波打ち際における戦車:統合諸兵種連合上陸チームの維持 (www.ausa.org)
ロシアのウクライナ侵略が依然と続いていることも影響しているのか、戦後77年を迎え、旧帝国陸海軍の作戦等を振返った報道が多く感じられる。
その中には、大東亜共栄圏の南西太平洋諸島での連合軍との戦いもあり、流れる映像の中には海岸部を移動する戦車の姿も見られる。
一方で、ウクライナでの戦闘の教訓として対戦車兵器やドローンの出現が、戦車が不要のものとしての報道も見られるところである。
このような状況の中で、いわゆる水陸両用の作戦を行う際の戦車の意義づけに関する記事が米陸軍協会のHPに掲載されていたので紹介する。単一の装備品の有効性だけに焦点を当てた議論が危険であることを知らしめてくれる論稿である。(軍治)
波打ち際における戦車:統合諸兵種連合上陸チームの維持
TANKS IN THE SURF: MAINTAINING THE JOINT COMBINED ARMS LANDING TEAM
Major Matthew W. Graham, U.S. Army
July 29, 2022
写真:デングリエ・M・バエズ米海兵隊2等軍曹 |
概要:IN BRIEF
・ 米海兵隊が戦車を廃棄したことで、米陸軍は統合部隊の将来の水陸両用作戦(amphibious operations)に利用できる中・重装甲の唯一の供給者となった。
・ 本論文は、第二次世界大戦中のヨーロッパおよび太平洋地域における3つの水陸両用作戦(amphibious operations)における米陸軍戦車部隊の歴史的な運用を検討し、これらの戦役から将来の統合部隊への教訓を引き出そうとするものである。
・ 本論文では、戦車は第二次世界大戦を通じて複数の水陸両用作戦(amphibious operations)の成功に不可欠であったが、決定的な兵器ではなかったと結論付けている。その代わり、決定的な兵器は諸兵科連合チーム(combined arms team)であった。
・ 諸兵科連合のいずれかの要素を取り除くと、チームのバランスが大きく崩れ、失敗する危険性が高まる。さらに、それを補うために航空戦力や他の軍種間火力(inter-service fires)に頼ることは、歴史的に不利であった。
・ 統合部隊諸兵科連合上陸チームの将来を確実なものにするため、米陸軍は水陸両用作戦(amphibious operations)、特にその中での装甲の役割を中心に、そのドクトリン、訓練、組織を再活性化する必要がある。また、歴史的に米陸軍の水陸両用作戦(amphibious operations)に続く、より広範な陸上戦役(land campaign)に焦点を当てるために、水陸両用作戦の見方をさらに見直す必要がある。
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「戦車の廃棄:戦車は、過去の戦争における長く名誉ある歴史にもかかわらず、将来の最優先課題には作戦上適さないと結論付けるに足る十分な証拠を有している。重戦車は引き続き米陸軍が提供する」。
―米海兵隊、戦力デザイン2030[1]
はじめに:INTRODUCTION
米海兵隊は長い間、戦車を水陸両用作戦(amphibious operations)における重要な兵器と見なしてきた。第二次世界大戦中の中部太平洋における米海兵隊の戦役は、海岸堡(beachhead)の確保と拡大、およびこれらの上陸作戦の成功を確実にするための装甲(armor)の有用性を実証している。さらに、米海兵隊の装甲(armor)は砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm)や世界的なテロとの戦争(Global War on Terror:GWOT)で重要な役割を果たし、アフガニスタンにすべての戦車を配備した。
しかし、米海兵隊は「戦力デザイン2030(Force Design 2030)」で、現在のM1A1エイブラムスという形態の戦車は、太平洋での中華人民共和国との潜在的な紛争では作戦上不適当であると位置づけた[2]。その結果、7つの戦車中隊とM1A1エイブラムスの事前備蓄をすべて廃棄した。
この決心を擁護するように、現米海兵隊総司令官のデービッド・バーガー(David Berger)米海兵隊大将は「我々は多くの戦車を持つ米陸軍を必要としている。. . . 米海兵隊が戦車を持つ必要はない」と述べている[3] 。良くも悪くも、米海兵隊は将来、軽装甲と重装甲の両方の能力を米陸軍に頼らざるを得なくなるだろう[4]。
本論文は、米海兵隊がエイブラムス戦車を在庫から外すという決定を、予算とプラットフォーム固有の決定として捉え、批判はしていない。米海兵隊と米陸軍は、戦車が何らかの形で現代戦争に不可欠な道具であり、将来、統合部隊が行う水陸両用攻撃にも必要とされると考えているものとする。
