米海兵隊のドクトリンを読む② MDCP 1 Warfighting その1
前にも紹介したが、2020年2月に出版された如何にアメリカ海兵隊は最強となったのか – 「軍の頭脳」の誕生とその改革者たち – は、米海兵隊の誕生と現在までの道のりを知るうえで大変参考になる大作である。この本でも米海兵隊の現在のドクトリン文書の重要性が扱われている。中でも、米海兵隊のコンセプトの中心にある機動戦(maneuver warfare)のコンセプトは、「MCDP 1 Warfighting」において記述されている。その誕生において、米海兵隊内だけでなく民間の知恵も活用して取り組まれた知的な活動は、冒頭の図書などで確認できる。
このドクトリン文書は、第29代米海兵隊総司令官アルフレッド・M・グレイ米海兵隊大将が1989年に発行した「FMFM 1 Warfighting」を第31代米海兵隊総司令官チャールズ・C・クルラック米海兵隊大将が1996年6月に「MCDP 1 Warfighting」として発行したものである。
「MCDP 1 Warfighting」にはいわゆる戦いの思想(用兵哲学)が現れている。このドクトリンでは「Maneuver Warfare(機動戦)」のコンセプトを説明するために、先ず戦争の本質とそこから導かれる戦争の理論、次いで戦争のための準備と遂行へと順次展開している。
「MCDP 1 Warfighting」は、「MCDP2 Intelligence」から「MCDP 7 Learning」までのドクトリンの哲学の根底にあるだけでなく、現在の米海兵隊の中心に位置する重要な考え方である。(軍治)
MCDP1「用兵:Warfighting」
1997年6月20日
はじめに:FOREWORD
艦隊海兵部隊マニュアル1の用兵(Warfighting)が1989年に初めて公表されてから、米海兵隊の内外に重大な影響を与えた。そのマニュアルは、海兵隊員の戦争についての考え方を変化させるものであった。そのマニュアルは活発な議論を引き起こし、いくつかの外国語に翻訳され、外国の軍隊の間でも読まれ、また一般書籍として公表された。我々の姉妹の軍種である海兵隊により、ドクトリンの発展に強い影響を与えた。その出版において述べられているように、我々の現在の海軍ドクトリンは機動戦(maneuver warfare)の信条に基づく。海から作戦的機動のような現在で明らかになっているコンセプトは、哲学からドクトリン上の基盤を生み出して用兵として取り込まれた。マニュアルで述べられるように、我々の用兵哲学(philosophy of warfighting)は、他の軍種と調和して軍事行動する我々の実力(ability)に貢献することから統合ドクトリンと一致している。
このことから、用兵(Warfighting)は改善することができ、改善されなければならないと信じる。軍事ドクトリンは停滞することは許されず、特に適応可能なドクトリンは機動戦(maneuver warfare)である。ドクトリンは、経験によって発展し、理論の発達と戦争そのものの変化の様相に基づいて進化し続けなければならない。用兵はこの精神において修正され、そして、米海兵隊ドクトリン1(MCDP1)は艦隊海兵部隊マニュアル1(FMFM1)に取って代わるものである。この改訂にはいくつかの到達目標がある。一つの到達目標は、戦争の本質(nature of war)の説明を強化することである。たとえば、戦争の複雑さ(complexity)と予測不可能性(unpredictability)を強調すること、そして、拡大する現代の紛争の形を説明するための戦争の定義を広げることである。第二の到達目標は、戦争のスタイルの説明をはっきりさせることである。第三の到達目標は、重要な機動戦(maneuver warfare)コンセプト、例えば指揮官の熱心な、主たる努力(main effort)と重大な弱点をはっきりさせ、洗練させることである。精神、スタイルと本来の本質的なメッセージを保ち続けていることは私の意図である。
極めて簡単にいえば、本出版物で合衆国海兵隊を区別する哲学について述べている。ここに含まれる考えは、単に戦闘行動のための指針(guidance)だけでなく考え方でもある。本出版物は、我々が戦う方法と我々が戦うために準備する方法について権威ある基礎を与える。この本には、遂行のための特有の技術や手続きを含んでいない。むしろ、コンセプトと価値の形で幅広い指針(guidance)を与えるものである。適用においては判断が必要である。
