海兵遠征軍(III MEF)の緊急事態計画チーム(G-5)に所属している。米陸軍高等軍事研究学校(SAMS)と米国立インテリジェンス大学を卒業。アフガニスタンと第24海兵遠征部隊(24th MEU)に派遣された経験を持つ。
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米海兵隊の基本的なドクトリンである米海兵隊ドクトリン公刊物(MCDP)1「用兵(Warfighting)」は、米海兵隊に大きな文化的影響を及ぼしてきたため、これを書き換えるという議論には異論がある。しかし、書き直さなければならないのは、それが間違っているからではなく、戦争の性質と本質を混同する形で組み立てられているからである。MCDP-1「用兵(Warfighting)」の機動戦(maneuver warfare)コンセプトの根本的な問題は、それを表す用語「作戦術(operational art)」がすでに存在することである。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」は当初、1989年に『米艦隊海兵隊マニュアル1:用兵(Warfighting)』として発表された。それ以前の機動戦(maneuver warfare)の議論は、ベトナム戦争の失敗に取り組んでいた。ベトナム戦争では、一見科学的な戦争の方法(way of war)が戦術的な成功を戦略的な勝利に結びつけられなかった。
同じような失敗を検討した米陸軍は、同じような考えを発展させ、現在では作戦術(operational art)として知られる、作戦と戦略上の最終目的を達成するために戦術的行動をデザインし、連動させようとするものにした。
しかし、「用兵(Warfighting)」は、軍事理論家で空軍退役軍人のジョン・ボイド(John Boyd)のしばしば不可解な考え、特にOODAループ(観察、方向づけ、決定、行動)に強く影響されていた。ロバート・タフト(Robert Taft)上院議員やゲーリー・ハート(Gary Hart)上院議員の側近として物議を醸したビル・リンド(Bill Lind)は、ボイドを根本的に解釈し、機動戦(maneuver warfare)で表現される彼のアイデアのいくつかを熱心に支持した。
米海兵隊は、感情的なドクトリンに終始したが、それでも調和された戦争観(view of war)を提供しているように見えた。そしてその見解は、米海兵隊員が敵を倒すための作戦アプローチを想像することを可能にした。
米陸軍は、1980年代の機動戦(maneuver warfare)の議論の感情にやや押され気味で、作戦術(operational art)という言葉を使って、それほど刺激的ではないが、論争も少ない思想を展開した。この堅実なアプローチは、米海兵隊の機動戦(maneuver warfare)のように野火のように広がることはなかったが、戦いへのアプローチの方法に関する統合部隊の思考を徐々に支配するようになった。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」は、単一の戦い(warfare)を他の何よりも尊重している。それは、機動(maneuver)を、戦い(warfare)を理解するための主要なレンズにし、そのため、読者は作戦術(operational art)を理解するのに混乱する。その結果、多くの人が戦争の本質(nature of war)を誤解し、機動戦(maneuver warfare)の性質と混同してしまう。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」を更生させることは可能である。しかし、そのためには、米海兵隊が戦い(warfare)について信じていることと、MCDP-1「用兵(Warfighting)」の主張との間にますます明白になっている溝を埋める必要がある。MCDP-1「用兵(Warfighting)」を改訂する者は、「機動戦(maneuver warfare)」に関するMCDP-1「用兵(Warfighting)」の問題のある主張を、首尾一貫した戦いの方法論の理論(theory of warfare methodologies)と調和させる必要がある。
2023年8月、カリフォルニア州キャンプ・ウィルソンでの演習中、移動式燃料ステーションで突撃水陸両用車を誘導する第2海兵兵站群の米海兵隊員。作戦術(operational art)は、兵站の学と術を包括する。 米海兵隊(写真:クリスチャン・サラザール:Christian Salazar) |
戦争について:On War(fare Methodology)
MCDP-1「用兵(Warfighting)」が解釈するように、機動戦(maneuver warfare)は定義上欠陥があり、内部的に矛盾のない戦争理論(theory of war)には当てはまらない[1]。その構造は、消耗(attrition)と機動(maneuver)の間に誤った二分法を生み出す。しかし、この二項対立が注目されることで、現代の作戦コンセプトにとって重要な第三の方法、すなわち陣地戦(positional warfare)も覆い隠されている。