米陸軍が統合部隊内の装甲部隊(armored forces)の唯一の供給者となった今、米陸軍は統合水陸両用作戦(joint amphibious operations)、特に装甲部隊(armored forces)の上陸と運用のための訓練、実施、支援をどのように行うのだろうか。本論文では、第二次世界大戦中の3つの事例、特にシチリア島、レイテ島、ルソン島戦役を検証することにより、米陸軍水陸両用作戦(army amphibious operations)における装甲(armor)の歴史的役割を探求し、これらの事例から将来の作戦環境に対する教訓を引き出そうとするものである。
一般に、水陸両用作戦は最初の突撃や上陸が中心であると考えられている。しかし、このような限定的な焦点は、米陸軍の歴史的経験に反している。1950年、第二次世界大戦中に南西太平洋の第3工兵特別旅団を率いたデビッド・A・オグデン(David A. Ogden)米陸軍准将は、工兵学校で講演を行い、米陸軍の水陸両用作戦(amphibious operations)のコンセプトを再構築しようと試みた。
部隊を上陸させる作業は2、3日のうちにすべて終わり、陸上戦役(land campaign)を開始するだけかもしれない。水陸両用作戦(amphibious operations)、特に米陸軍が通常の作戦を行う陸上の塊りを相手にする作戦は、数ヶ月間継続することもある。. . . 水陸両用作戦(amphibious operations)の狭い定義を受け入れた結果、膨大な量の貴重な知識と経験が、継続的な開発や教科書から排除されることになった[5]。
米陸軍の目的では、主に水陸両用作戦(amphibious operations)に続く陸上戦役(land campaign)に関係するもので、水陸両用上陸そのものに関係するものではない。ウィリアム・J・スリム(William J. Slim)米陸軍大尉(後に米陸軍元帥)は、この立場を要約している。「通常、海上での闘争は、陸上および航空部隊による敵の致命的な所への決定的な攻撃のための不可欠な前段階にすぎず、最終的な打撃は、米海軍の伝達と支援によってもたらされる」[6]。
本論文の範囲と目的:SCOPE AND PURPOSE
本論文では、第二次世界大戦の水陸両用攻撃における米陸軍戦車部隊の歴史的な役割に焦点を当てる。まず、1943年のシチリア島、1944年のレイテ島、1945年のルソン島での戦役で非水陸両用装甲が果たした役割について考察する。第二に、米陸軍がこれらの作戦からどのような歴史的教訓を学び、現在および将来の作戦環境に適用できるかを簡単に分析する。
これらのケース・スタディは、これらの作戦とその状況が、将来起こりうる作戦環境と類似していることから選ばれたものである。
この研究は、米陸軍の水陸両用作戦(amphibious operations)で装甲(armor)がどのように使用されたか、またこれらの経験から現在および将来のためにどのような教訓を得ることができるかについて、既存の知識のギャップを埋めることを求めている。さらに、米陸軍の水陸両用の遺産に関するさらなる研究を活性化させることも狙いとしている。
最後に、これまでの教訓をドクトリンに成文化することを提唱し、米陸軍が統合水陸両用上陸部隊の一部として装甲(armor)を使用できるようにすることを確実にするために支援する。
海洋環境における米陸軍:THE ARMY IN THE MARITIME ENVIRONMENT
インド太平洋戦域への注目が高まる中、米陸軍は他の部局が歴史的・ドクトリン的優位性を維持する環境に置かれていることに気づく。米国防総省指令(DoD)5100.01「国防総省とその主要構成部門の機能(Functions of the Department of Defense and Its Major Components)」では、米海兵隊を水陸両用作戦(amphibious operations)の統合部隊提案者に任命している。
また、米陸軍に水陸両用作戦(amphibious operations)を実施することを要求している[7]。しかし、米陸軍は朝鮮半島以来、大規模な水陸両用攻撃を行ったことがない。さらに、米陸軍はフィールド・マニュアル(FM)31-12「水陸両用作戦における米陸軍部隊(Army Forces in Amphibious operations)」が廃止されて以来、独自の水陸両用ドクトリンを持たず、代わりに統合ドクトリンに依存している。
水陸両用作戦および強制侵入作戦のドクトリンにおける装甲:ARMOR IN JOINT AMPHIBIOUS AND FORCIBLE ENTRY OPERATIONS DOCTRINE:
統合出版物(JP)3-02「水陸両用作戦(Amphibious operations)」は、統合部隊のすべての水陸両用作戦(amphibious operations)のための基本文書(governing document)である。現在のドクトリンでは、水陸両用作戦(amphibious operations)の5つのタイプ(襲撃、急襲、示威、撤退、および支援)を特定している[8] 。他の強制侵入作戦(forceable entry operations)と同様、水陸両用作戦(amphibious operations)は本質的に統合作戦であり、しばしば空、陸、海の各軍の絶大な協力を必要とする。
統合出版物(JP)3-02「水陸両用作戦(Amphibious operations)」にはさらにこう書かれている。「機甲部隊は上陸部隊に実質的な戦闘力と移動性(mobility)を提供する」[9] 。
統合出版物(JP) 3-02「水陸両用作戦(Amphibious operations)」に関連して、統合出版物(JP) 3-18「統合強制侵入作戦(joint forcible entry operation)」では、強制侵入(forcible entry)を「武装した反対勢力に対して拠点(lodgment)を奪取・保持する作戦」と規定している。拠点(lodgment)とは、敵対的または潜在的に敵対的な作戦地域(AO)(例えば、前線基地、海岸堡(beachhead)、またはその組み合わせなど)において、部隊や物資を継続的に上陸させ、その後の作戦のための機動空間を提供する指定区域のことである」[10] 。
統合出版物(JP) 3-18「統合強制侵入作戦(joint forcible entry operation)」は、統合強制侵入作戦(joint forcible entry operation)における装甲車や戦車の役割について、特に言及していない。
現行の米陸軍ドクトリン:CURRENT ARMY DOCTRINE
現在の米陸軍のドクトリンは、水陸両用作戦(amphibious operations)やそれにおける装甲(armor)の採用に関する記述が著しく欠落している。装甲作戦を扱う米陸軍の主なマニュアルは以下のとおりである。米陸軍技術出版(ATP)3-20.15「戦車小隊(Tank Platoon)」、米陸軍技術出版(ATP) 3-90.5「諸兵科連合大隊(Combined arms Battalion)」、フィールド・マニュアル(FM) 3-96「旅団戦闘チーム(Brigade Combat Team)」、米陸軍ドクトリン出版物(ADP)3-0「統一された陸上作戦(Unified Land Operations)」、およびフィールド・マニュアル(FM)3-0「作戦(Operations)」である。
水陸両用作戦(amphibious operations)については、強制侵入作戦(forcible entry operation)の一部として、一応触れているだけである。「強制侵入作戦(forcible entry operation)は、パラシュート、航空、水陸両用攻撃で行うことができる。米陸軍のパラシュート部隊と航空部隊は、恐るべき強制侵入能力(forcible entry capability)能力を備えている。米海兵隊は水陸両用攻撃を専門としており、水陸両用作戦(amphibious operations)の一環として空からの攻撃も行う」[11]。
戦術面で最も気になるのは、米陸軍技術出版(ATP)3-20.15(Marine Corps Reference Publication 3-10B)には、上陸作戦中に戦車を使用する際の計画策定の考慮事項や「戦術、技術、手順(TTPs)」が一切記載されていないことである。
フィールド・マニュアル(FM) 3-99「空挺および航空攻撃作戦(Airborne and Air Assault Operations)」と米陸軍技術出版(ATP) 3-21.20「歩兵大隊(Infantry Battalion)」は水陸両用作戦に37回言及している。これらのマニュアルは水陸両用作戦の計画策定と遂行を、空挺および航空強襲作戦と同様に扱っている。空挺作戦と航空攻撃作戦は水陸両用作戦と類似しているが、水陸両用作戦に必要な統合計画策定の複雑さとレベルは、これら他の作戦の複雑さをはるかに超えている。
興味深いことに、フィールド・マニュアル(FM) 3-99では装甲(armor)について少し触れているだけで、「近接航空支援はしばしば装甲(armor)と重砲の不足を補うことができる」と述べている[12]。別の言い方をすれば、ドクトリンは航空戦力が装甲(armor)の不足を補うことができ、また補うだろうことを示唆している。しかし、天候、より優先度の高い任務、防空・領域制圧システムの致死性の向上などの理由で、必ずしもそうとは限らない-レイテ戦役(Leyte campaign)ではそうだった。