用兵はリファレンスマニュアルを意味しない。隅から隅まで読まれることを企図している。四つの章は、自然な流れで構成している。第1章は、戦争の特性、問題と戦争で必要とされるものの我々の理解を述べた。第2章は、その理解から戦争について理論を引き出した。この理論は、順番に、第3章と4章で我々が戦争の準備をする方法と我々がそれぞれ戦争を行う方法の基盤を与えてくれる。経験は、上記で述べた用兵哲学が将校団を超えて適用されることが分かる。私は全ての海兵隊員、つまり徴募、任命将校も含み、この本を読み理解し行動することを期待する。A. M. グレイ将軍が1989年の初版に寄せて、本出版物が戦争で、危機で、そして、平和での行動のための哲学について述べたもの前文として記述したものである。
海兵隊総司令官 C .C. クルラック米海兵隊大将
序文:PREFACE
8年前、米海兵隊は用兵(Warfighting)の第一版を出版した。我々の意図は用兵における哲学を述べることであって、米海兵隊ドクトリンとして確立し読みやすくしたものである。そのマニュアルへの前書きでは、テキストを読み、再読し、理解して、ここに書かれたメッセージを受け止めることをあらゆる将校に託す。我々は受け継いだ。用兵(Warfighting)は、教室から士官室、教育のエリアから作戦地帯まで、議論と討論を刺激してきた。本出版物に含まれる哲学は、我々が保証されたあらゆるタスクへの我々のアプローチに影響を与える。
艦隊海兵部隊マニュアル1(FMFM1)では「戦争は時間に限定されず絶えず変化している。戦争の基本的な本質は変わらないが、我々が使う手段と方法は連続的に進化する」 と述べた。戦争が変わるように用兵(Warfighting)への我々のアプローチも進化しなければならない。我々が専門家として洗練することや、発展、改善をやめるならば、我々は、時代遅れとなり停滞したリスクを生み、そして、破られることになる。米海兵隊ドクトリン1(MCDP1)は、用兵(Warfighting)において我々の哲学を洗練して、発展させ、戦争の本質(nature of war)について新たな考えを考慮し、そして、過去の10年にわたる徹底的に広範囲な作戦への参加で理解を得たものである。読んで、勉強して、自分のものにせよ。
忠誠をもって
第29代海兵隊総司令官 A.M.グレイ米海兵隊大将(退役)
第1章 戦争の本質:Chapter 1 The Nature of War
「戦争におけるすべてのことは単純だが、単純なものこそ最も難しい。難しさの一つは戦争の豊かな経験を持っていない限り、考えられない種類の摩擦(friction)を生み、蓄積されることである [1]」
—カール・フォン・クラウゼヴィッツ
「戦争でもっとも計り知れないものが、人間の意志(human will)である [2]」
-B.H. リデル・ハート
「地位はそれらが破壊されてしまえばほとんど失うことはない、これは不変的なことでありリーダーは地位を保てないことを自ら知る [3]」
—A. A. ヴァンデグリフス
米海兵隊の用兵の哲学を理解することは、最初に戦争自体の本質(nature of war itself)に対する認識、つまり道徳的、精神的、物理的特性や要求に対するものが必要である。戦争の本質(nature of war)の理解から派生する戦争遂行のための海兵隊の間で戦争に対する共通の視点は、ドクトリン開発発展のための必要な基礎である。
戦争の定義:WAR DEFINED
戦争は、組織化された集団間や集団内における軍事力行使で特徴付けられる激しい利害の衝突である。これらの集団は伝統的に設立された国民国家であり、また、国際的な同盟、国家内外の派閥などの何がしかの政治上の関心をもつ「非国家」集団も含むかもしれない。そして、組織化した暴力を発生させる実力(ability)は、重要な政治上の影響を持つために十分なものである。
戦争の真髄(essence of war)はふたつの敵対的で独立し、そして相容れない意志(will)、他に対し自分の意志(will)を課すことをしようとする各々の間の暴力的な闘争である。戦争は根本的に双方向性のある社会的活動である。クラウゼヴィッツがZweikampf(文字通り「二つの闘争」)と呼び、レスラーがホールドでロックし当たり投げ飛ばすといった戦うペアのイメージである[4]。戦争はギブアンドテイクであり移動と対抗という連続した相互適応のプロセスである。それは敵が無生物の作用ではなく、独自の目標や計画を持つ独立した活動的な力であることを心に留めておくことが重要である。我々は敵に我々の意志(our will)を課そうとするが、敵は我々に抵抗し、我々に自分の意志を課すことを目指す。相対する人間の意志(opposing human will)の間の動的力の相互作用を観ることは、基本的な戦争の本質(nature of war)を理解するために不可欠である。