これら3つの方法‐消耗戦(attrition warfare)、陣地戦(positional warfare)、機動戦(maneuver warfare)‐の首尾一貫した定義は、MCDP-1「用兵(Warfighting)」の機動戦(maneuver warfare)の技法をある著者が「空想(fantasy)」と呼ぶものにしている[2]。
2022年10月の米海兵隊ガゼットで、私は米陸軍のドクトリンと軍事理論家エイモス・フォックス(Amos Fox)の言葉を借りて、この3つの方法を、それらが追求する「撃破(敗北)メカニズム(defeat mechanisms)」によって定義した。
この図式では、
消耗的技法(attritional techniques)は「敵の闘う能力容量(capacity)を低下させる方法」である。
陣地的技法(positional techniques)とは、「敵の闘う能力(capability)を低下させる方法」である。
機動戦(maneuver warfare)の技法は、敵の「闘う意志(will to fight)」を低下させる[3]。
「消耗的手法(attritional methods)」の成果を検証するのは最も簡単である。「機動の手法(maneuver methods)」はそれが最も難しい。
同時に、消耗(attrition)の成功は覆すのが最も難しく、一方、作戦(maneuver)の漠然とした成功は覆すのが最も簡単である。高い検証可能性と低い可逆性を併せ持つ消耗的技法(attritional techniques)は、望ましい最終状態を達成するための、より信頼性の高い方法なのである。
この推論を発展させれば、MCDP-1「用兵(Warfighting)」をより有用なものにする方法が見えてくる。
戦いの方法の反証可能性:The Falsifiability of Warfare Methods
反証可能な主張は、実験によって反証することができ、測定可能な証拠によって異議を唱えることができる。このようなテストが適切に行われれば、与えられた仮説が正しい可能性が高まる。もし戦闘が勝利の理論をテストするのであれば、戦闘がその理論の有効性を証明するためには、そのような理論は測定可能な(したがって、反証可能な)「撃破(敗北)メカニズム(defeat mechanisms)」に頼るべきである。
勝利はどんなに満足のいくものであっても、証明としては不十分である。この目的のために用兵の方法(warfighting methods)を確実にテストすることなく、指揮官は勝利のために主に直感に頼っている。
モーリス・デュクロ(Maurice Duclos)米陸軍准尉は、時間、空間、物資という作戦上の要因が、競争における測定可能な唯一の要因であると主張している[4]。デュクロ(Duclos)は、特殊作戦部隊が、単に概要を説明するだけの活動ではなく、測定可能な形で競争に貢献する活動に集中できるよう、この考え方を発展させた。
議論は単純だ。ある活動の測定効果を明確にできないのであれば、その活動を優先すべきではない。作戦の測定効果を見積もったが達成できなかった場合は、その活動を再調整するか、中止すべきである。
デュクロ(Duclos)の定式化では、資材係数は「消耗的手法(attritional methods)」に相当する。物資とその破壊を計測することは戦争において最も簡単な計測であり、戦車は簡単に数えることができる。時間と空間はより陣地的優位性(positional advantage)に関係し、測定はより困難である。
これらは複雑な方法で相互に関連しており、戦闘員の能力に応じて変化する。時間的に優位性を獲得すれば、空間的にはコストがかかるのが普通であり、その逆もまた然りである。
熱心な機動戦主義者(maneuverist)は、時間的優位性(テンポ)を達成することが機動戦(maneuver warfare)の重要な要素だと主張するかもしれない。これは誤解である。時間的優位性は、主に陣地的優位性(positional advantage)や消耗的優位性(attritional advantage)を可能にする。つまり、緊要地形(key terrain)で敵対者を打ち負かしたり、重要な資材を置き換えるよりも早く破壊したりすることである。しかし、時間そのものには戦闘の意味はない。
米海兵隊ローテーション部隊ダーウィン22の米海兵隊員は、飛行場占拠の際、MV-22オスプレイが着陸のために接近してくるので、防御態勢を確立する。MCDP-1「用兵(Warfighting)」が、機動戦が失敗する可能性を考慮していないことは憂慮すべきことである。アプローチに失敗した場合の暗黙のアドバイスは、よりハードに機動せよというものである。 (写真:米海兵隊シーダー・バーンズ) |