明らかに、現在の米陸軍のドクトリンは水陸両用作戦にほとんど焦点を当てておらず、この作戦における装甲(armor)の採用は、一般に、空挺および航空攻撃作戦と同様のものとして扱われている。これは、装甲兵器の配備が困難であることと、水陸両用作戦における米海兵隊のドクトリン上の優位性によるものであろう。しかし、移動性の防護された火力(Mobile Protected Firepower:MPF)システムの採用が予定されているため、このダイナミズムが変化する可能性がある[13]。
第二次世界大戦における米陸軍がシチリア島、レイテ島、ルソン島での戦役に移動性、防護性、遠征性のある装甲プラットフォームを利用できたことは、それぞれの成功の決定的な要因であった。したがって、米陸軍が将来の水陸両用作戦で装甲システムをどのように効果的に使用できるかを理解しようとするとき、これらの作戦における戦車の採用に関する歴史的分析は価値があるものである。
シチリア戦役における装甲の分析:ANALYSIS OF ARMOR IN THE SICILY CAMPAIGN
シチリア戦役(Sicilian campaign)の分析は、水陸両用作戦の初期段階における戦車の有効性を、たとえ少数であっても実証している。戦車を初期投入することで、初期突撃歩兵が得た利益を確保することができたが、同時に海岸堡(beachhead)に大量の装甲(armor)を投入することの難しさも示している。
侵攻2日目のゲラ(Gela)の第7軍の海岸堡(beachhead)に対する枢軸国の反撃は、作戦開始後数時間以内に水陸両用上陸作戦に対して大規模な機甲反撃が行われた数少ない例である。有効な対戦車兵器や間接火力支援を持たない軽歩兵に対する迅速な装甲反撃は、依然として水陸両用攻撃にとって最大の脅威の一つである。
第1歩兵師団の支援として作戦した第2装甲師団の戦車小隊の存在は、単独での反撃の撃破には決定的ではなかったものの、枢軸国の反撃の撃破に大きく貢献した。
ゲラ(Gela)に上陸した第3/67装甲大隊本部のM4A1シャーマン戦車。 |
海岸に装甲(armor)を届けることの難しさは、上陸の最初の数時間がいかに困難であるかを示している。多大な計画策定、準備、リハーサルがあっても、会戦のカオス(chaos of battle)を説明することはできない。もし装甲(armor)の支援がなかったら、第1歩兵師団の兵士は反撃を打ち負かすために空と海軍の火力に全面的に頼らざるを得なかっただろう。
この2つの要因は、今後の作戦で信頼できるとは限らないし、存在しないかもしれない。このように、戦車1個小隊の行動は、機甲反撃に対する海岸堡(beachhead)の防衛に多大な効果を発揮したのである。
防衛において重要な役割を果たす一方で、機甲部隊は海岸堡(beachhead)からの離脱と拡大においても重要な役割を果たした。移動性(mobility)、衝撃性(shock)、火力(firepower)を駆使して突撃歩兵と支援火力によって生じたギャップを利用する装甲(armor)の能力により、第66装甲大隊のノラ(Nora)への内陸部への急速進攻に見られるように、内陸部の目標を迅速に攻撃して奪取することが可能となったのである。
防護、移動性(mobility)、火力(firepower)という装甲独自の組み合わせは、他のどの部隊よりも海岸堡(beachhead)の拡張を可能にし、作戦全体の迅速な成功に大きく貢献したのである。
全体として、戦車はシチリア島への侵攻の成功に重要な役割を果たした。戦車は機甲反撃に対する海岸堡(beachhead)の保護に貢献した。移動性(mobility)、火力(firepower)、装甲防御のおかげで、上陸(landings)で達成された奇襲と衝撃性(shock)を迅速に利用し、作戦目標に向かって内陸に前進することができた。もし、機甲部隊が存在しなければ、海岸堡(beachhead)の攻撃、防衛、拡張はより困難なものとなっていただろう。
レイテ戦役における装甲の分析:ANALYSIS OF ARMOR IN THE LEYTE CAMPAIGN
一方、フィリピンでの装甲(armor)の採用は、沖縄戦以前の太平洋戦争において、双方とも最も重要な装甲兵器の採用であった。レイテ島での作戦では、通常戦車による小規模な戦闘と、1個大隊による戦闘の両方が行われた。フィリピン戦役における戦車の行動を分析すると、制限された地形や非常に制限された地形であっても、その後の陸上戦役(land campaign)の成功に戦車が重要であったことがわかる。
水陸両用作戦における歩兵と装甲兵の効果的な協力は、レイテ作戦の最も重要な教訓であった。いくつかの行動後の報告にあるように、指導者の戦車に対する考え方と作戦前の戦車と歩兵の訓練レベルという2つの要因がこの連携に絶えず影響を及ぼしていた[14]。
まず、ある歩兵大隊長が「私の経験では、極端な気象条件や熱帯植物地帯での戦車の使用はほとんど意味がない」と述べているように[15] 。このような意見は、既存のドクトリンにもかかわらず、戦車の能力と運用方法の両方が理解されていないことを示すものである。第二に、戦車歩兵訓練の不足である。