戦争における目標は、敵に我々の意志(our will)を課すことである。この最終目的(end)を達成するための手段(means)は、軍事力による組織の適用や暴力の脅威である。その暴力のターゲットが敵対する戦闘部隊に限定されることもあれば、多くの敵側の住民に及ぶこともある。戦争の範囲は宣戦布告による大規模な軍隊による激しい衝突から、かろうじて暴力のしきい値に達した微妙な、型破りな戦闘まである。
総力戦(total war)や完璧な平和は現実にはほとんどない。代わりに、それらはほとんどの政治的な集団の関係に存在する極端なことである。この範囲は、日常的な経済競争、多かれ少なかれ恒久的な政治的またはイデオロギー的緊張と集団間の臨時の危機を含んでいる。ある種の軍事力の使用に頼るという決断も相対的平和の期間中、これらの両極端の内の任意の時点で発生する可能性がある。スペクトラムの一端では、軍事力が市民障害や災害救援活動の秩序を維持し、復元するために、単純に使用してもよい。それとは正反対に、力を完全に社会の中又は2種以上の社会間の既存の順序を覆すために使用することができる。文化の中にはそれが不一致に決着をつけるためのすべての平和的手段が失敗したとき、最後の手段としてだけ戦争するのが必須の教訓であると考慮するものもある。他には目的を達成するためならば、軍事力に頼らないとする躊躇いなど持たない者もある。
摩擦:FRICTION
戦争は、二つの相対する意志(opposing will)の衝突として描かれる簡単な事業として表現される。実際には、戦争の遂行は無数の要素が衝突するため非常に難解なものになる。これらの要素はまとめて摩擦(friction)と呼ばれ、クラウゼヴィッツはそれを「簡単なものをとても難しくする力」と説明している[5]。摩擦(friction)は、すべての行動に抵抗し、エネルギーを奪う力である。摩擦(friction)は単純なものを難しくして、難しさが不可能に見えさせる。
相対する意志(opposed will)間の衝突としての戦争の真髄(essence of war)は、摩擦(friction)を生む。相互作用力のこの動的環境の中は摩擦(friction)であふれる。
摩擦(friction)は、優柔で、精神的なものかもしれない。摩擦(friction)は、効果的な敵の火力や克服しなければならない地形障害物などの物理的なものかもしれない。摩擦(friction)は外部的であり、敵の行動、地形、天気または単なる偶然(chance)によって強要される。摩擦(friction)は自らに生み出すものかもしれず、明らかな定義済みの到達目標の不足、調整不足か不明で複雑な計画、複雑な任務編成(task organization)または指揮関係の不足、または複雑な技術のような要因に起因するかもしれない。それがとるたとえどんな形があっても、戦争が人間の企てであることから摩擦(friction)は、常に物理的な影響と同様に心理的な影響を有する。
我々が自ら生み出す摩擦(friction)を最小にしようとしなければならない一方で、より大きな必要条件は摩擦(friction)の存在にもかかわらず効果的に戦うことである。摩擦(friction)を克服する一つの重要な手段は、意志(will)である。我々は、心と勇気の持続的な強さを通して、摩擦(friction)に勝つ。摩擦(friction)の影響を克服するために我々自身努力している傍ら、我々は同時に、我々の戦う敵の実力(ability)を弱めるレベルに敵の摩擦(friction)を上げようとしなければならない。
我々は摩擦(friction)の無数の例をすぐに確認することができるが、我々が我々自身それを経験するまで、我々は完全には認めようとはしない。経験だけがそうすることができるものである。そして、我々は摩擦(friction)を克服することで、戦争で何が可能で何が不可能かへの現実的な評価を開発するのに必要な意志の力(force of will)を認めることになる。訓練を戦争の条件に近くしようとしなければならない反面、我々はそれが本当の戦闘の摩擦(friction)のレベルを完全には決して複製することができないことも理解しなければならない。