無関係なコンセプト(テンポ)を機動戦(maneuver warfare)と混同しているのも、MCDP-1「用兵(Warfighting)」の欠陥の一つである。敵のOODAループを認知的(cognitively)に「アウトサイクル(out-cycling)」することは、スピードによって得られる陣地的優位性(positional advantage)や消耗的優位性(attritional advantage)の二次的な結果であり、認知的効果(cognitive effect)はスピードそのものから生じるものではない。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」がこれと同じ指摘をしているとき、重要なのは相対的スピード(relative speed)であることを明確にしているが、この速度がどのような効果をもたらすべきかは明言されていない。ドッグファイトでは、相対的スピード(relative speed)によって一方のパイロットが他方のパイロットを撃墜することができる。このように、OODAの「A(act:行動)」は「消耗(attrition)」である。
測定不可能な戦争の方法は非科学的である。デュクロ(Duclos)の測定可能な要因のリストには、意志、士気、結束力、そして機動戦(maneuver warfare)が依拠するその他の無形要素が含まれていない。これらの無形要素は重要でないわけではなく、信頼性の低い遠くの代理人以外には測定できないだけである。したがって、これらの無形の要因に基づく軍事的アプローチは、信念(faith)に基づいて行われる戦い(warfare)である。それは訓練することも、計画することも、評価することも、変更することもできない。
これによって機動戦主義者(maneuverist)は、機動戦(maneuver warfare)の失敗は単にそれを正しく行えなかっただけであり、消耗戦(attrition warfare)の成功はその核心において密かに機動戦主義的(maneuverist)であると主張することができる。「本当の機動戦主義者(maneuverist)なら成功しただろう」。
もし「本物(real)」の機動戦主義者(maneuverist)と「下手な(bad)」機動主義者を見分ける唯一の方法が、事後的に成功を判断することであるならば、そのコンセプトは測定不可能であり、したがって反証不可能である。この論理的誤謬は、「真のスコットランド人なし(No True Scotsman)」という名前があるほど一般的である。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」の主張の一例として、重心分析(center-of-gravity analysis)を使って、ターゲットとした消耗が敵の意志を崩壊させると考えてみよう。これはどのように測定できるのだろうか?結果(おそらく降伏)によってか?これは何の役にも立たない。なぜなら、価値の高い消耗(high-value attrition)だけが測定可能な行動だったからである。
もし指揮官が、この消耗(attrition)が兵力の補充や再構成の能力を上回ることを予見して降伏したことを明らかにすれば、消耗戦(attrition warfare)の定義を確認できたにすぎない。「機動戦(maneuver warfare)」の会戦(battle)や戦役(campaign)中の進捗状況を測定することは、闘いを中止するという決定が瞬時に下される(決して可逆的なものではない)ため、不可能である。
このため、米海兵隊ガゼット誌(Marine Corps Gazette)に掲載された10年にわたる「消耗主義者の手紙(Attritionist Letters)」や「機動戦主義者論文(Maneuverist Papers)」シリーズが明らかにするように、機動戦(maneuver warfare)に関する議論は非現実的で疲れるものとなる。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」は機動戦(maneuver warfare)に偏重しているため、検証不可能な単一の勝利の理論に基づく脆弱なドクトリンとなっている。哲学を越えて応用に入ると、MCDP-1「用兵(Warfighting)」の機動戦(maneuver warfare)は、それが嫌う消耗戦(attrition warfare)と区別がつかなくなる。たとえそれが(公平に)効率的な消耗(attrition)であったとしても、機動戦主義者(maneuverist)がそうだと言えば、それは機動戦(maneuver warfare)なのである。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」は、戦いの方法(warfare methods)を不正確かつ不完全に定義することで、これを可能にしている。この問題は、遠征前進基地作戦(expeditionary advanced base operations :EABO)が機動戦(maneuver warfare)と矛盾しないかどうかをめぐる無意味な論争に見られる。擁護派はそうだと主張する。戦力デザイン反対派はそうではないと主張する。
米海兵隊員がこのような基本的な評価をめぐって意見を異にできるのは、MCDP-1「用兵(Warfighting)」の不完全で混濁した戦いのコンセプトがせいぜい曖昧だからにほかならない。一方、この議論は、遠征前進基地作戦(EABO)が機能するかどうかという重大な問題から目をそらしている。