太平洋戦域は遠距離で分散しているため、作戦前に諸兵科連合でリハーサルを行う部隊の能力には限界があった。このため、戦車大隊と所属する歩兵師団との間の相互信頼と理解の醸成が著しく損なわれた。例えば、レイテ侵攻艦隊はレイテ湾の侵攻海岸から1,200マイル以上離れた3つの出発点から展開し、それぞれが数百マイル離れていた[16]。
しかし、一部の部隊は、戦地に配備される前に師団レベルの経験と訓練を積んでいた[17]。しかし残念なことに、この訓練は上陸(landings)にのみ焦点が当てられており、内陸部での行動には焦点が当てられていないことが多かった。その結果、ドクトリンで奨励されているにもかかわらず、指揮官の頭の中では戦車の能力に関する理解や連携が不十分であることが多かったのである[18]。
レイテ島では、陸上航空戦力の整備が進まず、作戦初期に米海軍が大規模な交戦に投入されたため、上陸部隊は重要な航空支援を受けられなくなった。このため、戦車を含む他の諸兵科連合チーム(combined arms team)への依存度が高くなった。レイテ島のような水陸両用作戦が戦車なしで行われることを想像するのは興味深いことである。
このような戦役がどれほどの成功を収め、どれほどの犠牲を払う可能性があったのか疑問である。その後の陸上戦役(land campaign)を想定して水陸両用車を投入する能力と意欲がレイテ島の勝利に大きく貢献したのは疑いない。ルソン島での会戦では、この能力が中心となって、上陸部隊はルソン島の平野やマニラの街中で再び日本軍と戦うことになる。
ルソン戦役における装甲の分析:ANALYSIS OF ARMOR IN THE LUZON CAMPAIGN
ルソン島では、機甲部隊は海岸堡(beachhead)を急速に拡大し、敵の機甲・歩兵攻撃から上陸部隊を防衛するために使用された。日本軍の効果的でない機甲反撃に対する海岸堡(beachhead)の防衛に続いて、機甲部隊は第37師団と第1騎兵師団の高速道路3号線と5号線に沿った南方への急速な前進の先鋒を務めることができた。
ルソン島の装甲(armor)は、速度、移動性(mobility)、火力(firepower)を駆使して内陸部のターゲットを攻撃した。これは、第1騎兵師団のマニラへの「フライング・コラム(flying columns)」と呼ばれる急速な進撃に明確に示されている。さらに、装甲(armor)はマニラの政府地区とイントラムロス(Intramuros)での戦闘で重要であることが証明された。
1945年1月11日、サンファビアン近郊のホワイトビーチに上陸する第43歩兵師団所属の第716戦車大隊D中隊のM5スチュアート軽戦車。 |
多くの機甲部隊は、広いルソン平原でヨーロッパ戦線の機甲戦のような戦車対戦車の会戦ができるのではないかと期待した。しかし、彼らは強力な防御陣地で敵戦車と交戦し、敵の狙撃兵や機関銃の巣を破壊し、スターリングラード以来の最も激しい市街戦に挑んだ。
また、船から陸までの長い兵站線から離れ、兵站線の使い方をよく知らない歩兵部隊を支援しながら、兵站を行わなければならなかった。彼らは小隊や中隊に分散して活動し、親部隊からの集中的な統制は限られていた。しかし、これらの装甲部隊は、支援する歩兵部隊に計り知れない貢献をしている。
おそらく、太平洋の他の戦役と同様に、ルソンは、はるかに長い陸上戦役(land campaign)の始まりに過ぎない水陸両用作戦の典型例であり、特に市街地での諸兵科連合戦(combined arms warfare)における戦車の重要性をさらに浮き彫りにするものであった。
調査結果と提言:FINDINGS AND RECOMMENDATIONS
これらの歴史的事例を分析した結果、戦車の特質が水陸両用戦役に不可欠であることが明らかになった。戦車は諸兵科連合上陸部隊(combined arms landing force)の重要な構成員であり、第二次世界大戦中の地中海と太平洋の両地域における水陸両用戦役の成功の中心であった。
戦車の移動的な防護された火力(mobile protected firepower)がなければ、シチリアとフィリピンの戦役は時間、血、財の面でもっと大きな犠牲を払ったことだろう。戦車の主な役割は、上陸(landings)の成功を迅速に利用し、海岸堡(beachhead)を拡大し、最初の水陸両用の目標地から遠く内陸にある目標地を確保することだった。その副次的な役割は、最初の攻撃で水陸両用上陸部隊の他の要素を直接砲撃で支援することであった。
戦車は地中海と太平洋の両地域における初期上陸(initial landings)で重要な役割を果たしたが、初期上陸(initial landings)の成功の決定的な要因は戦車ではなかった。むしろ、戦車が真価を発揮したのは、水陸両用攻撃の後半に上陸し、その後の陸上戦役(land campaigns)においてであった。