不確実性:UNCERTAINTY
戦争のもう一つの特質は、不確実性(uncertainty)である。不確実性(uncertainty)が摩擦(friction)の多くの根源のうちのまさに一つであるといえるかもしれないが、しかし、不確実性(uncertainty)は戦争に全面的に広がる特徴であるので、我々は単独で不確実性(uncertainty)を扱う。戦争の全ての行動は、不確実性(uncertainty)の空気(atmosphere)、「戦争の霧」で起こる。不確実性(uncertainty)は、敵や環境、そして、味方の状況についてさえ未知数の形で、会戦(battle)に広がる。我々が収集する情報によってこれらの未知数を減らそうとする反面、我々は我々が情報を排除出来ず、身近にさえしてしまうことを理解しなければならない。まさしくその戦争の本質(nature of war)は、確実性を不可能にし、戦争の全ての行動は、不完全であるか、不正確であるか、さらに矛盾している情報に基づいている。
戦争は、本質的に予測できない。せいぜい、我々は可能性と可能性を決めることを望むことができる。これは、軍の判断の特定の標準-「何が可能で、何が可能でないか?」「何が確かで、何が確かでないか?」-を意味する可能性を判断することによって、我々は敵のコンセプトの推定をして、それに応じて行動する。これによって、我々はありそうもない行動が実は戦争の結果に最も大きな影響があることを理解する。
我々は不確実性(uncertainty)を決して除くことができないので、それにもかかわらず効果的に戦うことを学ばなければならない。我々は、単純に可能にできる。それは柔軟な計画作成、ありそうな偶発事故のための計画策定、作戦規定(SOP)の開発、そして、部下の間に主導性を育てることである。
不確実性(uncertainty)の一つの重要な源は、非線形性(nonlinearity)として知られている特性である。ここでは、戦場での形態に留まらなくて原因と結果が不相応であるシステムをいう。ちょっとした事件または行動が、決定的な影響を及ぼすということができる。戦いの結果は二、三人の動作で決まることがありえ、そして、クラウゼヴィッツが述べたように、「問題は、歴史を見ても簡単な逸話くらいのちょっとした偶然(chance)と事件によって決定されることがありえる [6]」
もともと、不確実性(uncertainty)はいつもリスクの受容を含むものである。リスクは戦争に内在し、あらゆる任務に含まれる。リスクは、行動しても行動しなくても等しく共通である。リスクは、多分利得に関係し、より大きな潜在的利得は、たいていより大きなリスクを必要とする。主な努力(main effort)の方へ戦闘力に集中する実践は、賢明なリスクをどこかほかで受け入れる意欲(willingness)を必要とする。しかし、我々は「リスクの受容」は、成功のすべてを「見込みが一つのありそうもない事象に賭けたいという軽率な意欲(willingness)」と同じものではないことを明確に理解しなければならない。
不確実性(uncertainty)の一部は、偶然(chance)の制御できない要素である。偶然(chance)は、戦争の一般的な特徴と摩擦(friction)の連続する根源である。偶然(chance)は、合理的に予見することができなく、我々がコントロールできない敵の事態の変化から成る。戦争の結果に影響する偶然(chance)の一定の可能性は、計画と行動では偶然(chance)を防ぐことができず精神的な摩擦(friction)を引き起こす。しかし、我々は偶然(chance)がどちらの交戦者にも味方しないのを思い出さなければならない。従って、我々は偶然(chance)を脅威としてだけでなく利用する準備をしておく機会としても見なければならない。
流動性:FLUIDITY
摩擦(friction)と不確実性(uncertainty)の様に、流動性(fluidity)は戦争の固有の特質である。戦争の各々のエピソードは状況の特色のある組合せの一時的な結果である。そして、問題の独特のエピソードの集合によって元の解決案とする。それでも、エピソードは孤立で見られることができない。むしろ、各々のエピソードは、前者によって形づくられ、後者の状況を形づくるように先行し、後を追うものとして組み合わせる。そして、活動は連続し変動する流れの中の束の間の機会と不測の事象で満ちている。戦争が流動的な現象であるので、その遂行は思考の柔軟性を必要とする。成功は、主に、適応する実力(ability)に依存し、速く、絶えず状況の変化に反応するだけでなく、率先して変化する事象を我々の優位性として活用する。