しかし、MCDP-1「用兵(Warfighting)」の論理がそれほど脆弱であるなら、なぜ米海兵隊は戦場でもっと頻繁に失敗しないのだろうか?米海兵隊が戦術的に成功するのは、彼らが実際に採用しているのが、敵と接近し、敵を破壊する陣地的手法(positional techniques)と消耗的技法(attritional techniques)だからである。
米海兵隊がそうしているのに、それを機動戦(maneuver warfare)と呼ぶのは、認知的不協和(cognitive dissonance)の問題である。MCDP-1「用兵(Warfighting)」は作戦術(operational art)の説明としては不十分かもしれないが、ルーツを共有し、アプローチが似ているため、この出版物は広く有用である。
書き直しの輪郭:The Contours of a Rewrite
現在のMCDP-1「用兵(Warfighting)」は、戦争の本質(nature of war)と単一の戦いの方法の性質(character of a single warfare method)を混同している。さらに悪いことに、あらゆる状況に対応できる単一の優れた戦争形態が存在することを暗示し、目的、方法、手段の間の戦略的連関を断ち切っている。米海兵隊は、「用兵warfighting()」を「機動戦(maneuver warfare)」から切り離す必要がある。
また、作戦アプローチにおいて、敵の意志が直接ターゲット可能(targetable)になりうるという考え方も、軍種は捨て去るべきである。無形要素がいかに重要であろうとも、それを訓練や戦争の計画策定に反映させる能力は消えゆくほどに小さい。
歴史的に実行された米国の戦争計画で、敵の意志をターゲットとすることに成功したものはない。また、敵対者の意志に影響を与えるような訓練はほとんどできない。生命や自由に対する真の脅威がない、部隊対抗(force-on-force)の訓練でさえ、実際の相手の意志を打ち砕くことはできない。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」の次の一節を考えてみよう。
摩擦(friction)に打ち勝つために不可欠な手段のひとつは、意志である。我々は、心と精神の持続的な強さで摩擦に打ち勝つ。摩擦(friction)の影響を克服するために我々自身努力している傍ら、我々は同時に、我々の闘う敵の実力(ability)を弱めるレベルに敵の摩擦(friction)を上げようとしなければならない[5]。
これは本質的に、米海兵隊員に対し、摩擦を意のままに切り抜けろというものである。さらに悪いことに、MCDP-1「用兵(Warfighting)」では、敵対者に相互の能力がないことを示唆しており、その代わりに、敵が本質的に劣っていると推測している。MCDP-1「用兵(Warfighting)」は次の段落で、この大胆な仮定を撤回し、摩擦を克服するために、意志ではなく、訓練と経験を利用するよう親切に助言している。しかし、MCDP-1「用兵(Warfighting)」における意志の役割は依然として大きい。
さらに、米海兵隊は「反証可能な(falsifiable)」勝利の理論を記述し、それぞれの優位性、不利、妥当性を明らかにする撃破(敗北)メカニズム(defeat mechanisms)を明確にしなければならない。これによって、戦場での適応が促され、指揮官は問題に対する信頼できる作戦アプローチを開発できるようになる。MCDP-1「用兵(Warfighting)」が、機動戦(maneuver warfare)が失敗する可能性を考慮していないことは憂慮すべきことである。その暗黙の助言は、失敗したアプローチに直面した場合、「より強く機動せよ(maneuver harder)」というものである。
複数の闘い方(way to fight)を説明することで、機動戦(maneuver warfare)の正統性の下に遠征前進基地作戦(EABO)の有効性を埋没させる熱狂的な議論を取り除くことができるかもしれない。米海兵隊のやることは何でも「機動戦(maneuver warfare)」でなければならないという暗黙の前提は、反知性的な戯言である。これは用兵(warfighting)であって、スペイン異端審問ではない。
用兵の原則(principles of warfighting)はすべてのドメインで適用されるべきだが、MCDP-1「用兵(Warfighting)」が空と陸という2つのドメインのドクトリンであることを理解せずに読むことはできない。残念なのは、海のドメインについてほとんど触れられていないことである。また、情報作戦(information operations)やサイバー作戦(cyber operations)は、物理的なドメインでの行動よりも、敵対者の意思に直接的に影響を与える可能性があると主張することもできる。しかし、両ドメインの記述がないのは、この出版物が古いことの証左である。
「2つのドメイン戦(two-domain warfare)」からの脱却は、統合部隊の中で米海兵隊をよりよく位置づけることになる(MCDP-1「用兵(Warfighting)」はこれを意味あるものとしていない)。第一次湾岸戦争(First Gulf War)が始まる前の1989年に書かれたMCDP-1「用兵(Warfighting)」は、ゴールドウォーター・ニコルズ※以前の考え方で書かれた、ゴールドウォーター・ニコルズ以後の米海兵隊の役割に関する文書である。