戦車は移動性と防護された火力(protected firepower)を上陸地点にもたらすことができ、シチリア島への上陸(landings)を成功させるのに貢献した。海岸堡(beachhead)から迅速に前進し、緊要地形(key terrain)を確保する装甲車の能力により、連合軍は主導権を保持し、最終的にシチリア島での勝利を確保した。
同様に、デュラグ・ブラウエン・ダガミ街道の会戦では、戦車がその後日本軍守備隊に対して大量に衝撃性(shock)を与えることができたため、米軍部隊は急速に内陸に進入し、重要な飛行場を確保することができたのである。
しかし、デュラッグ・ブラウエン・ダガミ街道沿いでは、諸兵科連合の失敗を目の当たりにすることになった。レイテ島の制限された地形で歩兵が装甲(armor)に追いつけず、装甲(armor)を守れなかったことが主導権の喪失を招き、1944年10月25日の戦闘で米軍は同じ地形を2度にわたって犠牲にしなければならなくなったのである。これらの失敗の重要な要因は、歩兵指揮官の代わりに戦車の能力に対する理解が不十分であったこと、またその逆も同様であったことである。
諸兵科連合の重要性:THE IMPORTANCE OF COMBINED ARMS
諸兵科連合チーム(combined arms team)の重要性は、マニラでも発揮された。戦車、歩兵、砲兵のバランスのとれたチームは、日本軍を都市部のピルボックスや強襲拠点から追い出すことができた。同時に、民間人の犠牲を懸念して、航空支援はわずかな役割にとどまった。マニラの市街の闘いに戦車と野戦砲を投入したことも、米軍の死傷者を抑える上で重要な違いであった。
全体として、戦車は第二次世界大戦を通じて多くの水陸両用作戦に使用されたが、それらの上陸(landings)の決定的な兵器ではなかった。その代わり、決定的な兵器は諸兵科連合チーム(combined arms team)であった。歩兵、装甲兵、砲兵の各要素を想定し、効果的に活用する能力が鍵であった。諸兵科連合(combined arms)のいずれかの要素を取り除くと、チームのバランスが大きく崩れ、しばしば失敗することになる。
さらに、このようなアンバランスな状況では、航空戦力や他の部隊間の火力に依存することは信頼できないことが証明された。シチリア、レイテ、ルソンでの成功の鍵は、適切な計画策定と訓練に支えられたバランスのとれた諸兵科連合チーム(combined arms team)であった。
2018年6月7日、ポーランドのウストカで行われたバルト海作戦2018の演習中に米海軍上陸艇から出る第26海兵遠征隊第6海兵連隊第2大隊上陸班フォックス中隊所属の米海兵隊製M1A1エイブラムス戦車。(米海兵隊写真:二等軍曹デングリエ・M・バエズ) |
海洋支配下の環境における米陸軍にとっての意味合い:IMPLICATIONS FOR THE ARMY IN THE MARITIME-DOMINATED ENVIRONMENT
将来、米陸軍は、海から内陸に兵力を投射する能力が、米陸軍指揮官にとって作戦上、戦術上、大きな優位性をもたらす戦域に従事することになるかもしれない。シチリア島や南西太平洋の戦役で実証されたように、米陸軍が水陸両用上陸後に大規模な陸上戦役(land campaign)を展開する能力は重要であり、水陸両用作戦は単に米海軍や米海兵隊だけの権限の範囲ではなくなる。
米陸軍は水陸両用作戦のドクトリン上の責任を欠いているが、統合部隊の一部として水陸両用作戦を検討・実施する責任を放棄すべきではないし、放棄することもできない。2022年秋に発行予定の新フィールド・マニュアル(FM)3-0は、米陸軍の水陸両用の遺産を取り戻すための重要な一歩となる。第6章「海洋支配下の環境における米陸軍の作戦」は、統合水陸両用作戦の中での米陸軍の役割について考える方法を変えるための良い出発点である。
この論文は、水陸両用作戦の歴史的重要性とその中での装甲(armor)の役割を強調することで、米陸軍の水陸両用作戦のコンセプト形成に貢献しようとするものである。水陸両用作戦を深く理解することで、かつて米陸軍は主導権を握り、保持し、活用し、対等な競争者に対して相対的に有利な位置に機動し、作戦範囲を拡大することができた。今度もそうすることができる。
訓練とドクトリンと組織:TRAINING, DOCTRINE AND ORGANIZATION
米海兵隊の諸兵科連合チーム(combined arms team)から戦車が削除されたため、この必要なコンポーネントを提供するのは米陸軍になる。これを支える米陸軍のドクトリンや米海兵隊と兼用のドクトリンがなければ、下級・中級指導者は、血と財を犠牲にして古い教訓を学び直さなければならなくなる。これを防ぐ鍵は訓練である。米陸軍機甲部隊は、米海兵隊と訓練し、米海兵隊に採用されなければならず、その逆もまた然りである。
米陸軍戦車大隊または中隊を米海兵隊遠征部隊と一緒に派遣し、キャンプ・ペンドルトンまたはキャンプ・レジューンで第1機甲師団または第3歩兵師団の戦車と統合訓練を実施すれば、水陸両用作戦への装甲支援の米陸軍の「戦術、技術、手順(TTPs)」を開発する上で大きな成果を上げることができるだろう。