無期限に活動の高テンポを支えることは物理的に不可能であるが、明らかに、限界まで人と装備を推進することが有利である時がある。戦争のテンポは、激しい戦闘の期間から、活動が情報収集、補充または移動に限られている期間まで断えず変動する。暗闇と天候は、戦争のテンポに影響することがありえるが、それを止める必要はない。競争リズムは、敵の目的に合うようにテンポと事象の連続した流れに影響を与えて、利用しようとする各々の交戦者間の対立する意志(will)として発達する。
軍隊は、敵に対して戦闘力を集中しようと集める。しかし、この集合することは敵の射撃に対して弱く、そのことから、分散することが必要であるとわかる。もう一つの競争リズムは敵の戦闘力から受ける脆弱性を限定する一方で、各々の交戦者は一時的に戦闘力を集中しようする。例えば、分散して、集中して、再び分散するなどとして開発する。
摩擦(friction)、不確実性(uncertainty)と流動性(fluidity)の環境では、戦争は自然に無秩序(disorder)に引きつけられる。戦争の他の特質の様に、無秩序(disorder)は戦争の固有の特徴である。我々はそれを決して除くことはできない。会戦(battle)の最中に、計画は合わなくなり、指示と情報は不明で、誤解がうまれ、通信は失敗する、そして、間違い(mistake)と不測の事象は当り前である。それは、まさに日和見主義的な意志(will)を利用して創造的なことができる機が熟したような自然な無秩序(disorder)である。
戦争において遭遇するそれぞれの事態は、通常時間とともにますます秩序がなくなる傾向がある。状況が連続的に変わって、最終的に我々の行動が、原案として持っているものとの類似点をほとんど持たなくなり、我々は何回も即座の対応を強制される。
歴史の規範によれば、現代の戦場は、特に無秩序(disorder)である。過去の戦場では線形の形態や連続的な線形形態として記述することができるのに対して、今日の戦場では線形では考えられない。現代兵器の有効範囲と致死性は、部隊との間の分散(dispersion)を増やした。通信技術にもかかわらず、この分散(dispersion)は、明確な統制の限界に過大な負担となる。分散の当然の結果は占領できない地域や隙間を活用され、利用できる露出された側面を生む。そして、前線と後方地域、友軍かあるいは敵の統制地域かの区別を不鮮明にする。
戦争の発生は、時計仕掛けのように展開しない。我々は、事象に対する正確な、肯定的な強制力としての支配力を望めない。我々が望める最善は秩序の一般的な枠組みを無秩序(disorder)にすることを強要することであり、そして、各々の事象を統制しようとするよりはむしろ、行動の全般的な流れに対して影響を与えることである。
我々が勝とうとすれば、無秩序(disorder)な環境で動くことができなければならない。実際、我々は無秩序(disorder)に直面して効果的に戦うことができなければならないだけではなく、我々は無秩序(disorder)を生み出して、我々の敵に対抗する武器としてそれを使わなければならない。
複雑さ:COMPLEXITY
戦争は、複雑な現象である。戦争は基本的に対立した意志(opposed will)との間の衝突と言われる。実際は、各々の交戦者は単一でない。そして、均質の意志(will)が単一の情報によって導かれるわけではない。その代わりに、各々の交戦者は、多数の個々の部品からなる複合組織(system)である。師団は連隊から成る、連隊は大隊から成り、同様に射撃チームにいたるまで個々の海兵隊員から成る。各々の部隊はより大きな全体の一部であって、共通の到達目標の達成のために、他の部隊と協力しなければならない。同時に、各々にはそれ自身の任務があって、それ自身の状況に適応しなければならない。各々はそれ自身のレベルで摩擦(friction)、不確実性(uncertainty)と無秩序(disorder)に対処しなければならず、そして、各々は他の友軍に、敵と同様に摩擦(friction)、不確実性(uncertainty)と無秩序(disorder)を生み出す可能性がある。