※ ゴールドウォーター・ニコルズ、とは、 1980年代に米軍が行ったイラン人質救出作戦やベイルート大使館爆破に対する作戦、それにグレナダ侵攻作戦において、各箪種聞の協力が失敗に終わったことの反省から 1986年に制定された米軍の統合を規定した法律で、米軍の指揮系統は、大統領から国防長官を経て各統合軍司令官へ至るようになった。ゴールドウォーター・ニコルズ以前の考えとは、米海兵隊を管轄する米海軍と米陸軍との異なる指揮系統での作戦を前提として、米海兵隊独自の役割があるとする考えといえる。ゴールドウォーター・ニコルズ以後の米海兵隊の役割とは、統合部隊の一部として役割が与えられるという考え方である。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」は統合ドクトリンではなく、軍種のドクトリンであるが、近代的な統合部隊の創設から40年近くが経過した今、米海兵隊は統合の闘い(joint fight)における米海兵隊を想定した基礎的な出版物に値する。
最後に、これは最もトラウマになるであろうが、この出版物から「機動戦(maneuver warfare)」という用語を削除する。もし、消耗戦(attritional warfare)と陣地戦(positional warfare)が科学的で測定可能な戦争の方法であり、機動戦(maneuver warfare)がその応用における創造性にすぎないとすれば、適切な用語は作戦術(operational art)である。
1980年代以降、米海兵隊以外で「機動戦(maneuver warfare)」が「作戦術(operational art)」にゆっくりと置き換えられていることは、そのヒントになるはずだ。しかし、ほぼすべての米海兵隊員が、ドクトリンから機動戦(maneuver warfare)という表現を廃止することに感じるかもしれない嫌悪感は、現行版のMCDP-1「用兵(Warfighting)」が、専門家としての無執着ではなく、感情で戦いに臨むように我々を仕向けていることの何よりの証拠である。
学と術:Science and Art
MCDP-1「用兵(Warfighting)」の現在の形は、非科学的な戦争の方法を過度に強調し、陣地戦(positional warfare)という重要な方法を盲目にしているために欠陥がある。新入りの米海兵隊員を用兵の精神(warfighting ethos)に社会化する役割を担っているMCDP-1「用兵(Warfighting)」は、の役割は、いかなる書き換えにおいても維持されなければならない。しかし、MCDP-1「用兵(Warfighting)」が書き直されない限り、MCDP-1「用兵(Warfighting)」の他の要素は、知的な議論を希薄にし、将来の紛争に関する革新的な思考を制限し、「機動戦(maneuver warfare)」を実用的な意味のない空っぽな陳腐な言葉に貶め続けるだろう。
MCDP-1「用兵(Warfighting)」を書き直すと台無しになるのではないかと心配する人もいる。MCDP-1「用兵(Warfighting)」の作者であるジョン・シュミット(John Schmitt)は、MCDP-1「用兵(Warfighting)」の執筆を「瓶の中の稲妻を捕まえるようなもの」と例えている。しかし、米海兵隊がMCDP-1「用兵(Warfighting)」が想定した機動戦(maneuver warfare)を実際に採用しないのであれば、それを台無しにしても害はない。米海兵隊は、米海兵隊員が感情的にならずにすむ、より使いやすいドクトリンを手に入れることになるかもしれない。それは良いことではないだろうか?
[1] Maj Christopher Denzel, USMC, “Achieving Decision on the Battlefield: Redefining Maneuver Warfare as Method, Not Philosophy,” Marine Corps Gazette 106, no. 8 (August 2022): 86–89.
[2] LtCol Thaddeus Drake Jr., USMC, “The Fantasy of MCDP 1: Is Maneuver Warfare Still Useful?” Marine Corps Gazette 104, no. 10 (October 2020): 33–37.
[3] Denzel, “Achieving Decision on the Battlefield.”
[4] Episode 62: “Time, Space, and Material: Metrics for Assessing Irregular Warfare,” Modern War Institute Podcast, 25 September 2022.
[5] U.S. Marine Corps, MCDP-1: Warfighting (Headquarters U.S. Marine Corps, 1997), 1-5–1-6.