しかし、この訓練には、主に船舶から陸上への移動機の利用が限られていることと、現在のエイブラムス戦車の重量など、兵站上およびプラットフォーム固有の障害が数多く存在する。したがって、米陸軍は、すべての歩兵旅団戦闘チームの騎兵中隊(Cavalry Squadrons)の代わりに、移動的な防護された火力(mobile protected firepower)戦車大隊を追加配備することを検討する必要がある。
さらに、米陸軍は自軍の水上艦艇システムを使用し、統合部隊の一部として、水陸両用襲撃やその他の水陸両用作戦の訓練を行うべきである。米陸軍太平洋地域とその配属部隊は、水陸両用作戦の訓練を再び開始するための最も論理的な場所である。理想的には、この訓練は米海軍や米海兵隊の要素と一緒に行われるのがよいだろう。
戦術的ドクトリンにおける現在のギャップに対処するため、米陸軍は水陸両用作戦における装甲(armor)の使用に関連する特定のドクトリンを成文化するよう動くべきである。また、米陸軍機甲学校機甲監室は、米陸軍への転属を選択した元米海兵隊装甲士官を特定・追跡するよう努めるべきである。これらの将校は、既存の統合兵器大隊、戦車中隊、および戦車小隊のフィールド・マニュアル(FM)や、水陸両用作戦における装甲部隊の運用を扱った他のドクトリン出版物の特定の節または付録の執筆および発行に協力すべきである。
米陸軍は米海兵隊と協力し、米海兵隊の長年の教訓を積極的に取り入れ、このテーマに関する米陸軍の「戦術、技術、手順(TTPs)」マニュアルの基礎を形成するべきである。最後に、米陸軍は米陸軍水陸両用上陸作戦の計画策定を、指揮参謀本部の統合作戦ブロックの授業にさらに組み込むべきである。
これにより、米陸軍と米海兵隊の要素間の一体化を進めながら、水陸両用作戦の複雑さを学生将校に強調することができる。シナリオのこの部分は、統合および米海兵隊の上陸ドクトリンの同期を確保するため、統合省庁間軍事作戦部内の米海兵隊部門が監督することができる[19]。
結論:CONCLUSION
現代のナゴルノ・カラバフ紛争や露・ウクライナ戦争を、戦車の死の前兆と見る向きもある[20]。戦車は以前からここにいた。1973年のヨム・キプール戦争で、支援を受けていないイスラエル軍兵士がエジプト軍に完敗したときも[21]、1995年に支援を受けていないロシア軍兵士がグロズヌイ(Grozny)に侵攻したときも、同じような議論が展開された[22].。
戦車は20世紀の時代遅れの戦艦に類似しているという主張があるが、戦車、またはより重要な戦車の資質が、諸兵科連合チーム(combined arms team)の成功の鍵であり、あらゆる攻撃作戦の成功に不可欠であることは事実である[23]。戦車は衝撃性(shock)、移動性(mobility)、および防護された火力(protected firepower)保護された火力という特質を備えているため、この分析で示したように、特に水陸両用作戦における諸兵科連合(combined arms)の有効性に不可欠である。
対戦車誘導弾やドローンが戦場の力学を変え、対空・対戦車誘導弾の防御技術の再整備の必要性が高まる一方で、戦車が諸兵科連合チーム(combined arms team)の一員として進化し、存続し続けるという単純な事実がある[24]。バランスの取れた諸兵科連合チーム(combined arms team)の一員として採用された場合、戦車は次にどのような形になろうとも、将来の水陸両用作戦において重要な役割を果たし続けるであろう。
著者について
Matthew Graham少佐は、アフガニスタンでの戦闘経験を持つ現役の装甲将校で、現在はSchool of Advanced Military Studiesに在籍している。以前は、指揮・参謀本部大学のArt of War Scholarを務めていた。テキサス大学エルパソ校と指揮・参謀本部大学で修士号を取得。
この論文は著者の軍事の術と学の修士論文「Tanks in the Surf」に由来する。本論文は、筆者の修士論文「Tanks in Surf: Army Armor in Expeditionary Amphibious operations During World War II」(キサウスウェールズ州フォート・レブンワースの Command Arms Research Library に所収)に由来する。本論文では現代戦への応用を中心に論じているが、原著ではここで取り上げた3つのケース・スタディで示された歴史的先例をより深く掘り下げている。
ノート
[1] United States Marine Corps, Force Design 2030 (Washington, DC: U.S. Government Printing Office, 2020), 8.