その結果、戦争はどんな場所でも一人の個人の行動または決定によって支配されなくて、局地的な状況と不完全情報に応じて局地的に相互に作用している仕組みで、全ての個々の部分の集合行動として現れる。軍事行動は一つの主体の一つの決定による統一された実行でなくて、必然的に、組織を通して同時にとられる無数の独立した相互関係のある決定と行動を含んでいる。完全に作戦を集中して、単一の意思決定者によって完全な統制を出す努力は、本質的に複雑で分散された戦争の本質(nature of war)と矛盾する。
人間的次元:THE HUMAN DIMENSION
戦争が対立する人間の意志(will)との衝突であるので、人間的次元が戦争の中心的なものとなる。戦争にその無形の精神的な要因を吹き込むのは、人間的次元である。戦争は人間性によって形づくられて、複雑さ、矛盾において人間の挙動に特徴づけられる特色を受けやすい。戦争が両立しない意見の相違に基づく暴力の行為であるので、それは常に人間の熱い感情によって形づくられる。
戦争は、精神的で物理的な強さとスタミナの最大の試験である。戦争の本質(nature of war)のどんな考察も、闘い(fighting)をしなければならない人々にとって、危険、恐れ、疲労と欠乏の影響の考慮なくしては、ほとんど正しくないか、完結しない[7]。しかし、これらの影響は、ケースによっては大いにそれる。個人と国民は、戦争のストレスと違った反応をする。ある敵の意志(will)を打破する行為は、もう一つの決定を堅くするのに役立つだけである。人間の意志(will)(リーダーシップを通して植え付ける)は、戦争の全ての行動の推進力である。
技術開発または科学技術計算をどれだけつぎ込んでも、戦争で人間的次元を減らせない。戦争を軍隊、武器と装備の比率を削減しようとするどんなドクトリンでも、人間の意志(human will)の戦争の遂行への影響を疎かにすることは本質的に欠陥がある。
暴力と危険:VIOLENCE AND DANGER
戦争は人類に知られている最もものすごい恐怖の一つである。それは決してロマンチックにされてはならない。戦争の手段は武力である。そして、組織化された暴力の形で適用される。我々が我々の敵に我々の意志(will)を強要するのは、暴力または暴力の信ずべき脅威を用いることによってである。暴力は戦争の重要な要素である、そして、その直接の結果は流血、破壊と苦しみである。暴力行為の重大さが戦争の目的と手段によって異なる反面、狂暴な戦争の真髄(essence of war)は決して変わらない[8]。この基本的な真実を疎かにする戦争のどんな研究でも、人を誤らせるし、不完全である。
戦争が狂暴な企てであるので、危険はいつも存在する。戦争が人間の現象であるので、恐怖(危険に対する人間の反応)は戦争の遂行に重要な影響を及ぼす。誰でも、恐怖を感じる。恐怖は、意志(will)の衰退に関与する。個別に、そして、部隊内で、リーダーは恐怖を克服する勇気を育てなければならない。勇気は恐怖の不在でない。むしろ、それは恐怖を克服する力である[9]。
リーダーは恐怖をよく見て、それを理解し、それに対処する用意ができていなければならない。勇気と恐怖はしばしば同一であるというよりはむしろ状況による。そして、人々が異なる時間に、そして、異なる状況で違ってそれらを経験することを意味する。勇気は、恐怖のように推論し計算できる禁欲的な勇気から、高められた感情による激しい勇気まで、多くの形をとる。戦闘の神秘性を少なくするための現実的な訓練によってもよく、また、砲火にさらされた経験は一般に信頼(confidence)を増やす。尊敬と部下の信用(trust)を得る強いリーダーシップは、恐怖の影響を限定することができる。リーダーは、部隊内で個人の部隊結束と団結心と自信(self-confidence)を開発しなければならない。この環境では、海兵隊員の尊敬と同僚の信用(trust)を妨げないことで個人の恐怖を克服することができる。
物理的・道徳的・精神的な力:PHYSICAL, MORAL, AND MENTALFORCES
戦争は、物理的で、道徳的で、精神的な力の相互作用によって特徴づけられる。戦争の物理的特性は、一般に容易に調べられ、理解され、測られる。それは、装備能力(equipment capability)、供給量、占拠される物理的な目的、戦力率、軍用資材または命による損害、失われるか、得られる地形、捕えられる囚人または軍用資材などである。道徳的な特徴は、物理的なものより具体的でない。(ここで使用する「道徳的な(moral)」という用語は、倫理が確かに含まれるけれども、倫理に制限されず、具体的であるというよりはむしろ心理的な自然の力に関係する[10]。)道徳的な力は把握するのが難しくて、定量化するのが不可能である。我々は、国家における軍の決定、国家または個々の良心、感情、恐怖、勇気、士気、リーダーシップまたは団結心のような力を容易に測定することができない。戦争も、重要な精神的な、または知的な構成要素を含む。精神的な力は、複雑な戦場状況をつかむ実力(ability)を提供する。それは効果的予想、計算と決定をすること、戦術と戦略を考案すること、そして、開発すること、計画を立てることである。
物質的な要素はより容易に定量化されるけれども、道徳的な力と精神的な力は戦争の本質(nature of war)と戦争の結果に対するより大きな影響を及ぼす[11]。これは物理的な力の重要性を少なくしないことである、なぜならば、戦争の物理的な力は他に重要な影響を及ぼすことができる。たとえば、火力による最も大きな影響は、一般に、彼らが引き起こす物理的な破壊の量でなく、敵の道徳的な強さに対する物理的な破壊の影響である。
道徳的で精神的な力を具体的に捉えることが難しいので、それらを戦争の我々の研究から除外しようとする。しかし、これらの要因を疎かにする戦争のどんなドクトリンまたは理論は、戦争の本質(nature of war)の大部分を無視することになる。
戦争の進化:THE EVOLUTION OF WAR
戦争は時間に限定されずに、いつも変わっている。基本的な戦争の本質(nature of war)が一定である一方、我々が使用する手段と方法は連続的に進化する。変化は若干のケースでは段階的で、他では急激である。戦争における急激な変更、例えば施条をつけられた口径、大規模な徴兵と鉄道は、劇的に戦争の平衡を覆す進展の結果である。
このような変化の主要な触媒は、技術の進歩である。戦争のハードウェアが技術開発を介して向上し、そして、戦術的にも、作戦的にも、戦略的にも、我々自身の能力(capability)を最大にして、敵の対応しようとする能力(capability)の向上に適応しなければならない。
戦争のどのような側面が変わりそうか理解することが重要である。我々は交戦者用の変化するプロセスに通じていなければならない、そして、戦争の術と学(art and science of war)における成果は重要な優位性を獲得する。我々が戦争の変化している様相を知らなければ、我々は戦争の挑戦に適さないことがわかる。
戦争の学、術と動的力:THE SCIENCE, ART, AND DYNAMIC OF WAR
戦争のいろいろな側面は主に科学の分野に向けられる。そして、それは経験的な自然法則の秩序立った適用である。戦争の学(science of war)は、弾道学、機械学、そして、規律のような原理を前提とした、直接それらの活動を含む。たとえば、火力、武器の影響と率の適用と運動と再供給の方法である。しかし、科学は全部の現象を解説しない。
戦争の遂行のさらにより大きな部分は術の分野に入る。そして、それは創造的であるか直観的な技術の使用である。術は判断と経験を通して科学的な知識の創造的な、状況による適用を含む、そして、兵法(the art of war)は戦争の学(science of war)を包含する。兵法(the art of war)は、特色のある軍事情勢の本質を把握する直観的な実力(ability)と実用的な解決案を考案する創造的な実力(ability)を必要とする。それは、行動の戦略と戦術と所定の状況に合う開発している計画を思いつくことが必要である。これは、まだ全部の現象を解説しない。人間の挙動の気まぐれと戦争に影響を与える無数の他の無形の要素のために、術と学(art and science)によって説明されることができるより、その遂行の多くがより遠くにある。術と学(art and science)は、戦争の基本的な動的力を説明するには至らない。
我々が言ったように、戦争は社会的現象である。その重要な力は、術または学の力よりむしろ競争的人間の相互作用の力である。人間は、科学者が化学製品または公式で働く方法またはアーティストがペンキまたは楽音で働く方法と基本的に異なる方向で、互いと相互に作用する。術または学によって説明可能でない不屈の精神、忍耐、大胆さ、団結心と他の特徴が戦争にとってとても不可欠であるのは人間の相互作用力のためである。我々は、このように、戦争の遂行が基本的に、人間の意志の力(power of human will)によって最終的に科学についての知識と科学によって駆動されるもの以外は術の創造力を必要とする人間の競争の動的プロセスであると結論できる。