[2] Michael R. Gordon, “Marines Plan to Retool to Meet China Threat,” Wall Street Journal, 22 March 2020.
[3] Gordon, “Marines Plan to Retool to Meet China Threat.”
[4] United States Marine Corps, Force Design 2030, 8.
[5] David A. Ogden, “Amphibious Operations of Especial Interest to the Army,” lecture before the Engineer School (Fort Belvoir, VA: Engineer School, 1951), 2–3.
[6] W.J. Slim, “On Amphibious Warfare,” Army Quarterly and Defence Journal (July 1928): 237–60.
[7] DoD, DoD Directive 5100.01, Functions of the Department of Defense and Its Major Components (Washington, DC: U.S. Government Printing Office, 2020).
[8] Joint Chiefs of Staff, Joint Publication (JP) 3-02, Amphibious Operations (Washington, DC: U.S. Government Printing Office, 4 January 2019), I-3–4.
[9][9] JP 3-02, II-11.
[10] Joint Chiefs of Staff, JP 3-18, Joint Forcible Entry Operations (Washington, DC: U.S. Government Printing Office, 2018), vii.
[11] Department of the Army (DA), Field Manual (FM) 3-0, Operations (Washington, DC: U.S. Government Printing Office, 2017), 1-25, 6-2.
[12] DA, FM 3-99, Airborne and Air Assault Operations (Washington, DC: U.S. Government Printing Office, 2015), 4–5.
[13] Chris Stone, “MPF and the Division,” Fort Benning TV, 8 March 2022, video, 31:37.
[14] Committee 16, “Armor on Leyte,” 103.
[15] Ibid.
[16] Daniel E. Barbey, MacArthur’s Amphibious Navy: Seventh Amphibious Force Operations 1943–1945 (Annapolis, MD: Naval Institute Press, 1969), 366.
[17] Sixth United States Army, “Report of the Luzon Campaign, 9 January 1945 – 30 June 1945,” 26. Of note, the 7th Infantry and 1st Cavalry had prior combat experiences. The 7th Infantry and 96th Infantry divisions both conducted full-dress practice landings on Maui, in the Territory of Hawaii, in September 1944. However, these landings did not cover actions inland, and instead focused on the assault landing only.
[18] DA, FM 17-36, Employment of Tanks with Infantry (Washington, DC: U.S. Government Printing Office, 1944), 1.
[19] Lieutenant General Robert E. Coffin, USA, Ret., “Letter to the Editor,” Army History, no. 30 (Spring 1994): 38. In his letter, LTG Coffin explains that, during his time at the Command and General Staff College in 1950, this type of relationship existed in airborne and amphibious training.
[20] Nick Reynolds and Jack Watling, “Your Tanks Cannot Hide,” Royal United Services Institute, 5 March 2020.
[21] Jonathan House, Toward Combined Arms Warfare (Fort Leavenworth, KS: Combat Studies Institute, 1984), 180.
[22] Kendall D. Gott, Breaking the Mold: Tanks in the Cities (Fort Leavenworth, KS: Combat Studies Institute Press, 2006), 86.
[23] David Johnson, “The Tank is Dead. Long Live the Javelin, the Switchblade, the . . . ?” War on the Rocks, 18 April 2022 .
[24] John Spencer and Harshana Ghoorhoo, “The Battle of Shusha City and the Missed Lessons of the 2020 Nagorno-Karabakh War,” Modern War Institute at West Point, 14 August 2021.