結論:CONCLUSION
一見したところ、戦争は利益の単純な衝突のようである。より詳細な試験で、それはその複雑さ(complexity)を明らかにして、要求し、人間の努力をもって挑む最も多くのものの一体となって具体化する。戦争は、意志(will)の最大のテストである。摩擦(friction)、不確実性(uncertainty)、流動性(fluidity)、無秩序(disorder)と危険は、その重要な特徴である。戦争は可能性として描写されることができる広いパターンを示すが、それでも、それは基本的に予測できないままである。各々のエピソードは、無数の道徳的で、精神的で、物理的な力の特色のある所産である。
個々の原因とそれらの影響は、まず分離することができない。ちょっとした行動とランダムな事件は、不相応に大きな均一な決定的な影響を持つことができる。科学の法則と直観と術の創造力に依存しているのに対して、戦争は人間の相互作用の力からその基本的な性格をもつ。
ノート
[1] Carl von Clausewitz、「戦争論(On War)」、訳・編集Michael Howard と Peter Paret (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1984) p. 119.この未完成の古典は、おそらく戦争の本質と理論を取り扱った決定的なものである。全て海兵隊の将校は、この本基本的な読み物を考慮するべきである。
[2] B. H. Liddell Hart, 「戦略」 (New York: New American Library, 1974) p. 323.
[3] A. A. Vandegrift,「第一線リーダーのための会戦ドクトリン」(第3海兵師団, 1944年) p. 7.
[4] 「戦争は、より大きなスケールの決闘[Zweikampf、文字通り『2者の闘争』]である。無数の決闘は戦争を創りあげるが、その図は全体として一組のレスラーをイメージすることで形成される。それぞれは自分の意志を他に強要しようとする物理的な力もってする;彼の差し迫った目的は、相手が抵抗できないように相手を撃退することである」 Clausewitz, On War, p. 75.また、Alan Beyerchen著「Clausewitz、戦争の非線形と予測不可能」、国際安全保障(冬1992/1993)pp.を66-67参照
[5] Clausewitz, p. 121.
[6] Ibid., p. 595.
[7] 人間の経験と直接説明と戦争での反応については、Guy Sajer著「忘れられた兵士」を読むこと(Baltimore, MD: Nautical and Aviation Publishing Co., 1988),著者の強大な報告は、第二次世界大戦の間の東部正面のドイツ軍の歩兵としての経験である。
[8] 「なさけ深い人は、もちろん、武装解除するか、敵をあまりに多く流血なしで破る若干の巧妙な方法があったと考えて、このことが用兵の真の到達目標であると想像するだろう。快く聞こえますが、それは、露出しなければならない誤りである: 戦争は、親切から生まれる間違いが危険なものであり非常に最悪のものである…「このことは、見なければならないことである。戦争の残虐行為から目を背けようとするのは無駄であり間違ってさえいる」 Clausewitz, pp. 75-76.
[9] 戦闘への人間の反応の洞察に満ちた研究については、S. L. A. Marshallの火力に対する人間を参照(New York: William Morrow and Co., 1961).彼の研究方法の批評にもかかわらず、このMarshallの洞察は価値がある。
[10] The American Heritage Dictionary (New York: Dell Publishing Co., 1983).
[11] 彼のしばしば引合いに出された格言で、Napoleonが割り当てた実際の比率:戦争において、道徳は装備品に3分の1である。Peter G. Tsouras著、「戦士の言葉」:A Dictionary of Military Quotations (London: Cassell, 1992) p. 266.
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